28話 譲れない戦いに挑んだ

 譲れない戦いというものは突然やってくる。


 覚悟をしていなくても、人間はその時に覚悟を決め挑まなくてはならないときがある。


 これは譲れない戦いであると同時に避けて通ることのできない戦いでもあった。


 俺は目の前に置かれた将棋盤を睨みつける。

 

 絶対に勝たなければならない。


 己のプライドと——それから如月のためにも。


***


 ——数分前のことだった。


「だからこの銀は無視してここは攻めればよかったんだ」

「そうだったんですか」


 俺たちはオンラインで感想戦を行っていた。

 

 約束通り土曜日である如月から連絡があり、この後オンラインでお願いできますかと送られてきたので引き受けたのだ。


 ここのところ如月は目まぐるしい成長を遂げている。

 一つの戦法をしっかりと覚え、加えて応用もできるようになってきた。そろそろ部の他のメンバーと対戦してもいい頃合いかもしれない。

 

 猪井はもちろんのこと、和田ともいい勝負になるだろう。もしかするとあっけなく打ち負かしてしまう可能性もある。俺も気を抜いたら如月には負けてしまいそうになるし充分射程圏内だ。


 そんな取り留めもない妄想をしながら説明をしているとスピーカー越しに如月以外の男の声が聞こえてきた。


「おーい、大丈夫かー」


 ガチャリ、と扉が開く音に如月がハッと息を飲む。


「——お父さん、ノックくらいして!」


 盤面を捉えていた画面が何もない床に切り替わった。

 如月が声のする方向を向いたためだろう。


 父と呼ばれた声の主は狼狽える。


「ど、どうしたんだ、突然部屋に篭ったと思ったらなかなか出てこなかったから父さん心配しただけだぞ。そんな強い口調で言わなくても——」


 ここで如月の父は一度言葉を切ると意外そうに言った。


「それ、将棋盤か」


 その直後、ガサガサっとマイクに雑音が混じり、カメラが激しく動く。

 

 うっ、と俺は画面酔いしかけた。如月が将棋と盤を隠そうとしたのだろう。だが既に後の祭りだ。


「急にどうしたんだ。そんなもの出したりして。ってもしかして誰かと話してるところだったのか?」

「だから早く出て行って。酔っ払いは呼んでないから」

「父さんは酔ってないぞ」

「酔っていないって言う人ほど酔っているの。いいから出てって!」

 

 如月がタメ口をするなど、寝ぼけている時以来の非常に希少な光景だ。


 しかしその分プライベート感がすごくて居心地の悪さを感じてしまう。他人の私生活を覗き見しているようなものなので、このまま聞いてていいのか迷うところだ。

 

「もしかしてその相手は柳沢さんかい?」

「……そうだけど」

「そうかそうか。それなら挨拶しないとな」


 少し意外に思った。

 如月から俺の話は聞いていたらしい。

 だというのに娘に寄り付く悪い無視などと激昂しないのだからひょっとすると性格の良い人なのかもしれない。


 ところが如月は父の提案を一刀両断するかのように短く言い放った。


「しなくていい」

「どうしてだ、いつも娘がお世話になってるんだ。これくらいしてもバチは当たらないだろう」

「後で伝えておくからそれでいいでしょ、ほら、早く出て行って!」

「わかったわかった。でも珍しいな。最近は女子の間で将棋が流行っているのか?」


 ここまでの会話を聞いて俺はある可能性に思い至った。

  

 如月の父は俺のことを「柳沢」と呼んでいたこと。

 女子の間で将棋が流行っていると言ったこと。


——もしかして俺、女だと思われている?


 それなら如月の父親が友好的な理由もしっくりくる。

 

 ……勘違いされているならそのままでいいか。


 俺は黙っていることに決めた。

 

 父親を追い出すと如月は申し訳なさそうに謝ってくる。


「すみません、もう大丈夫です」

「なんとかなったみたいでよかった」

「……はい。お騒がせしてすみません」


 二回も謝らなくていいのに。


「いいって。じゃあ再開するか」

「そうしたいところなのですが、今ので盤面が崩れてしまいました……」

「……あー、じゃあもう一回やるか?」

「——はい、お願いします!」


 ぱあっ、と輝きを取り戻すかのように如月の声のトーンが上がった。

 それで喜んでもらえるのなら安いものだ。

 

「それじゃあ、一旦切るから——」


 しかし、俺たちは再開することができなかった。


「——令。その声、一体誰と話してるんだ?」


 俺の体温が急激に下がっていく。

 それは、紛れもない如月父の声だった。


「お父さん……」

「誰と話しているんだ」


 さっきまでの人のいい声が嘘のように冷たい。

 如月が小さく呟く。


「……柳沢さんです」

「長距離走の練習を一緒にしたのはこの人か?」

「……はい」

「もしかして一緒に遊びに行ったっていうのもその人なのか」

「…………はい」

「その人は男か」

「………………はい」


 如月の声がどんどん尻つぼみになっていく。

 だが、俺にはどうすることもできない。

 ここで口を開いたところで事態を悪化させる未来しか見えない。


「少し、柳沢君と変わってもらえるかな」


 表示されていた画面が部屋の中をぐるり、と映してから画面いっぱいに男の顔が表示された。


「どうも、令の父です。娘がいつもお世話になっているみたいで。顔を見せてもらえるかな」


 抗う術はない。

 俺は黙って内カメラに設定する。


「君が柳沢君か」

「はい。その通りです」


 黒い目が画面越しに俺を睨み付けてくる。取り調べを受けるような気持ちになり萎縮しそうになる。


 娘を心配する気持ちはわかる。しかし、どうして俺はこんなことをされなくてはいけないのか。


 俺は悪いことなど何もしていない。

 睨まれるのはお門違いというものだ。


 それに、如月はノックなしに部屋に入られるのを嫌がっていた。

 酔っているとはいえ、二度も繰り返したマナー違反な人に俺が屈するわけにはいかない。


 心のどこかで火がついた。


 キッ、と睨み返す。


 しばらくバチバチとした状況が続いた後、如月父がふっ、と力を抜いた。


「君は令に将棋を教えているそうだね」

「はい、そうですが」

「実は私も昔ちょっとした大会で優勝したりしていてそこそこ自信があるんだ。お手合わせ願おうか。勝ったら何も言わない。好きにするといい。ただし——」


 俺は続く言葉を覚悟した。


「私が勝ったら、君はウチの娘に関わるな」


 やはりそうきたか。

 ひと昔前の少年漫画みたいなノリだが、ここで皮肉めいて返す気持ちは不思議と湧いてこなかった。

 

「安心してくれ。将棋くらいなら私も教えられる。それに強い人が教えるのが普通だろう?」

「——そうですね。いいですよ、受けて立ちましょう」

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