5話 AM9:35 関係

「なあ、随分仲が良さそうだけどどういう関係なんだ?」


 耐えきれず、俺はレジの待ち列で三木に尋ねた。


 誰との仲なんてわざわざ口にするまでもないだろう。


 泉と三木の会話を聞く限り、二人は長い付き合いのようだった。それだけなら顔が広いからと納得できるのだが、下の名前で呼ばれているのは解せない。俺の知る限り三木はあだ名か苗字で呼ばれるのがデフォルトであって、そんな風に呼ばれている姿を見たことがないのだ。


 というよりそもそも異性を下の名前で呼ぶのが珍しい。駅前にいるラブラブカップルくらいなものだ。茶化すつもりはないが、気になるのは当然だと思う。


 勿論他の人が聞いているところでは言いづらいこともあるだろう。


 だから会計は俺たちでやっておくと伝えて泉と如月にはレジの向こう側で待機してもらっている。大人数で並ぶのもおかしいので、違和感は持たれないはずだ。我ながらそこら辺の配慮は抜かりない。

 

「ああ、それね。泉とは幼なじみなんだ」


 まるで天気の話でもするかのように三木はそう言った。


「——幼なじみ!?」


 素っ頓狂な声が出てしまった。

 気にならないわけがない。もっと突っ込んで聞こうとしたが丁度レジの順番が来てしまった。


「袋は要りますか?」

「あっ、お願いしまーす」


 といったやりとりをする三木を眺めながら手持ち無沙汰になった俺は奴の発言について考える。


 幼なじみ。その存在はまやかしか何かだと思ってた。

 俺の周りにそう呼べる人は存在しないし、小説や漫画でしか聞いたことがない。


「……本当にあるんだな」


 例えるならツチノコ的なものだと思っていたものが絶滅危惧種だった、といった具合だ。


「ヤナギが何を言いたいかはわかる。でも、幼なじみなんてそんなに珍しいものでもないよ。それよりもヤナギと如月さんの関係の方がよっぽど珍しいと思うけどね」

「…………」


 ピッピッピ、とバーコードをスキャンする音だけが響く。

 何も言い返せなくなってしまった俺に三木は一呼吸置いてから再び口を開いた。


「ところでヤナギ」

「…………なんだ」

「今僕が持ってる分だと全員分の金額には到底足りないんだ」


 嫌な予感がした俺は諦め半分で聞いてやった。


「……だから?」


 次に返ってきたのは予想通りの言葉だった。


「払ってくれると嬉しい、かな?」 


 三木に喜んでもらえるとかそういう以前に、この場は誰かが払わなければならない。

 

 はぁ、とため息をついてから俺は財布を取り出した。


***


 公園までの道のりは早咲きの桜が満開を迎えていた。

 両手いっぱいの荷物をゆらゆらさせながら俺たちは歩き続ける。


「やはり一つください。私も持ちます」


 何度目かわからないセリフを如月が口にした。

 

「これくらい楽だから大丈夫だ。道案内してくれればそれでいい」


 俺は丁重にお断りする。

 

 この後如月は「そうですか、辛くなったら言ってください」と引き下がるのが既定路線なのだが——今回はそうならなかった。


 如月がずいっ、と距離を詰めてくる。


「柳沢さん、渡してください」


 心なしか低めの声で俺に迫る。


 だがおいそれと渡すわけにはいかない。


 理由は——まあ、なんだ。その、俺だって善行を積みたいときがある。

 道端でゴミ拾いをする奉仕活動のようなものだ。筋トレにもなるし一石二鳥。素晴らしい行動だ。


 それに、如月に重いものを持たせたくはないからな。

 

 だからここはうまく切り抜けなければならない。


 刹那の思考の後俺はもっともらしい断り方を考えついた。


「いや、大丈夫だ。ほら、如月は肉選ぶのも手伝ってくれただろ。それにこういう機会じゃないと持たないから筋トレついでに。それに、今勝負しているんだ」

「勝負、ですか?」

「ああ。ほら、三木も一人で持ってるだろ。あいつが持っているなら俺も持ち続けたいんだ。筋力であいつに負けたくないんだよ、といっても俺が勝手にやってるだけだけど」


 前方にいる三木も両手からパンパンに膨れ上がった袋を下げている。とはいえ中身はお菓子などの軽いものばかりなので確実に俺の方が重い。全く、こんなことなら最初から重さが均等になるようにしておけばよかった。


「というわけなんだ。だから大丈夫」


 すると如月は、


「……そうですか」 


 と言うと歩調を早めて先を歩き出した。


 ……怒らせてしまったか。


 もっといい理由があったのではないか、と後悔が俺の中で渦巻く。


 でもいいんだ。こういうのは俺がやればそれでいい。少なくとも如月がやるようなことではない。


 そのとき、一陣の風が吹いた。


 俺の目の前を桜の花びらが蝶々のようにひらひらと舞い、地面に落ちた。


 この時期になると毎回気になる。

 あれだけあった桜の花は一体何処へ消えてしまうのだろう。


 俺の脇にある柵。

 その向こうに流れている川を見ると水面に花弁が絨毯のようにぷかぷかと浮かんでいる。


「やっぱりそうなんだろうな」


 腕に力を込めて余裕がないのにもかかわらず俺は独り言を呟く。


 きっとあの花びらは風に吹かれ、たゆたって、そのままどこか遠くに行き最後は土に還るのだろう。

 それは桜だけでない。こうやってふらふらしている俺たちもいずれはそうなる運命にある。でも、終点に流れ着くその前に俺たちはどこへ向かうのだろうか。


「どうしたんですか?」


 近くでそう尋ねる声がする。


 振り向くと如月が戻ってきていた。


 先に行ったはずでは、と思いながら俺は質問に応える。


「……満開だな、って思っただけだ」

「そうですね」


 それから如月は何か思いつめるような顔をした後、こう切り出してきた。


「あのっ、今度お花見をしませんか?」

「お花見?」

「はい。この時期しかできませんから。その、気乗りしないようでしたら断ってもらって構いませんが……どうでしょう?」


 ……特に気乗りしない理由も断る理由も見当たらない。

 

「たまにはいいかもな」


 自然と言葉が出ていた。


 如月が顔をぱあっと輝かせる。


「では、近いうちに。楽しみにしていますね。それから——」


 ここでセリフを切ると何やらスッと真っ白い手を差し出してくる。


 指切りげんまんでもするつもりなのだろうか。だが、それにしてはやけにおかしな手の形をしている。

  

 しばらくそのポーズの意味を考え、俺はようやく気づいた。


 これは持っている袋を渡せ、ということなのだろう。


「俺は大丈夫だから。それにまだ三木に負けるわけには——」

「もう三木さんは一人で持ってませんよ」

「えっ!?」


 そんなまさか。

 前方にいる人影に目をやると、三木が持っていた袋はいつの間にか奴の隣にいる泉の手へと移動していた。


 そのとき、俺は一つの可能性に思い至った。

 如月が先に行ってしまったあのとき。

 あれは怒っていたのではなく、わざわざ三木たちに言いに行っていたというのか。どう言ったのかは知らないが、上手く誘導したのだろう。中々の策士っぷりだ。


「柳沢さん。腕、ぷるぷる震えてますよ。危ないから渡してください」

「……気のせいだろ」


 俺は必死に抑えつけようとする。だが、腕は小刻みに震え続けたまま。何とか取り繕わなければならない。


「それにこれは筋トレだからいいんだ」


 すると、もうこれ以上はどう言っても無駄だと判断したのだろう。

 何故か声のトーンを落としながら如月がこんなことを言い出した。


「……では、片側ずつ持ちませんか?」


 それは持ってる取手の片方を渡す、という意味だろうか。


 これはおそらく如月なりに考えた、苦肉の策なのだろう。

 俺が中々譲らないから。でも危ないと思ったから。かつ、筋トレの重量を極力まで減らさないようにするため。

 そういうことにしておこう。


 だが、俺にそれをする度胸はない。

 これは確証を持って言えるのだが、俺は片手にもう一つぶら下げているから非常に不格好なわけで。色んな意味で恥ずかしい。


 根負けした俺は持っていた袋の一つを如月に差し出す。


 フランス人形のようなその瞳が少しばかり細められ、頬が膨らんだような気がしたので、俺は目を逸らし、歩調を早めた。

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