6話 体育の授業があった
「ヤナギ、知ってるかい。今日の授業は外に出るみたいだよ」
休み時間。次の授業の体育に備えて着替えているところに三木が近づいてくるとそんなことを言った。
ジャージに着替えながら何を当たり前のことを言っているのだろう、と思った。俺は雑な返事をする。
「外ならここ最近ずっとそうだろ」
この時期、まだまだ外気は寒いというのに体育はいつも外で行われていた。授業中は動きやすさを重視するあまり防寒性を失った体操着を来なければならず、鳥肌がたってやまなかったのを覚えているから間違いない。
「違うよ。そういう意味じゃない。学校の敷地の外に出るって意味さ。今度長距離走があるだろ。そのコース確認をするんだって」
ああ、なるほど——と普段なら納得していただろう。だがその件については多少ではあるものの俺もアンテナを張っている。
「まだ一週間以上先だろ。何かの間違いじゃないか?」
如月に言われてから俺は長距離走の日程を確認した。
記憶通りなら確か三月一日だったはずだ。
コース案内をするにしても道順を忘れてしまっては意味がない。少し早い気がする。
しかし三木はチッチッチと指を振る。
「ヤナギはこの先の天気予報を見ていないのかい。この先は天気がぐずつくそうだよ。だから早めにやっておこうっていう寸法だね。先生同士が話しているところを盗み聞きしたから間違いないよ」
——ぐずつく。
ハッとして尋ねた。
「明日は大丈夫なのか」
一瞬、三木がどうしてそんなことを聞くんだ、と言いたげな表情をした。
だがすぐにいつもの顔に戻ると語り出す。
「土日は問題なかったね。降水確率も0パーセントだったよ。問題は月曜日からさ。その先の天気予報は雨、雨、雨。どうしようもないね」
それなら安心だな。
そう思ったら無意識のうちにつかえていた息をふぅっと吐いていた。
***
今日の授業は三木が言っていた通りになった。
校庭に出るとやたらとがたいのいい教師が校外に出ると宣言しそれを聞いた生徒たちの絶望する様子を見て満面の笑みを浮かべていた。少なくとも俺にはそう見えた。
公道に出ると俺たちは男女それぞれ二列の隊列を組んだままゆっくりと進み、川沿いに出るとここがコースであると告げられた。
そこは遠く長い一本道だった。
地面は陽の光を反射したコンクリートで黒光りしている。舗装されているのはありがたいが、走る人によっては膝を痛めるかもしれない。
と思ったらルートは途中でUの字をするようになっており川の反対側を通る帰路は小さな雑草が生えているような土の道だった。
他にも若干の砂利道があるなどなかなか一定のペースで進むことは難しそうに思えた。
本番はここを二周しなくてはならない。
ルートの確認も終わり、練習タイム。今は同じルートを皆思い思いのペースで軽く走っている。
おそらくこの授業時間中はこのまま走らされ続けると踏んだ俺はゆっくりと前後に散らばった走者たちの真ん中あたりを走っていた。
皆頑張るなぁ。
次の授業に支障が出ないようにしなければならない。寝てしまって怒られるなんてゴメンだ。
それに、だ。
俺は少し前の方を見る。
今回、自然条件を除けばこの練習はほとんど本番と同じ条件に思えるかもしれない。
だが本番とは明らかに違う点が一つだけある。
人数だ。本気で走っている先頭集団は別としてルートの大部分で人がひしめきあっている。
三月一日、タイム測定の日はこんなに道が混み合うことはまずありえない。
それはなぜか。
男女同時に走っているからだ。本番は野郎は野郎、女子は女子で測定を行う。
今日本気で挑もうとしてもスタートダッシュに遅れてしまえば道は話しながら走る女子陣に阻まれてしまう。わざわざ避けるのもスタミナを食うしな。
あと……俺の前を如月が走っている。
今日の如月は髪を後ろで一つに括っていた。いわゆるポニーテールっていうやつなのだが、走りながらその髪を揺らすその姿はいかにも健康的な女性という感じがした。さらに素人目ながらフォームがとても綺麗で非の打ち所がない。
素材がいいからだろうか。付け加えるのならジャージ姿も似合っていた。
「女子と一緒に走るだなんて何だか新鮮だね」
俺と並走していた三木が息を切らしながら言った。
「そうだな」
確かにあまりない体験だ。
以前、純粋な好奇心から俺は何故体育が男女で分けられるのか考えてみたことがある。
その結果二つ理由を思いついた。
まず一つ。体力面だ。
どうしても力では男女で大きく差が出てしまう。
たまに筋力がゴリラみたいな女子もいるがその手の人間は珍しいから注目されるのだ。
ほとんどの人は世間一般が想像するような女子でしかない。
そして二つ目。
学校側の無意味な事件を避けたいという思惑。
他の授業に比べて体育は接触する機会が多い。
思春期の男子が合法的に異性の体に触れることができるとしたら……
あとは言わなくてもわかるだろう。
というわけでこれは成長した俺たちにとって珍しい授業なのだ。
もちろん手を出す気はない。運動しているところを眺めるようなこともしない。
如月を見てしまっているのは頑張っている人を応援するとか教師目線とか親心的なやつなのだ。
やましい気持ちはないと宣言しておこう。
何せ今度一緒に走るのなら実力を把握するのは当然必要だろう。今のところペースが遅いせいか苦しそうな印象は見られない。苦手っていうのは如月が気に病み過ぎているだけではないか、そう思えるほどリズミカルに走っている。
「ところでこの前のヤナギの友人の話だけど」
「え?」
急に話を振られて俺は反応が遅れた。
何だっけそれ。
思い出そうとしていると三木が助け舟を出してくれる。
「ほら、義理チョコの話だよ」
「ああ、それか。それがどうかしたのか」
「あれからどうなったのかなって」
「どうなったのかって……あれから全く。何せ義理チョコだしな」
本命ならお返事、からのめでたくカップル成立って流れなんだろうけど。
だが三木が言わんとしていることは違った。
「わかってないなぁ。義理チョコでもチョコを貰った事実に変わりはない。当然ホワイトデーのお返しはするんだよね?」
「……いや、どうなんだろ」
お返しか……考えてもみなかったな。
歯切れ悪く答えると友人はやれやればかりに肩を竦めた。
「その様子だと聞いていないみたいだね。その人はどうもその手の行事には疎いみたいだ。こんど会ったら伝えておいてくれよ。ホワイトデーは三倍返し、これは基本だからね」
「へぇ。そうなのか。機会があったら伝えておくよ」
どこまで気づいているのか知らないけれどこのままやられっぱなしっていうのも癪だな。
だから前々から思ったことを聞いてみる。
「お前そういうことやけに詳しくないか?」
すると三木は白い歯をみせながらこう言った。
「これくらい一般常識だよ」
それじゃ、と三木は走るペースを上げた。その距離はみるみるうちに広まっていく。
……元気なやつだ。
道に設置された時計を見ると残り時間はあとわずかだった。
俺も気持ちだけペースを早めた。
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