2話 秘密の約束をした

「なあ、三木。義理チョコって何だと思う?」


 朝のホームルーム前、唐突に俺は三木みき一真かずまにそんな質問をした。


「どうしたんだよ、急に。……まさかとは思うけどヤナギ、義理チョコを貰ったのかい?」


 ペン回しをする手を止めた三木は目を丸くして俺を見た。


 三木は俺と中学の頃からの付き合いだ。そしてこの学校で唯一の気がおけない友人でもある。

 

 とはいえ俺も正直に話すつもりはない。それに俺が貰ったのは義理チョコ未満なので三木の言うそれにはカウントされないだろう。


「いや、単に気になっただけだ。それでどう思う」


 すると三木はつらつらと語り出した。


「義理チョコは一般的に日頃の感謝の気持ちを伝えたり人間関係を円滑にするために渡すチョコだね。当然そこに恋愛の感情は入ってこない。要は社交辞令みたいなものだね」


 言い終えた三木の眼鏡が蛍光灯を反射する。

 その姿は理知的な印象を受けるかもしれない。しかし眼鏡を外してしまうとそこから現れるのはのっぺりとして少し間の抜けたような顔だ。それ以降俺は三木にとって眼鏡は無いと彩り的に物足りないパセリのようなものだと思っている。


 実際頭脳はどうなのかと言われるとこれは謎に包まれている。何せ三木は成績を一切明かしてくれないのだ。

 だが張り出される成績上位者リストに乗っていないところをみると物凄い頭がいいわけではないのだろう。


「なるほどな」


 それじゃあ俺が貰ったものはれっきとした義理チョコだったのか。


「俺の友人に義理チョコを貰ったやつがいるんだ」

「それヤナギのこと?」


 真っ先に俺は否定する。


「違う。俺のことじゃない。大体、友人ってつくもの全部をそう考えたら一切友人の話ができなくなるぞ」


 まあ常套句ではあることは認めよう。


「それもそうだね。それで?」

「チョコを貰って泣いたやつってどう思う?」

「え?」


 意味がわからなかったらしい。それはそうだ。話しているこっちだって訳がわからない。


「そいつはチョコを貰った時何故か泣いてしまったらしいんだ。何とかごまかしたらしいんだけどどう思う?」


 少し間を置いてから三木は答える。


「正直ドン引きだね」

「……だよな」


 そう。そうなるのが普通だ。

 何であの時泣いたかな……。少し堪えれば円満に終わったのに……。


「ま、世の中にはチョコを貰えない人もいるしその人は貰えただけよかったんじゃない」


 そんなことはどうでもいい。

 俺は泣いたことを後悔しているだけなのだ。あんな情けないことあってはいけない。

 

 チョコを貰って嬉しくない……と言えば嘘になるというかまあやぶさかではなかったというか。


 その時背後から別の声が入ってきた。


「何だよ、ミッキー。お前チョコ貰ったのか」


 それは俺とはあまり関わりのないクラスメイトだった。


 三木は人に愛される術を心得ているのか男女問わず話しかけられているところをよく見る。

 そういう意味でこいつに聞くのが一番適任だと俺は考えた。単に相談できるやつが他にいなかった、という理由もあるが。


「いいや。義理チョコの定義の話をしていたんだ。僕は一切もらってないよ」


 そのまま二人は話し始めてしまう。


 俺もふんふんと話を聞いているそぶりをしているが徐々に机から離れて行く。


 何となくだが他のやつらとは馬があわないのだ。

 俺が一方的に避けているだけかもしれないがどうにもまだクラスメイトとは超えがたい壁が存在する。

 向こうも俺に話を振ってくれることもあるが、それが気をつかっているとありありと分かってしまってものすごい気まずいのだ。

 それなら最初から俺がいないほうがいい。 


 しかし今回はわざわざ俺が気を配るまでもなかった。

 

「おっとそろそろ時間だから席についた方がいいかもね」


 わざとらしく三木がそう言うと俺が離脱するより先に会話を切り上げたのだ。


 そして少し離れた位置にいる俺に目配せすると早口でこう告げた。 


「さっきの話だけど確かに気持ち悪いかもしれない。でも多分その人は心が綺麗なんだ。その友達に伝えといてよ。素直に泣ける感情が羨ましいって。それはヴァーチュ、美徳だよ」 


***


 人間、一時の感情に流されてはいけない。


 冷静になってみるとあれはあの時こうすればよかったな、と過去を振り返っては反省することがよくある。


 あのチョコを貰えて嬉しかったという感情もそういった一時的なものであって、満たされたのは物欲か、あるいは認めたくないがバレンタインに異性からチョコを貰えたという承認欲求のどちらかなのだろう。


 よって三木は美徳などと言っていたが俺はそんな綺麗なものに思えない。


 あるのは情けなさと恥ずかしさだけだ。

 このままだと一生心に傷を背負い続けることになるかもしれない。


 だからそれを少しでも軽くしようと思った。


 スーパーの前で大きく息を吸う。

 俺はこれから如月に会いに行くのだ。


 やることは大きく二つある。


 一つ。まず昨日の件についてどう思われているかを確認する。

 目にゴミが入ったと言ったが正直誤魔化しきれた気がしない。

 上手に、さりげなく聞き出さなくてはならない。俺の話術が試されている。


 そして二つ目。謝罪だ。

 俺が赤っ恥をかいている間如月には迷惑をかけたと思う。

 みっともないものを見せたことも謝らなければならない。


 それをして始めて俺の気持ちが清算できる。

 

 学校で話しかけることは躊躇われた。今まで全く関わりのない人間が如月に話しかけたら周りはどう思うことやら。

 一方ここでなら外聞も何もないし、一度経験しているせいか話しかけやすい気がする。


 問題は今日もここで働いているのか、だ。

 こればかりは運任せになる。

 

 店内に入ると飛び込んできたのはがらんとした空きスペースだった。

 昨日でバレンタインは終わった。

 それに伴い特設コーナーも片付けられたのだ。

 今もわずかだがその名残があり、撤収作業が行われている。


 その中に如月の姿を見つけた。 


 ……話しかけていいのだろうか。

 今更になってこれこそ迷惑なのではないかと冷静な思考が過ぎる。


 懸命にやっている姿を見てしまうと俺の自己満足のためにそれを邪魔する気にはなれなかった。


 ……止めておこう。


 代わりに俺は店内へと足を進める。入った以上何か売り上げに貢献しよう。それが俺なりの自戒だ。


 しかし、


「柳沢さん」


 あろうことか如月がこちらに気づき近づいてきた。

 予想外の出来事に俺が固まっていると如月は首を傾げる。


「柳沢亢さん……ですよね?」

「……そうだけど」


 下の名前まで覚えているのか。驚きながらも何とか俺は返答する。

 何を言われるのだろう。鼓動がバクバクと胸を打つ。


 如月が口を開く。


「昨日はありがとうございました。その、あれから目は大丈夫でしたか?」


 ——眩しすぎる。


 その口調は本気で心配しているように聞こえた。あれが演技だとしたらアカデミー賞ものだろう。

 頭の中で考えていた計画が全て音を立てて崩れていくのを俺は感じた。


「何も問題なかった。オールオーケーだ」

「それはよかったです。私が荷物を運ばせてしまったせいかと思って…… 」


 申し訳なさそうに如月が答える。普段大人びている印象のある如月だったが今ばかりは困った子犬のようだった。

 俺は慌ててフォローする。


「運んだことは全く関係ないから気にしないでくれ。それより作業に戻らなくていいのか」

「はい。でもまず怪我を防いでくれた柳沢さんに感謝を伝えるよう店長に言われていたので。カートも壊れてないものに交換してもらいました」


 それはよかった。店長も人が良さそうでここは恵まれた職場なのかもしれない。


「それとお願いがあるんですか……」


 如月がおずおずと切り出す。


「私がここで働いていること、秘密にしていただけないでしょうか。その、あまり知られたくないので」


 彼女が頭を下げると髪がふわりと揺れた。


 なんだ、そんなことか。

 特段拒否する理由もない。


「了解。誰にも言わないよ」

「特に学校の人には知られたくないんです。約束ですからね」


 俺が頷くと「お願いします」と残し如月は持ち場へと戻っていった。

 

 これが三木との約束なら冗談まじりに破ったら針を千本飲む、とか言っていたんだろうな。

 俺も店の奥へ進む。

 何を買うか決めていない買ったけど、そうだな、三木にチョコでも買っていってやろう。

 少し遅めの友チョコってやつをな。

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