17話 昨日は卒業式だった
今更な話ではあるが、昨日は卒業式があったらしい。
思えばだからこそ昨日の授業はアクティブラーニングなどと特殊なものだったのだろう。
確かに門の前には卒業式の看板が立てられており、ああ、もうそんな時期なのかと多少感傷に浸りはしたものの、それ以降は特に俺が出席するというわけでもないのでなんとなく流してしまった。
そして今日。よくある三年生がいなくなった校内はどこかがらんとしていた、ということもなかった。
元々三年生は少し前から自由登校だったのだ。
だから如月がこんなことを言っても俺は特に何も思わなかった。
「三年生がいなくなってどこか寂しくなりましたね」
部活中。一局指し終え反省を終えたところに唐突だった。
「急にどうしたんだ」
如月曰く、彼女は昨日自習室へ行ったそうだ。
そこは卒業式後ということもあってガラガラだったのだが普段席を奪い合うようにして座っている三年生がいないこともあってふとそう思ったらしい。
「柳沢さんは三年生に知り合いの方はいなかったんですか?」
と、言われても交流のあった人なんてせいぜい部活の先輩くらいしかいない。
しかも部活の時間しか合わなかったのであまり会話する機会もなかった。あと、だいたい将棋指さずに勉強していたし。
俺はゆっくりと首を横に振った。
「そうなんですか」
「そうだよ、ヤナギは人付き合いが悪いからね」
「というか対局中だから言わなかったけど、どうしてお前がここにいるんだ」
俺はまるで部員でもあるかのように堂々と机に座っている三木に聞く。
すると三木は軽く肩をすくめると飄々と言った。
「ここは静かで過ごしやすいからね。勉強も捗るってものさ」
「ったくもう。他の奴らが来ないと思ったら代わりにお前が来るのかよ」
「たまには僕も学校で平穏ってものを楽しみたいんだ。それとも、僕が邪魔だったかな? お二人さん」
「そんなことはありません。私、三木さんともお話ししてみたかったんです。三木さんは柳沢さんと仲がいいんですよね?」
予想外の返答だったのだろう。それとも如月と話すのが初めてで流石の三木も緊張したのか、最初はつまりながらも三木が説明する。
「う、うん。一応この学校に入る前からの関係だからね。それなりに付き合いはあるよ」
「そうなんですか。よければお話を聞かせてください」
「あ、ああ。いいよ。勿論さ。でもまた今度にしよう」
まだ話したそうにする如月との会話を無理やり断ち切ると三木は俺に耳打ちする。
「ヤナギ、そもそも僕は如月さんがこの部活にいるなんて初めて聞いたんだけど」
「そりゃそうだ。何せ先週入ったばかりだからな」
「この時期に!? あともう一つ気になったんだけど、あんなに如月さんはぐいぐい来る性格なのかい。なんかイメージと違うんだけど」
「あー、どうなんだろうな」
確かにイメージが違うというのには同意する。最初も俺は三木と同じ感想を抱いた。しかし人というのは実際に話さないと本性が見えてこない。俺はこれまで話してきて如月はもっととっつき易い性格をしていると知った。
でも、そんな俺でも確かに今のは珍しいと思う。身を乗り出しそうな勢いだったし。
「時に如月さんは将棋とか指せたんだ?」
「いえ、この前勉強したところなのでまだまだです」
「そう言うが始めたばかりにしては如月はかなりやるぞ、正直目を見張るレベルだ」
如月が自分を卑下するようなことを言うのですかさずフォローする。
「いえいえ、私なんてまだまだで……」
「いや、本当にお世辞抜きで結構やる方だと思うぞ。この調子なら近いうちに猪井といい勝負ができるかもしれない」
この部内での戦力は勝率が高い順に並べると俺、和田、猪井の順番だ。
しかしその関係も如月の成長によってはすぐに崩れるかもしれない。俺も気を引き締めなくてはいけないかもな。
その時何やら意を得たりという顔をしている三木が変なことを言い出した。
「ふぅん。なるほどね、大体予想はついたよ」
「予想って何だ。如月なら短期間で強くなってもおかしくはないと思うが」
「いいや、何でもない。それとは全く関係ないよ。二人の邪魔をしないよう僕は空気にでもなってるさ。どうぞいつもの通りにやってくれ」
「三木さんは将棋は指せるんですか?」
「僕? 僕は全然。たまにここに遊びに来て見たりするけど未だに駒の動かし方すらわからないよ。だからこそ如月さんはやっぱりすごいと思うよ」
それだけ言うと三木は口をつぐんだ。
そろそろ俺たちも本題に戻らなくてはいけない。
久しぶりに将棋を指したせいか俺も楽しくて仕方ないのだ。加えて如月の成長が目に見えてわかるのだから今は非常にやりがいを感じている。
俺は再び盤に向き直った。
「とりあえずこれからの目標だけど、戦法を何か一つに固めたほうがいいかもな」
「どうしてですか? 色々使えたほうが有利だと思いますけど」
確かにそれは的を射ている。
「それはそうだけど、まずは一通り通して将棋を指せるようになることが大事だと思うんだ。色々な戦法を学んでいるのはわかるけど、器用貧乏みたいになってしまっている。今までの傾向からして幅広くやりすぎて序盤で押し切られて終盤までたどり着けていない。だからまずは一つをしっかり学習することが大切だと思うんだ。そこから発展させていけばいい」
しばらく考えるそぶりを見せた如月だったがやがて納得したらしく、
「そうですね、確かにその通りかもしれません。まずは一つ、極めてみようと思います」
「具体的にどの戦法を使いたいとかって決まっていたりするか?」
「柳沢さんが使っている戦法がいいです」
「棒銀か」
確かにそれなら俺と将棋を指すことによって自然と身につくだろう。
それにしてもいろんな戦法がある中で棒銀を選ぶなんてな。
純粋に嬉しい。
これは俺だけかもしれないが同じ戦法を使う人には何となく仲間意識が芽生えてくるものなのだ。
ちなみに棒銀などの飛車を定位置のまま用いる戦法を好んで使う人を居飛車登、飛車を動かす戦い方をする人を振り飛車党と呼ぶ。
両者はお互いに牽制しあっており、決してわかり合うことはない。多分。
「如月。あんたは最高だ」
だから思わずそんなことを口走ってしまうくらいには俺は浮かれていた。
「えっ、そ、それ、どういう意味ですか」
「棒銀はいいぞ」
親指を立てた俺を見て如月は動揺したようだ。
「そ、そうですか。それはよかったです」
「よし、それじゃあ早速始めるか」
如月もすぅっと大きく息を吸い込むと意気込んだ。
「はい。お願いします!」
「もちろん!」
その時、何故だろうか。ふと卒業式の話を思い出した。
いつか俺たちも卒業する日が必ず来る。
その日を過ぎてしまえばもうこうして如月と同じ部屋で話すこともなくなるのだろう。
でもそんなことを考えても仕方ない。
俺は後悔しないように今、やれるだけのことをやればいい。
例えば、こういった時間を大切にするとか、な。
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