20話 ビデオ通話をした

『8二玉』


 短い文章が送られてきた。

 俺はメッセージの通りに目の前にある駒を動かすとすぐに如月に返信する。


『3一銀打』


 送信した直後に既読がつく。


 俺たちはこんなやりとりをかれこれもう何十回と繰り返していた。


 昨日約束したように俺と如月は今、オンライン将棋を行っている。

 当初の予定では盤面をスマホで映して将棋をする予定だったのだが、手でスマホを持って盤を画面に収め続けるのは大変だろうし通信量も馬鹿にならなさそうだ、と気付いたのだ。

 

 そこで代替案として駒の動きを文字で送ることを思いついた。

 お互い駒を動かしたい位置を伝え、それを各自あらかじめ並べておいた盤に反映させる。


 駒と盤をどう渡すかは全く考えていなかったのだが、俺が紙袋を持って如月のクラスの前を彷徨いていると如月が気づいて出てきてくれたのでそのまま人があまり通らないところでこそっと手渡し、やり方の変更も伝えた。


 そして今に至る。今のところ割と快適にできている。


 しばらく指し続けているとついに短文のやりとりの終わりを告げる文面が来た。


『参りました』


間髪入れずに次のメッセージが送られてくる。


『感想戦お願いできますか?』

『もちろん』

『ビデオ通話、始めますね』


 これもあらかじめ決めていたことだ。


 お互い目の前に盤があるとはいえ、気になった局面に戻すときに必ずしも俺と如月とが同じ盤面を思い浮かべているとは限らない。

 そこだけは実際に盤を映して共有できるビデオ通話である必要があるのだ。


 とはいえ、如月との会話すらまだ慣れないというのに通話を通り越したビデオ通話はいささかハードルが高い気もする。


 そのとき、如月からビデオ通話がかかってきた。


 俺は盤を置いている机の上が綺麗であることを確認すると受話器を取るボタンを押した。


「柳沢さん、聞こえますか?」

 

 スマホから如月の声が聞こえる。

 当たり前のことなのに俺の心臓は高鳴っていた。


「ああ。聞こえてるよ。それじゃあこの場面だけど——」


 緊張してはいけない。俺は話を急いだ。


***


 やっていることはいつもと同じなのだ。だから何も緊張する要素はない。そう自分に言い聞かせることで感想戦は滞りなく進めることができた。


 そして一通り説明を終えてから何気なく時計を見た俺は仰天した。

 体感時間は五分だったというのに、既にすっかりいい時間になっている。


「そろそろ終わりにするか」

「そうですね。付き合っていただいてすみません」

「じゃあまた今度」

「はい」

「……」

「……」


 沈黙が続く。


 ……切るに切れない。向こうから先に切ってくれればいいのに。


 そう思ったがいつまで経っても回線は繋がったままだった。


 いや、このままではいけない。

 どんなタイミングで切ればいいのだろうなどと考えるのは社会経験が足りないせいだ。こういうのは思い切りが大切なのだから。


「それじゃあ……切るぞ」


 意を決して俺がボタンを押そうとしたときだった。


 突如、スマホの画面に如月が映った。


「すみません、少しお話したいことがあるのですが」


 余程切り出しづらかったのか、内カメラに切り替えた如月は呼吸を止めていたかのように呼吸が乱れていた。


「いつも本当にありがとうございます。私は柳沢さんにお世話になりっぱなしです。そこで何かお礼をしたいのですが……」


 そう前置きをすると、彼女は有名なテーマパークの名前を出した。


「店長からの貰い物ですがペアチケットがあります。よかったら使ってください」


 大したことはしていないのだが、そんな高価なものを貰ってしまっていいのだろうか。少し考えてから俺は口を開く。


「如月こそ要らないのか? 元々如月が貰ったものだろ、俺が持っているより如月が使った方がいいんじゃないか」

「それが、私も都合のつく方がいなくて……」

「あー、そうなのか……」


 女子にも人間関係があるのだろう。そこに首は突っ込むまい。


 さて、そうなると遠慮する理由はないわけだ。

 俺も人間であるから、タダで行けるならば行きたい気持ちはある。


 しかしペアチケットとなると話は別だ。


 俺は一緒に行く相手がいない。


 三木は——誘えば飛びつくかもしれないがあいつは慢性的な金欠だ。買い食いばかりしているから園内での昼食代どころかひょっとすると電車賃すら払うことができないかもしれない。


 ペアチケットを使って一人で行くというのも何か違う気がする。


「……その、よければ一緒にどうですか?」


 スマホ越しにそんな声が聞こえた気がした。

 聞き間違いではないだろうか。


「……俺と?」

「はい。柳沢さんにも都合があるでしょうし、無理にとは言いませんが……その、お金がないようでしたら日頃のお礼も兼ねて電車賃や昼食代くらいなら出します、バイトはしているのでお金はそこそこありますから」

「いやいやいや、如月さん、ちょっと落ち着いて」


 少し早口になった如月を俺はなだめる。

 なんか変な空気になっているが俺はまだ行かないとは言っていない。


「……すみません」

「別にいい……まあ、チケットを無駄にするくらいなら行くか」


 それに誘われるうちが花というではないか。それにせっかくの厚意を無駄にしてはいけないし。


「本当ですか!?」


 その笑顔に一瞬だけ如月の無邪気な様子が垣間見えた気がした。


「後、俺もそこまで金には困っていないから出さなくて大丈夫だぞ。気持ちはチケットだけで充分だ」

「わかりました。それで、急ですけど明日はどうですか」

「明日か。急だな」

 

 学校が終わった春休みでもいいだろうに。

 口にもしていないのに如月がその疑問に答えてくれた。


「春休みになると混みますし、知り合いにあったら恥ずかしいので……」

「あー、なるほど」


 どうせ行くなら楽しめた方がいい。

 幸い明日は予定もない。というよりこの先も予定らしい予定はない。スケジュールは空白だらけだ。


「よし。それなら明日行くか」

「ありがとうございます!」


 それから俺たちは開演時間の少し前に着くよう出発時間を決めた。


「それでは明日の朝、駅前に集合で」

「ああ、わかった」

「——柳沢さん」

「ん?」

「明日は楽しみにしてますね、おやすみなさい」


 完全に不意打ちだった。

 おやすみ、と返す前に通話は切れた。


 挨拶には挨拶を返すのが礼儀だろう。

 棋譜が飛び交うトークルームのメッセージを打つ欄に『おやすみ』と打つ。


 しかしその四文字が妙に恥ずかしくて俺は文字を消した。

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