14話 手が差し伸べられた

 すぅ、と大きく息を吸う。


 続けて息を細く、長く、ゆっくりと吐き出す。


 心を落ち着けるには腹式呼吸がいいらしい。


 寝ている時も人は無意識のうちにお腹が膨らむように息を吸っているそうだ。


 だが実際には胃などに空気が入っているわけではなく、やはり肺に入っている。

 では、何故お腹に行っているように見えるかというと、肺に押される形で横隔膜が下がっているからだ。それにより行き場を失った腹部の内臓やらが押し出され膨らんでいるように見えるだけなのだとか。


 もう一度俺はすぅ、と息を吸う。


 そして吐いてから現実を直視した。


 さて——


 これからどうしようか。


 まさか家に鍵を忘れるなんて。

 ひょっとしたら子供のとき以来かもしれない。だがあの時は俺が小さかったこともあり、親が出かけるといってもせいぜい近くのスーパーへ買い物に行く程度だった。だから帰ってくるまで待つという手段を行使できたのだけど、流石に今回はそうはいかない。何せ両親は旅行中だ。タイムアップを迎える前に心が折れてしまう。


 だが、親が子を置いて安心して旅行できるようになったように、その分俺も成長している。匙を投げるにはまだ早いだろう。


 例えば、そう。もしかしたら窓のロックがかかっていないかもしれない。一応確認してみよう。


 そんな淡い希望を抱きながら裏手に回ってみたものの、俺は文字通り膝を地につけることになった。


「終わった……」


 もはや服が汚れるのも気にならない。焦りのあまり土下座のようなポーズになりながら俺は必死に考えを巡らす。


 かくなる上は三木に泊めてもらおうか。

 あいつは今頃眠気眼をこすって自分の家へと向かっているはずだ。

 疲れているところ悪いけど電話で事情を説明するしかない。


 そう考え俺がスマホに手を伸ばした直後だった。


「私の家に来ますか?」


 澄んだ声が響いた。


 如月の声だとは分かっている。

 だが、その言葉にどこか信じがたい意味を孕んでおり、俺は反射的に振り返った。


 同時に一陣の風が吹き俺は目を細める。


 あるいは、眩しかったのかもしれない。


 如月は髪を揺らしながらこちらを覗き込むようにして立っていた。街灯の光を受けた瞳が宝石のようにまばゆい光放っており、俺だけを見つめている。


「あっ、もちろんずっとここにいても仕方がないから、という意味です。一旦落ち着ける場所に移動した方がいい解決策が浮かぶかもしれませんし」


 するとこちらが黙っているのを見て如月が慌てたように付け足す。

 気持ち早口で告げられた理由は、何故かストン、と腑に落ちた。


「あぁ……それじゃあ、宜しくお願いします」


 まるで催眠術にかかったかのように俺の口からするりと言葉が出ていた。


「それでは善は急げです。まだまだ暑いですし早く行きましょう」


 そう言うと如月はスタスタと歩き出す。


 ……まあ、俺が如月の家にお邪魔する頃には三木も家に着いているだろう。電話はそれからでもいいか。


 その時チラリ、と嫌な予感が脳裏をかすめたような気がした。


 だが、その理由まではわからない。何も問題はないはず、考えてみるが今の疲れ果てた頭では何も思いつかない。まあ、気づかないくらいだ。大したことではないのだろう。


 俺はあくびを噛み殺しながら如月の後を追った。

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