11話 如月の家で夕飯を食べた
二月だというのに少し湿度の高い夜。
学校が終わってから一息つく間も無く俺は街へと駆り出した。
今日は如月と夕食をとる約束がある。
遅れるわけにはいかない。
待ち合わせ場所はいつものところ、如月のバイト先だ。
彼女は本日バイトではないらしい。しかし俺たちにとっての待ち合わせ場所といえばここになる。
お互い自宅を知らないしな。
到着すると既に店の前には如月がいた。
ひょっとすると彼女の方が家からの距離が近いのかもしれない。
待たせてしまっただろうか。
俺がああだとか、おいだとか声をかける前に如月がこちらに気づいた。
二言三言言葉を交わした後、よし出発、と思ったのだが如月に止められた。
「あの、少し待っていてもらえますか」
そう言われてしまえば仕方ない。物凄いお腹が空いているわけでもないのでOKと返すと如月は店の奥へ引っ込んでしまった。
かと思うとすぐに出てきた。
「おっ、柳沢くん。ようやく来たかい。それじゃあ行こうか」
——店長である岩崎を連れて。
混乱している俺に如月が頭を下げる。
「すみません、昨日話しているところを見られていたようで夕食のことを伝えたら参加すると言われてしまいまして……」
「そりゃあ参加するさ。間違いは起きた後だと遅いんだ。僕は監視役兼保護者ってところだね。それに君だけに如月君の手料理を食べさせるわけにはいかない」
岩崎がそう言うが一体どこまでが本音なのだろう。まだ関わりが少ないので正直、人となりすらもわからない。
「でも、その代わり店長には食材を提供してもらったので夕食は豪勢ですよ」
ちょっと申し訳なさそうにして微笑を浮かべる如月の両手には膨れ上がったビニール袋が下げられていた。
「全く知らない人じゃなければ俺は別に構わない」
俺としては岩崎がいても問題ない。
話題に詰まって気まずい思いをしたりするくらいならばそれはそれでいい。
ただ、今日この時間までに決めてきた俺の覚悟を返せ。馬鹿みたいじゃないか。話題が尽きないよういろいろ考えて来たのだけどそれも水の泡だ。
色々思うことはあるが、とりあえず機会があれば渡そうと思って持ってきた飴をバッグの中に封印することに決めた。
俺は深く深呼吸をする。
——まあ、元々バレンタインのお返しのつもりだったしホワイトデーに渡せばいいか。
***
「着きました」
如月の家は普通の一軒家だった。
何となく城か、あるいは由緒正しい日本家屋とか上等な家に住んでいるイメージがあったので如月もやはり人の子なのだなぁとぼんやり外観を見つめていると如月から声がかかった。
「柳沢さん、どうぞ。入ってください」
玄関を見ると如月が鍵を開け扉を開けている。
「お邪魔します」
店長が特に遠慮することもなく家に入っていく。他の人の家に行くことが慣れているのだろう。さすがは社会人、と思いながら慌てて俺も同じように挨拶して玄関に足を踏み入れた。
如月は食卓と思われる机に俺たちを案内すると手にしていた袋を置く。そしてキッチンに消えたかと思うと、とぷとぷと何かを注ぐ音が聞こえた。
「粗茶ですがどうぞ」
戻って来た如月は俺と岩崎、そして俺の前の席にコップを置く。
今気づいたのだが四人がけの机で俺の隣が岩崎だ。つまり最後に置かれたもの、俺の向かい側は如月の席ということになる。
……何だか緊張してきた。
「よいしょっ」
続けて如月が持ってきたのは四角い機械のようなものだった。これは——
「今日は焼肉にします」
と、なるとあの袋の中身は肉や野菜なのだろう。立ち上がって中を見るとやはり肉、それからカット済みの野菜だった。
岩崎が言っていたような手料理ではなかったが、俺も昨日急遽食事を提案したわけだし人数も人数だ。これがベストなのかもしれない。
そうなると準備も大変なわけだ。
何か手伝おう。
俺は率先して袋に手をかけた。袋から野菜と一パック、肉を取り出す。
しかし俺ができたのはここまでだった。
「柳沢さんはゆっくりしていていいですよ。これくらいすぐ終わらせますから」
「いや、手伝う。なんか悪い気がして仕方ないんだ」
「もう終わりますから座っていてください」
ここで反論しても堂々巡りになることはわかっている。俺も学習しているのだ。それに如月の家なので好き勝手にやるわけにもいかないだろう。もどかしいが大人しく座っていることにしよう。
だがここで岩崎が口を開いた。
「じゃあ僕と話をしていようか」
俺は耳を疑った。
岩崎が俺と話?
話す内容なんて如月との間以上にないぞ。
やはり何か手伝うことはないだろうか。俺は如月に尋ねようとする。
しかし、
「そうしていてください。その間に準備しておきますね」
そう告げると頼みの綱の如月は先ほどお茶を入れてくれたところへ消えてしまった。
……さて、どうしようか。
完全に退路を断たれてしまったわけだが。
しかも自分で言い出しておきながら岩崎は一向に口を開こうとしない。
俺は天井を仰いでいる岩崎の様子を伺う。その手には以前見かけたのと同じ指輪がはめられていた。
これだ、と刹那的に悟った俺は岩崎に話題をふろうとした。
だが悟ったのと同じようにすぐに本能がストップをかける。
普通、指輪をしているのだから家で待っている人がいるはずだろう。そちらを投げ打ってこの人は女子高生の手料理を食べようとしている。
……何か深い事情があるのかもしれない。
折角の話題だがこれは胸の内にしまっておこう。
しかしそうなると一体何を話せば……
「柳沢君」
突然岩崎が口を開いた。
心配が杞憂に終わったことで俺は心の中でガッツポーズを作る。
「はい、何ですか」
「君は如月君のことをどう思ってる?」
「…………」
「言い方が悪かったね。如月君はどういう人間だと思うっていう意味だよ」
ああ、それなら簡単だ。
「努力家ですね」
俺は迷わず答えた。
俺の返答を聞いて岩崎も頷く。
「確かにその通りだ。でも同時にね、寂しがりやでもあるんじゃないかと僕は思うんだ」
——なんて、失礼かな。
岩崎はそう言うと話を続ける。
「これは伝えるべきだから伝えておくけれど現在、如月君は一人暮らしだ。両親は去年の四月から海外で共働きしている」
初耳だった。てっきり俺は如月は親が遅いので毎日自分で料理を作っていると思っていたのだがそれは違ったらしい。
「言っておくけれどこれは僕は如月君の両親と知り合いだから知っているんだからね。ついでに言うとうちに働きに来たのもそういう縁だよ」
なるほど。それは理解した。
でもそれと如月が寂しがりやというのでは少し違う気がする。
そのことは岩崎もわかっていたのだろう。咳払いをすると話を進める。
「で、だ。如月君は元々成績優秀だった。だけどそれは今ほどではなかったんだ。それなら何故如月君はここまで頭がよくなったんだと思うかい」
「……両親を心配させないためですか」
「僕もそう思うよ」
岩崎はうんうん、と頷く。
「ただ、どんなに技術が進歩してもやはり埋められないものっていうのはあるんだよ。人と人との距離とかね。ところで、柳沢君。学校での如月君の評判はどんな感じだい」
「すこぶるいいですよ。男女問わず如月のことは好ましく思っていると思います」
「じゃあそれで壁が出来ている、と思ったことはないかい」
……言われてみると確かに。
如月は憧れみたいなところがある。だがそのせいで同時に近寄り難いものを感じているのも事実だ。最初は俺もそうだったからわかる。
「だから彼女はバイトを始めたんだ。後はわかるだろう?」
俺は考えを整理してみる。
如月は海外出張の親を心配させないために勉強を頑張っている。
入学前からおそらく出張については聞いていたのだろう。だから入学時もかなり成績が良かった。しかしそのせいで同級生とどこか壁が出来てしまった。
如月も人間だ。彼女は人との付き合いに飢えていた。そこで人との触れ合いを増やすために彼女は親のツテでバイトを始めた。
こんなところだろうか。
今まで何故如月がバイトをしているのかと気にはなっていたがこれでストン、と腑に落ちた。
部外者の俺からみてもあの店はアットホームだ。如月にとってまさに最高の環境だったと思う。
その時、如月が油やタレなどを手に戻ってきた。
今の話を聞いていたのだろう。
出てくるタイミングが良すぎるし若干顔も赤いような気がする。
「それでは始めましょうか!」
上擦った声で如月が宣言して夕食が始まった。
そこからは岩崎が肉をたくさん食べたり、山盛りのご飯を食べたりとにかくどんちゃん騒ぎだったような気がする。夕食というよりパーティーのようだがそれは些細な問題だろう。見ているこちらも楽しめた。
ただその最中、焼肉を焼く音に紛れて如月がこんなことを呟いたたのを偶然俺の耳は捉えていた。
「やはり、皆で食卓を囲んで食べるご飯は美味しいですね」
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