二年生編
1話 新学期(未満)が始まった
早朝だというのに肌寒いようなことはなく、窓から入ってくるうららかな陽気特有の風が俺の肌を撫でる。
終業式も終わり、気がつけば春休みも既に数日が失われていた。しかしカレンダーはまだかろうじて三月を保っており、まだ始業式が始まり新学期を迎えるまでにはいくらか日数がある。
つまり暦上俺はまだ進級をしていないことになるのだ。
高校一年生である期間は留年でもしない限り一生に一度しかない。
ならば、その最後の猶予期間を楽しむべきだろう。
と、俺は現実逃避じみたことを教室で考えていた。
「え〜。というわけでもうお分かりだと思いますが、今年もこのクラスの担任は私が務めます。顔馴染みの人ばかりですね」
また会えてうれしい、と言いたいのだろう。
だがそのセリフは成績の上がらない俺たちに対する皮肉だろうか、ともとれてしまう。
……ああ、本当の意味での春休みはどこへ行ってしまったのだろう。
「とはいえちらほら新しい顔触れもいますので、一応自己紹介くらいはしておきましょう。ではまず私から」
飄々と話し始める担任を前にして俺は新しくなった教室を眺める。
クラスは成績で決まる。
大まかに区切りがあって主にこのクラスともう一つ、体育とかで合同授業になる二クラスで人員のやり取りがされる。
だから俺が今いるクラスから落ちることは赤点を取り続けない限りほとんどなく、新しい顔ぶれは残念ながら上のクラスから落ちてきたやつ、元同じクラスで今いない顔は入れ替わりで昇級ならぬ昇クラスしたということになる。
誰が上のクラスに行くのかなんて、日頃の成績で大体わかっているのだから、クラスが上がったメンバーに対しては特に驚きはない。
……もしかしたら俺も、と淡い期待を抱いてなかったといえば嘘にはなる。
すうっと息を深く吸い吐いてから気分を切り替える。
まあ、後ろ姿から分かる限りではあるが、この様子だと担任の言うように去年とほぼ同じメンバーがクラスメイトになるようだ。
多少は入れ替わっているもののこれでは二年生になったという気があまりしない。
もちろん、なったばかりだからというのもあるかもしれない。
そのうち新入生の姿でも見かけるようになれば嫌でも実感するようになるのだろう。
そうこう考えているうちに、いつの間にか担任による自己紹介が終わっていた。
続いて教室の端から順に自己紹介が始まる。
どうしようか。そこまで話す内容もない。
……最悪、囲碁将棋部の部長をやってます、とでも言って乗り切ろう。
こういう時に名前の順が最後でよかったと思う。
なにせまだ考える余裕がある。
自分の番まで参考程度に耳を傾けるとしよう。
「あーあ、結局今年もあのクラスか」
放課後を迎え、下駄箱へ向かう時、三木が俺にそんなことを言った。
「そんなことクラス替え前から分かってただろ」
そう。自分でもまだ気付いていない潜在能力が買われることなどないのだ。
つっぱねながらも悲しい現実に同情していると誰かが三木の肩をぽん、と叩いた。
「一真。一緒に帰ろ」
振り返るとそこにはカバンを引っさげた泉がいた。
思えば制服姿は初めて見る。
こう同じものを着ていると泉が同い年であることを実感させられるな。
まさかコスプレという可能性は……ないよな、と俺の脳内に変な考えがよぎる中、泉の問いに三木が口を開く。
「途中までヤナギも一緒だけどそれでもいいのなら?」
「いいよ」
軽く返事をすると泉は俺たちのクラスの下駄箱を弄る。
「え?」
「どうしたんだい、ヤナギ」
この状況に違和感を覚えるのは俺だけだろうか。
「なあ、三木。なんで泉がうちのクラスの下駄箱から靴を出してるんだ?」
泉に聞こえない程度の音量で俺は三木に耳打ちする。
「うん? だって泉は同じクラスじゃないか」
泉が同じクラス?
でも俺は自己紹介を自分の番まで五十音順に聞いていたはず。
……いや、そういえば教室内の座席は黒板を中心として男女で半分ずつに分かれていた。
俺は男子の話しか聞いていなかったのだろう。
「……なるほどな」
「それに言っただろう? これから付き合いが増えるかもって」
そういえばそんなことを言われたような気もする。
ということはあの時にはクラスが上がることを知っていたのか。
……なんて性格の悪いやつなんだろう。
でも今は三木を問い詰めるより重要なことがある。
泉がこのクラスにきた、ということは只ならぬことを意味している。
なにせ、基本は上下二クラス内でのクラス替えなのだ。
その壁を破って来るのだから、降級要因である赤点の逆、満点近い点数を叩き出していなければならない。
これはひょっとすると、俺よりも成績がいい可能性もある。
ちょっと、いや、かなりマズイかもな……
俺はさりげなく探りを入れてみる。
「ちなみにこの前の模試何点くらいだった?」
「えっと、あんまり覚えてないけど英語が八割くらいだったかな」
「ふーん」
定期テスト、俺の順位が一人分落ちることが確定した。
……そういえば泉は初めて会った日、失敗しても諦めないで向かってたな。
そういう姿勢が勉強にも活かされているのだろう。
……こりゃ、負けるわけだ。
「そういうわけで改めてよろしく、柳」
ハキハキと泉はそう告げてくる。
ここが外国だったら手を差し出しているかのようなフレンドリーな挨拶。
泉が嫌なやつだったらどんなに楽だっただろう。
でもそんな態度をされたら、俺も応えなければなるまい。
「よろしく」
俺はそう返事をした。
その直後、三木がぼそっと呟くように漏らす。
「でも泉は得意科目が英語なだけであって、他はそこまで大したことはないらしいよ」
「……一真、なんのことかな? もう一回言ってみる?」
「僕は何も言ってないよ。さあ、帰ろうか」
とぼけてみせてから三木は逃げるように歩き出す。
その後を駆け足で追う泉。
リズムのいい靴音が響く。
こうしちゃいられない。
俺も急いで靴を履いてからその後を追った。
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