第6話 ライムグリーンの涙

 今年もゴールデンウィークがやって来た。知の学園生活も短いが一休みとなる。そこで知は北海道を目指すことにした。二輪愛好家なら共感するはずだ。の地は底知れぬ魅力に溢れている。


 フェリーの予約時間を確認した知は上半身が全て隠れる程のリュックを背負いNSRの格納庫へ足を運ぶ。大きなリュックはタンデムシートも荷掛フックも持たないバイクで旅をする唯一の手段だ。そして格納庫とは月極のコンテナ型バイク専用パーキングである。


 格納庫から出されたNSRはいつもより入念に点検される。全項目にオーケーが返されると知は最後にETCカードの挿入をチェックする。用意が調った。一路、船が発つ港へと北上する。


 少子化、借金大国と叫ばれる中、どこに財源があるのかといぶかしく思うが、近年は道路整備が行き届き目的地までノンストップも可能となった。


 出港地が近付くにつれ無駄に広い直線となる高速。流しているつもりだった知もメーターに目をやると法定速度を大きく超えている。


「安全運転第一」


 アクセルを少し戻そうとした瞬間、後ろから迫る単眼が映った。接近するにつれ縦二眼へと変化する。


「ブサか」


 決して醜いフォルムを貶めて表現しているのではない。車名である。GSX1300R 隼「ハヤブサ」が知の横を駆け抜ける。追い越しに「駆け抜ける」とは不適切な例えだと感じられるかも知れない。だが知とブサの速度差は制限速度を軽く上回るものだった。


 知の好奇心が騒いだ。即座にシフトダウン、右手首を下に捻る。五速でパワーバンドを使い切るとシフトアップして回転計の伸びを観察する。これ以上は無理かな、と諦めかけた時、前方をトラックに塞がれたブサに追い付いた。


 後ろに付く知。ミラーに目をやるブサのライダー。


 ブサがクラッチを切り右手を前へ振った。


「先に行ってみろ」


 知の性格なら受けるしかない。メーターはとっくに振り切っている。更に加速を試みるが知のNSRは峠仕様だ。高速用のファイナルは備えていない。出力には未だ余裕があるのに吹けきってしまう。暫くして痺れを切らしたのか見限ったのかブサは勢いよく遠離とおざかっていった。


「このままでは無理ね」


 理解はしているが虚しさがぎる。


 その後、知は無事旅行を終え、何事にも代え難い想い出を沢山、持ち帰った。しかし長いフェリーでの時間に頭にあったのはスピードばかりだ。それが想い出を心の片隅に追いやった。


 日常が戻る。知にとって、もうすっかり我が物となったガレージだ。


「店長、スプロケット換えて。思いっ切りハイギアードに」

「山にそんなもん必要ないだろ。知、お前なに考えてる?」

「最高速。どのくらいか試してみたいのよ」


 店主の顔が険しくなる。


「公道でやらないと約束出来るか?」

「約束……」


 間の後、知の言葉が続く。


「約束出来ない」

「馬鹿野郎! お前になんかあったら俺が困るんだよ!」

「何で店長が困るのよ!」

「何でって……俺の店から死人は出したくない」


 結局、店主は初めて知の要請を拒んだ。


 一週間後の深夜二時。知は格納庫にいた。慣れない長時間作業により減速比を変更されたNSRを出庫する。


 店長に断られた知は自分でレンチを握ったのだ。


 ちらつく街灯のもと、控えめな暖機を終えるとインターへと発進する。


 都市高速を西へ向かう。料金所をくぐり続く自動車専用道路に入る。長距離輸送の貨物車がいるが昼間の喧騒が嘘の如く道は空いている。


 イナゴ街道(注1)との交差を越え上り坂にかかる。エヌシステムを抜けると知はスロットルを開いた。


 ここからゲートまでは維持管理に抜かりがなく幅も確保された直線と緩いカーブだ。つまりNSR程度の最高速テストには最適な道となる。


 交換された速度計の針が弧を描く。車体が軽いので横風に神経質になる。


 パーキングエリアの看板が見えた。本番だ。


 突如、知の前に一台、割って入った。ZXに見える。リアから来たのだから同じ輩か。知は利用させてもらおうとスリップに付く。ライムグリーンの前走車は知の速度、様子を把握しつつ自車をコントロールしている風だ。時折、現れるクルマというパイロンを知に危険が及ばないよう誘導しつつ滑らかに回避する。


 邪魔な空気を裂く楯を得たNSRは加速する。やがて六速でパワーバンドのリミットに達し、そこからは伸びなくなった。


 分かっただろう、と、ばかりに知の前を行く背中が走行車線へ戻る。知も素直に従い二台はランプから降りた。


 左折し揃ってドライブインに入る。楯の役割を果たしたパイロットがグローブを脱ぎ捨て知に歩み寄る。知のフルフェイスに拳骨が落とされた。


「馬鹿野郎! 命を粗末にするんじゃねぇ!」


 お馴染みの声だった。


「店長……」

「馬鹿野郎! 馬鹿野郎!! 馬鹿野郎!!! お前が死んだら俺はどうすればいいんだ」


 知の背中に両腕を回す店長。強化シェル同士がぶつかり柔らかな音を発する。


「ちょっと、店長、泣いてるの?」

「泣いてない、泣いてない、この馬鹿野郎」


 膝をつく店長。下を向いて防具の中の表情は読み取れない。


「悪かったよ、もうやらないよ」

「絶対だからな、絶対」

「うん、絶対」

「今度サーキットに連れてってやる」


 知は店長の手を取り大きな体を引き上げる。立った店長に無邪気な言葉が飛ぶ。


「てんちょ、何か食べてこう。ここ、結構、美味しいって聞いた。ほらヘルメット取って」

「あぁ、そうだな、先に行ってろ、俺はトイレだ」


 知が見えなくなったのを確かめると店長はヘルメットを脱いだ。涙と鼻水でぐしゃぐしゃのフェイス。そこに無愛想で冷静ないつもの店長はいなかった。





注1: 国道175号線を地元ではイナゴ街道と呼ぶことがあります。


(いつもの注意) 当然ですが拙いフィクションです。公道は法規遵守で利用しましょう。また不必要な空吹かしなどは迷惑です。節度を持って乗り物に接しましょう。現実のバイク屋さん、二輪車取扱店、ディーラー、店員さんとも失礼に当たらない距離感を保ちましょう。


バイク屋の店長は店にいる時は「店主」、店から離れると「店長」表記になります。会話文では基本的に「店長」です。

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