30話 高嶺の花の同級生に義理チョコのお返しをした
「……朝か」
俺は立ち上がるとカーテンを開ける。
チュンチュンと小鳥がさえずる音が聞こえた。
昨日は負けてはいけないと頭を使ったせいか、あの後安堵した俺は睡魔に意識を持っていかれてしまっていた。
しかし、そのおかげでこうしてすっきりした目覚めのいい朝を迎えられている。
太陽光を浴びながら俺はぐぐっ、と伸びをした。
まさか昨日、如月の親と対面することになるとは思いもしなかったな。
「怖かった……」
結婚の承諾を貰いに行ったときの親の目ってああいう感じなのだろう。
出来れば二度とあんな思いはしたくない。
俺が将来結婚するようなことがあったら、まず条件として親への挨拶をしないでいい人を確認するくらいには怖かった。
しかしそんな間柄の人は現在いないわけで。
結婚をしないかあるいは相手方の親が亡くなっているかでもしない限り、俺は人生であと一回は経験することになるようだ。
——いや。
……如月とより深い関係になればもう挨拶をしなくて済むのか。
まあ、そんなことはありえないと思う。
それでも、もしかしたら何の因果か万に一つの可能性があって俺と如月がそういった関係に発展したとしたら、俺は素直に喜ぶと思う。
何故かって?
それは如月のことが嫌いになる理由が今のところないからさ。
***
如月宅に着くと扉を開けて如月が出迎えてくれた。
「こんにちは、柳沢さん。今日は来てくれてありがとうございます」
「別にいいよ」
「……」
「……」
昨日の俺のセリフが尾を引いているのだろう。
俺たちの間にしばし沈黙が流れた。
それでも物事というものは常にその状態を保ち続けるわけではない。
例えば、釘はそのまま放置しておいたら何もないように見えてもいつかは酸化して錆びてしまう。
しかし扱いようによってはより美しくなることもあるのだ。
ただ、その扱いを間違えないという保証はない。
「——あの、柳沢さん」
何か言いかけた如月が口を開いた時、背後からぬっ、と大きい影が現れる。
「やあ。はじめまして、かな。柳沢君。さあ、入ってくれ」
電信柱のように細身で背の高いそれは如月の父親だった。
細縁の眼鏡をかけており、これにスーツを着込んだらまさに仕事のできる人、というイメージだ。
「お、お邪魔します……」
俺は萎縮しながら靴を脱いだ。
***
「そうかそうか、そんなことがあったのか。いやー、柳沢君に来てもらってよかったよ。おかげで令のいろんな話が聞けるな」
「それはよかったです」
はあ、と心の中でため息をつく。
さっきまでの堅い印象はどこへ行ってしまったのだろう。
警戒していた俺が馬鹿みたいだ。
話してみると如月父はかなり好印象で、かつ聞き上手だった。
適度なところで相槌を打ったり、ここはどうだったんだと質問してきたり。
聞き手が上手いと話しても口がよく回るわけで、俺もだんだん楽しくなって語り過ぎてしまったせいか若干疲労が溜まってきている。
しかも聞いているのは如月の父親だけではない。
如月本人もいるのだ。
本人の近くで思い出を語るなんて、新手の拷問かな?
「そういえば二人はどうやって知り合ったんだ?」
「えっと……確かバイト先で見かけたことがきっかけですね」
とこんな感じで、言葉に細心の注意を払えば俺の精神も磨耗するわけだ。
あえてチョコのことは言ってない。
それに嘘は話してないし、これくらいは勘弁願いたい。
すると如月父が眉を潜めた。
まさか突っ込んで聞いてくるつもりか、と思ったがそうではなかった。
「あいつの店か……よし、せっかくだから岩崎も呼ぼう。どうせ暇してるだろ。柳沢君、このあと時間があるなら昼ごはんも食べていくといい。君たちは以前焼肉パーティーをやったそうじゃないか。私も混ぜてくれ」
そして岩崎が大量の肉を抱えてやってきて二回目の焼肉が始まった。
食事中はさすがに質問責めに合うようなことはなかったから気が楽だったし、味も美味しかった。
しばらくして如月父と岩崎が真昼間からお酒に手を出し二人で語りはじめたのでここがお暇するタイミングか、と俺は酔いが回ってきている二人に一声かけて席を後にした。
しかし玄関まで出たところでドタドタ、と走る音が聞こえた。
「柳沢さん、少し送っていきますね」
「いいのか、あっちの二人は」
「別にいいですよ。あの人たちも大人ですから」
「そうか」
そのまま俺たちは道なりに歩いていく。
「……昨日はありがとうございました」
「そんなに感謝されるようなことでもないよ。あれは俺が起こした問題でもあるからな。それに結局勝負は負けたし」
「いいえ、柳沢さんは負けてませんよ」
首を傾げる俺に如月は得意げに語る。
「確かに将棋では惜しいところで負けてしまいました。私も本当は応援したかったのですが将棋は助言になってしまいかねないですから……でも、柳沢さんにはこうして今日も会えています。つまり試合に負けて勝負に勝ったんですよ」
気づけば俺たちはスーパーの前まで来ていた。
「あれからもう一ヶ月ですね」
如月が懐かしそうにそう言う。
「あの日、私たちが話ようになったきっかけは柳沢さんの優しさです。きっとその優しさが私の父にも伝わったのではないでしょうか」
「……美徳なのかもな」
「はい。私もそう思いますよ」
なるほど。
三木が言っていたこともあながち間違いではなかったということか。
「それから……私のことをあんな風に思っていてくれて嬉しかったです」
「……ほじくり返さないでくれ。あの時はどうかしてたんだ」
「ふふっ。私たちは友達以上、でしたっけ?」
「やめてくれ、精神的にキツいから本当に」
このまま弄られては敵わない。
話題を変えてもらわなくては。
と、その時打開策を探す俺の脳に電流が走った。
そういえば話し込んで忘れていたことが一つあった。
これはどうせなら今日やっておきたい。
……このタイミングで渡すのもどうかと思うが、まあいいだろう。
俺はバッグの口を開けると中からある袋を取り出す。
「如月」
「はい、何ですか?」
「これ、この前のお返しな」
そう言って俺は、ほいっと飴を渡す。
すると如月も今日が何の日か思い出したらしい。
「あ、ありがとうございます……そんなつもりはなかったんですけど……」
「いらないなら返してもらって構わない」
「いえ、そんなことはありません。とても嬉しいです」
如月が満面の笑みを浮かべたのを見て俺の胸に甘酸っぱい気持ちが広がる。
「……何を渡すか迷ったんだけど、飴にさせてもらった。それなら何かやりながらでも食べられるだろ。勉強の間の糖分補給にでも使ってくれ」
「はい。大切にいただきますね」
三月半ばなのにここだけ気温が高い気がしてならない。
そろそろ離れないと茹ってしまいそうだ。
「それじゃあ」
俺はくるり、と回れ右の要領で回転すると歩き出す。
「あっ、柳沢さん」
その背中に如月の声がかかった。俺は足を止めてそちらを向く。
春の風が如月のさらりとした髪を揺らす。
如月の口がゆっくりと動いた。
「——その、これからもよろしくお願いしますね」
一ヶ月前まで、こんな光景が待っているなど俺は想像もしなかった。
全ては少しの美徳とあの義理チョコから始まったのだ。
俺は如月の目を見てこう答えた。
「もちろん、こちらこそよろしく」
〜あとがき〜
ここまでご覧いただきありがとうございました。
エンターキーの押しすぎで腱鞘炎のようになるなど身を削って書いていた作品ですがみなさまが読んでくださったおかげで私も続けられました。
当初の予定ではここまでしか考えておらず、ここで終了でもいいかなと思っていたのですがブックマーク、星、いいねなどの温かい応援もありましてしばらく様子を見ながら更新できていけたらと思っております。
……毎日はおそらく厳しいですがあたたかく見守っていただけると幸いです。
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