4話 爆弾が投下された

 三度、俺はスーパーに来ていた。


 昨日如月に長距離走の指導的なものを頼まれてしまったのだが、あれから悩んだ末俺は如月の指導を引き受けることにした。


 あの会話の時点で引き受けることはほぼ決まっていたようなものなのだが、やはり自分の意思をはっきりとさせることは大切だと思う。


 それに引き受けることは俺にとってメリットにもなることに気づいたのだ。

 三日前を思い出してみろ。

 高校生にもなってチョコ(それも義理)を貰っただけで泣く?

 そんな人、世界中探してもなかなかいないだろう。


 三木はそんな俺のことを心が美しいとか、やれ美徳だとか歯が浮くようなことを言っていたがおそらく素敵なものではない。


 単に俺は女性に対する免疫がなさすぎるのだ。

 だってそうだろ。例えば俺は三木から友チョコなるものを貰っても絶対に泣かない。

 実際一昨日買ったチョコをほい、と三木に与えたところ奴はご丁寧に新品の消しゴムをお返ししてくれたのだが何も感じなかった。せいぜいその真っ白さや整った四隅のカドを見てよく消えそうだな、と思った程度だ。


 しかしその消しゴムを如月から貰っていたとしたら俺はどう反応しただろう。

 認めたくないが後生大事に使うに違いない。

 少なくとも三木から貰うよりは大切にするだろう。


 つまり、そういうことなのだ。


 これは俺にとってもまたとない機会になる。

 ……それにあの高嶺の花と一緒に走れるというのだから役得だ。


 しかし勘違いしないように。


 今回一緒に走るのは如月の熱意に負けたからだ。彼女が努力する姿を見たからだ。

 これが大して努力もしていない奴だったら絶対に付き合わない。


 それに、だ。

 如月は俺に気があるわけでもない。あの時はっきり義理チョコと言われている。もしかしたらという淡い希望を抱くのも野暮だろう。第一これまで接点も無かったしな。

 

「……よし」


 自分にそう言い聞かせてから俺は店の自動ドアをくぐる。


 如月はすぐに見つかった。

 相変わらず店の制服であるエプロンが似合っている。……似合い過ぎている。

 こうまじまじと見ていると、どうもこの世の黄金比は彼女なのではないかと勘違いしてしまうくらいには似合っている。

 他の人が来てもこうはならないだろう。すぐ近くにいる他の従業員がそれを証明している。

 同じ店の制服でも着る人によってこうも印象が変わるか。その人もある意味似合っているのだが間違っても雑誌の表紙に載るようなタイプではない。ザ・主婦って感じだ。


 すると俺の視線に気づいたのかその女性が俺を見た。


 慌てて目を逸らしたがあろうことかその人は作業する手を止めるとズンズンと俺に近づいてくる。

 え? 俺何か悪いことした?

 俺が戸惑っている間にも従業員は近づいてくる。そしてついに俺の肩に手をおいた。

 

「キミ令ちゃんに会いに来たのよね。ちょっと待ってて、すぐ呼んでくるから。令ちゃーん」


 なんだ、優しい人じゃないか。俺はほっと胸を撫で下ろす。

 声は秒速340メートルの速さで伝播し如月がこちらにやってきた。


「はい」

「なんだ、そこにいたのね。ほら、令ちゃん。彼氏さんが来たわよ」


 ——あまりにも何くわぬ顔でいうから流してしまいそうになった。

 か、彼氏!? 俺が!?


 にわかには信じがたいがその指先は間違いなく俺に向けられている。


「——ち、違いますよ。俺は彼氏なんかじゃありません」


 慌てて否定したせいで言葉に詰まった。冷静になれ。俺。


「如月は同じ学校の生徒です、それ以外何もありません」

「そうです、柳沢さんはただの同級生です」


 絶句していた如月も援護してくれる。


「まあまあ、二人とも息ぴったり」

「だから違いますって!」

「もう、本当に違うんですよ。岡本さん、信じてください」


 岡本だかなんだか知らないがこのおばさん面倒臭いな。大阪のおばちゃんか?

 だけどそんなの関係ない。俺と、それから如月の名誉のためにもこのまま押し切ってやる!


 しかしこと恋愛おいておばちゃんは強かった。まるで水を得た魚のようになると俺と如月の腕をとる。


「そんな恥ずかしがらずに。そうだ、せっかくだから休憩先入りなさいよ。その仕事代わっとくからさ。あ、何ならバックヤード使ってもいいわよ」


 そのままこちらの話を聞かずに俺たちを連行する。そして部屋に連れ込まれたかと思うと最後に「ごゆっくり〜」と残して嵐のように俺たちの前から姿を消した。


 ……如月はこの人から長距離走を習ったほうがいいんじゃないだろうか。

 そう思えるほどのタフさだった。


 しばしの沈黙の後、如月がしずしずと口を開いた。


「その……すみませんでした」

「……いやこればっかりはどうしようもないだろ。別に如月が悪いわけじゃないしな。むしろ今時あんな人いるのかって驚いたくらいだ。あれ絶滅危惧種だろ」

「普段は岡本さんも優しくていい人なのですけど。私もああいう性格だとは知りませんでした。ところで話は変わりますけれど、柳沢さんとは結構な頻度で会いますね。あまり利用しないと言っていましたが」


 話が変わったおかげで俺ははっとした。

 ここに来た理由を果たさなくては。

 伝えないとからかわれ損というものだ。


「ここ最近が異常なだけだ。今日来たのも物を買いに来たわけじゃない。昨日頼まれた件について伝えようと思っただけだ。だけど学校で話すタイミングがなかっただろ」


 言ってて我ながら馬鹿だなと思う。一応放課後自習室も見に行った。しかしそこにいないからといってバイト先にいるとは限らないだろ。伝えるのは別に明日でも明後日でも構わないのだから。

 ……まあ空振ったら帰れば済む話か。幸い家からそこまで離れた距離でもないわけだし。

 何より善は急げ、だろう。

 

「俺でいいなら引き受けるよ」

「ありがとうございます。てっきり断られるかそのままなかったことにされてしまうかと思ってました。でも私も無理やり過ぎました。あの、気乗りしないようでしたら今からでも断ってくださって結構ですよ」

「いや、やるよ。それに後からついてくるだけだろ。思えば全然俺に害はないんだ。今度の土曜か日曜はどうだ。如月の好きなでいいぞ」

「そうですね……幸いその日は二日とも空いています。時間帯にもよりますが柳沢さんの都合に合わせますよ」


 俺の走る時間帯はまばらだ。走っている理由も元々親に優しく追い出されているようなものなので頻度もその采配、気分次第になっている。

 しかし今回は自分の意思で家を出ることになる。


「そうだな。無難に午前中はどうだ。九時くらいとか。それと苦手なら土曜のほうがいいかもな。筋肉痛とか起きたら困るだろうし」


 と、そこまで言ったとき部屋の扉から軽快なノック音が聞こえた。


「如月君、入るよ」

「はい。どうぞ」


 話を中断する形で入ってきたのは細身の男性だった。


「店長」


 慌てたように如月がお辞儀をする。

 すると店長と呼ばれた男は「やめてくれって言ってるだろ」と手をひらひらとさせると部屋の中央に置かれていたソファに腰掛けた。


「君たちも座りなよ」

 

 手で指し示された向かい側に俺たちも座る。

 店長はラフな格好をしていた。

 若いのか歳をとっているのか、その風貌から年齢は判断しにくい。

 しかし銀色に光る小さな指輪をしているところを見るとそれなりに人生経験は積んでいるのだろう。


「さて。柳沢君だったっけ。初めまして。僕はこの店の店長をやらせてもらっている岩崎だ。如月君や岡本さんから話は聞いているよ。この前はありがとう。おかげで事故を未然に防ぐことが出来たよ」


 何をされるかと思ったら突然感謝されてしまった。

 居心地悪く俺はソファに座り直す。


「ああ、気楽にしてくれ。うちは文字通りアットホームな職場を目指しているから。とにかく僕は感謝しているんだよ。あの台車だけどね、どうやら如月君は僕らに気をつかっていたみたいだったんだ。まったく、こう見えてもうちにだって台車を買い換えるくらいの余裕はあるんだ。そんなこと気にしないで遠慮なく言ってくれればいいのに」

「その節は本当にすみませんでした……」

「この前も言ったけど君が怪我しないことが何より大切なんだよ。お金なんか二の次だ。癒えない傷はあるけれど稼げないお金はないからね。これだけは口をすっぱくするよ」


 如月は大人しく岩崎の話を聞いていた。

 岩崎の言うことは理屈が通っている。しいて言うならば怪我でもされて店のブランドを傷つけられたら困るという思惑もあるかもしれないが。


「柳沢君。もう知っているかもしれないが如月君はひどく真面目でどうも根詰めてしまう癖があるみたいだ。ここだけの話、バイトも結構入ってる。だから君が隣でしっかり見守ってあげるんだよ」

「それは確かにその通りかもしれません。でもどうして俺にそんなことを言うんですか」


 すると岩崎は不思議そうな顔をした。

 

「え、だって君、如月君の彼氏なんだろう?」

「違います」

「……如月君、そうなのかい?」

「その通りです。柳沢さんとは付き合っていません」


 しばし沈黙が流れる。

 やがて岩崎が頭をかきながら口を開いた。


「そうかぁ。それは失礼した。パートの人が言っていたからてっきりそうなのかと」


 この時、俺と如月が思い浮かべた人物は同じだっただろう。

 岡崎あのおばちゃんか。


「あの日柳沢君が来てから如月君も珍しく嬉しそうにしていたし。それにちょうどバレンタインだっただろう?」


 如月が嬉しそうにしていた?


 ???と俺の頭の中に疑問符が浮かび上がる。


「店長。私はまだこのバイトを始めたばかりです。右も左もわからない中で助けられたら誰だって安心するでしょう。それにあの台車でバランスを取るのは結構骨が折れました。嬉しそうに見えたのはきっと緊張が解けたからです」

「そうか。うん、そうだね。よし、これはお詫びだ。もう如月君は上がっていいよ。あとは僕たちで回すから。柳沢君も付き合ってもらって悪かったね」


 さすがに自由すぎないか?

 すると俺の心を読んだのか岩崎は立ち上がるとこんなことを言った。


「うちはフレックス制も導入しているんだ」


 続けてバチコーン、と俺にウインクをしてくる。

 これはどういう意味なのだろう。

 少なくとも何かしらの誤解をしていることは確かだ。


「さて、僕は行くよ。今から岡崎に注意してこないとね」


 スタスタと部屋を出る岩崎。


「店長、待ってください。さすがに私もまだ働いていきます」


 そりゃそうだ。

 自分の職務に戻るべく如月は店長を追いかけて行った。

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