18話 スーパーでお雛様を見た

「海苔を買ってきて」


 学校を終えて家に帰るなり母親にそう言われた。


 またどうして急にそんなことを。

 当然のように湧いてくる疑問をぶつけると曰く、ちらし寿司に使うそうだった。


 今日の夕飯は豪華だな、何か祝い事でもあるのだろうか。


 そこは家族というべきか、以心伝心で母は理由を説明してくれた。


「今日は雛祭りでしょう」


 はぁ。雛祭り。


「そんなのもあったな」


 ああなるほど、と俺は適当に相槌をうった。


 母親は覚えてないの?と言いたげな顔をしたが忘れていても仕方ないだろう。


 幼い頃なら行事にかこつけて金平糖でもかじっていたのだろうが、高校生になった今、そんなことはしない。

 雛祭りを祝うような給食もメニューが固定された学食に置き換わってしまったし、授業で季節のイベントを盛り上げることもない。ダメ押しに付け加えると俺には女兄弟もいないので雛壇を作るとかそういった経験もないので意識が向かないのだ。

 

 これが子供の日とかだったら多少関わりはあるから覚えていただろう。


 俺にとって雛祭りはザ・縁遠いという感じだ。

 

 そもそも帰ってきたばかりなこともあって俺は買い出しにそこまで気乗りがしなかった。それに海苔くらい無くてもいいだろう。


 俺がゴネると、


「彩りがいいほうがいいのよ!」


 と一蹴されてしまった。

 そのまま親の権力を行使され家を追い出された俺はおつかいをすることになってしまった。


 理不尽な。


 しかしつべこべ言うだけ時間の無駄だ。

 こうなったらさっさと買って家に戻りたいところだが、ここで、どうせ買うならいつも世話になっているあの店にお金を落とそうと、思い立った俺は如月がバイトしているスーパーへ足を向けた。


***


「こっちよ」


 入店してすぐに岡本に捕まった俺はいつぞやのようにバックヤードへ案内されていた。

 

 四コマ漫画のような勢いで俺を連れ去る岡本はまるで俺が来るのを待ち構えていたかのような……


 と、ここまで考えて考え過ぎか、と俺は変な予感を振り払った。


 岡本がある部屋の前で足を止めた。


 そこには『女子更衣室』と書かれてたプレートが下げられている。


 んー、どういう意味かな?

 半ば現実逃避を始めた俺に岡本は口元を釣り上げた。


「君に是非見せたいものがあるのよ。ふふふ、令ちゃんもきっと喜ぶわよ」

 

 それはこの中に如月に関係する何かがあるということだろうか。


 それとも——この中には如月がいて現在着替え中ということなのだろうか。


 まさかそんなことはあるまい。この人は色々ぶっとんでいるが倫理上まずいことはしないはず。


「令ちゃーん、入っても大丈夫ー?」

「すみません……あと少しで終わります。でも一人で全部着替えるのは難しいので手伝っていただけないでしょうか」

「もちろんよ」


 そして俺がいるのもお構いなしに岡崎がドアノブを掴むと勢いよく開け放った。


 警戒していた俺だったが、急に扉を開けられてしまっては手も足も出ない。バッチリ視界に部屋の中の様子が映ってしまった。


 そして俺は息を飲んだ。


 あらわになった更衣室の中には華やかな着物を纏った如月がいた。


「あ〜、やっぱり似合うわね。うちの子のお古だけど持ってきてよかったわ」

「でも少し帯を結ぶのが難しくて……」

「どれ、見してごらんなさい。何だ、大体できてるじゃない。少し形を整えれば完璧よ」

「そ、そうでしょうか……」

 

 如月は少し恥じらいながらも自分の身に貼り付いている着物を落ち着かない様子でキョロキョロと見る。

 

「はい。完成よ。ほら、そこにいる彼にもよく見せてあげなさい」


 ここで如月はようやく俺の存在に気づいたようだ。


「や、柳沢さん!? どうしてここに……」


 他に誰もいないと思っていたのか激しく動揺する。


 どう答えたものかな、と考えていると入り口に立ったままの俺の背中を岡本が押した。


「いや、ここ女子更衣室ですよね、俺が入っちゃマズいんじゃ」

「今日は私たち以外女性はいないから問題ないのよ。そんなことより彼女を見てあげなさい。ほら、この柄とか素敵でしょう。うちの子の時もいいと思ったけど素材がいいとさらに引き立つのね。令ちゃんはこの店のお雛様よ。やっぱり私の目に狂いはなかったわ」


 押し込まれるようにして部屋に入ると近づくたびに美しさを増していく如月の姿が目に飛び込んでくる。


「み、見ないでください。恥ずかしいです……」


 俺があまりにまじまじと見ていたのか如月が下を向いてしまう。


「わ、悪い。そんなつもりはなかったんだ。ただ、その生地が綺麗と思っただけで」

「どうしてそういうこと言うのよ。ほら、何か気の利くこと一言くらい言ってあげなさいよ」


 苦し紛れの返答に岡本が突っかかってきた。

 脇腹を突いて小さな声で俺に要求する。


 それでも尚黙っているとさらに小突く力が強くなっていった。


 ——ああ、もう、こっちだって恥ずかしいんだからな!


 俺は意を決して言葉を紡いだ。


「……まあ、その、似合ってるぞ」


 言ってしまった。

 自分の耳が熱くなるのがわかる。


「——ありがとうございます」


 ポカンとしていた如月も満更でもなさそうな笑みを浮かべた。


 顔が赤いように見えたのは、慣れない着物を着て暑いせいか、あるいは俺と同じように恥ずかしかったからなのだろう。


「青春ね〜」


 呟く岡本に俺と如月がどんな返事をしたかは覚えてない。

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