15話 言えないことがあった
翌日。
再びスーパーに向かった俺だったが如月を見つける事はできなかった。
あの如月が二日間も休むなんてあり得ない。
やはりこれは何かあったのだろう。
気になって仕方がない。
「……はぁ」
だが一方で心のどこかに俺にはどうすることも出来ない、と半ば諦めている自分がいるのも事実だった。
一応如月とはそれなりに接点がある。ましてや長距離走のことをまだ聞けていないのだからこの件は俺にとって乗りかかった船のようなものだ。
だから心がざわめくのは当然のことであるし、問題があったのなら手を貸したい気持ちもある。
しかし本人がここにいない以上、俺は何もすることができない。
その悩みや不安その他何らかの如月が休んでいる原因を取り除くどころか耳を傾けることすらも不可能なのだ。
「……いや、まだ可能性はある」
どうやら俺はまだ頭が十分に回っていないらしい。
焦ってはいけない。
まだ昨日みたいに如月がいないと直接聞いたわけではないのだ。店の奥にいる可能性もある。
俺はバックヤードへと続く道を見た。
例えばそう、あの扉からひょっこり現れたりするかもしれない。
なんてことを考えていたら丁度その扉が動いた。
まさか——
俺は淡い期待と共にスローモーションのようにゆっくりと開いていく扉に釘づけになった。
しかし中から出てきたのが岩崎だと気づくと期待は急降下した。
「あれ、柳沢君じゃないか。どうしたんだい——ってどうしてそんなため息をつくんだ、僕に何か恨みでもあるのかい?」
いけない、態度に出てしまったみたいだ。
軽く咳払いをして俺は気持ちを切り替える。
「岩崎さん。如月は今日も来てないんですか」
「あー、やっぱりそれを聞いてくるよなぁ……実はそうなんだ。今日も如月君は来てないよ」
「どうしてか教えてもらうことって出来ますか」
「ごめん、それは僕の口からは言えないな」
頭をかきながら岩崎は申し訳なさそうに俺を見た。
仕方ない。向こうにも守秘義務というものがある。むやみやたらに他人の情報をばら撒く事はできないのだろう。
しかし、頭ではそう理解しておきながら俺は食い下がっていた。
「如月が心配なんです。それに休んでいるのは俺のせいかもしれないんです。だから少しだけでも教えてもらうことはできませんか、お願いします」
そして深々と頭を下げた。
俺のせい、そう思い至ったのには理由がある。
如月は真面目だ。
真面目が故に俺みたいな素人に助言を求めた。
仮に如月が結果を出せていなかった場合、教えてもらっておいてこの体たらくか、と自分を責めているのかもしれない。
いい順位が出せなかったときは俺の責任でもあるというのに。
あるいは以前俺が軽く発破をかけたせいで責任感を感じて無理をした結果足を痛めた可能性もある。
こう考えるのは思い上がりかもしれない。
全てふわっとした何の根拠もない妄想だ。
それならば疲れてて来てない可能性があるなどと考えた方がよっぽどしっくりくる。
通常ならそう思うだろう。
だが如月に限ってそれはあり得ない。
彼女なら体力がない程度では休んだりしないだろう。現に練習の後もバイトに入ろうとしていたのだ。おそらく無理してでもバイトに来るだろう。それが如月令という人間なのだから。
そんな如月だからこそ、どうにも悪い考えが俺の脳裏に浮かんでしまうのだ。
スーパーの床に映る自分の影を視界にぼんやりと収めていると、岩崎が口を開いた。
「悪いけどそれはできない」
「……そうですか」
そうだよな。そう簡単に口を割ってはいけない。みっともないお願いをした俺が馬鹿だった。
「というのも如月君に口止めされているんだ。特に君には言わないでくれってね」
——俺に言えないようなこと。
これで確定してしまったわけだ。間違いなく俺がやったことと因果関係がある。
「ところで。今から僕は如月君の家に様子を見に行くんだけれど、きっと誰かがついて来ても気づかないかもしれないな。うん、きっと気づかない。そういうわけだから、後はわかるね?」
驚きのあまり俺は顔を上げて岩崎を見ていた。
そして言の葉の意味を飲み込むと再び頭を下げた。
「——ありがとうございます!」
***
ピンポーン、という軽快なインターホンの音が鳴ってから随分と時間が経過した。
如月の家の前で俺はそわそわとしている。
本当についてきてしまってよかったのだろうか。若干の罪悪感がある。
だが何だかんだ言いながらここまで来てしまった。もう後には引けない。
その時ガチャリと玄関扉から開錠する音が聞こえ、中からパジャマ姿の如月が現れた。
「お待たせしてすみません」
よかった、ぱっと見は元気そうだ。
しかし、岩崎の背後にいる俺の存在に気づくと如月が急に扉を閉めようとした。
まずい。このままだと一言も会話できずに終わってしまう。
だが、如月よりも早く岩崎が動いた。
予め予想していたのだろう。
すかさず扉との隙間に足を差し込む。
閉められようとする扉はガッと音を立てて止まった。
「岩崎さん、やめてください! どうして柳沢さんまでいるんですか! 私言わないように言いましたよね!?」
扉を引いたまま如月た声を張り上げる。
「確かに言うなとは言われたけれね。でも柳沢君を家に連れて来てはいけないとは言われてないよ」
「そんなの屁理屈です!」
「そうかもしれないね。でも柳沢君もいろいろ気に病んでいるみたいなんだ。それじゃあ誰も報われない。そんなの嫌だろう。……後、痛いからそろそろ引くの止めてもらえるかな?」
すると何か思うところがあったのだろう。如月の動きがおとなしくなった。
やがて諦めたように如月が力なく言う。
「……わかりました。ですがこんなみっともない格好を柳沢さんには見せられません。せめて一枚羽織ってきてもいいですか」
***
一度扉をしめた如月だったがしばらくすると約束通り顔を出した。
チラリと覗くパジャマもなかなかどうしてかなり似合っているのだから、恥ずかしがる事などないのに。
「えっと、柳沢君は如月君がバイトを休んだ理由が気になっていたんだよね」
岩崎はそう言うと如月に先を促す。
たっぷり渋った後彼女が答えた。
「実は……筋肉痛だったんです」
俺の頭がおかしくなったのかと思った。
「え? ただの筋肉痛?」
思わず聞き返してしまう。
「はい。筋肉痛です……」
「長距離走の記録が悪かったから落ち込んでいたとかじゃなくて?」
今度は如月が首を傾げた。
「そんな事ありませんよ。記録は期待以上でした。私がバイトに来れなかった理由は動けないくらいの筋肉痛だったからです」
胸につかえていたものが取れた気がした。
なんだ、そういうことだったのか。大事じゃなくてよかった。
あれ? でもそれだと色々おかしいことになる。
「俺に言えないってどういう意味だったんだ?」
「……その、心配させたくなかったんです。柳沢さんは優しい人ですから。これ以上迷惑をかけるのもどうかと思いまして」
俺は隣の岩崎を見た。癪に障るような微笑を浮かべている。さてはこいつ、全部知ってたな。
俺は細く長い息を吐いた。
「理由はわかった。だけど俺には遠慮しなくていい。秘密にされると気になってて逆に心労が溜まる」
「すみません」
「だから何だ、あー、その、如月は今まで通り気軽に相談事なりしてくれていいんだ。気を使いすぎないないでくれ…………まあ、何事もなくてよかったよ」
「——はい!」
いつもの声のトーンに戻った如月は100万ドルの夜景にも負けない笑みを浮かべた。
そう、これでいいんだ。俺は誰かが気に病んでいるところなんか見たくない。特に如月はそういった姿が似合わないのだから。
「では早速。柳沢さんにお願いしたいことがあるのですが……」
「ん、何だ。俺にできる範囲なら言ってくれ」
「その、きな粉ミルクを作っていただけないでしょうか?」
「了解。それじゃあ早速家、上がるぞ」
それくらいお安い御用だ。
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