第26話 孤高のスナイパー

「もらったよ」


 シャッターを切り終わった女は立ち上がった。彼女の横を二つの疾風が駆け抜ける。束ねられた風は決まり事のように植物園前でほどかれ、それぞれは帰還の途に就いた。


 その翌週のことである。


「店長! PCお借りします!」


 飛び込んできた常連の一人が仕事が一段落したところのコンピューターを乗っ取った。場所は勿論、いつものバイク屋だ。


「なに血相変えてるんだよ?」

「店長、これ見てください」

「知と彼奴あいつだな。良い写真だ。それがどうかしたか?」

「アクセス数も見てください」

「一、十、百、千……え?」

「話題になってるんですよ、バズるって言うんですか」

「しかしなんで」

「もともと、このカメラマン、人気があるんです。なんでも写真が異様にリアルだとかで」

「それだけ?」

「最近は全国の峠を回って腕が立つ奴を狙ってるんです。その写真を見てライダーや場所を特定して聖地巡礼まで行われてるんですよ」

「だからってなにも変わらんだろ」

「まぁ、そうなんですけどね」

「ふーん」


 店主は顎を抱えながらモニターを覗き込み、全体を凝視した後、細部に目をやり呟いた。


「メディアに載っているような普通の写真とはなにか違うな。息を飲むような絵だ。吸い込まれそうになる」

「そうでしょ、不思議ですねぇ」

「写真家の名前は?」

「それが正体不明なんです。分かっているのはそこに表示されているアカウント名だけです」


 それから数日が経過し写真の一件は忘れられようとしていた。日常が流れ、カウンターでは知と久が無駄話を行っている。店主も時折、巻き込まれ、やる気のない相槌やボケを入れる。知のNSRはタイヤ交換のため店主が体良くピットと呼ぶガレージに据えられている。


「山はとにかく街はバイクで移動したくないよねぇ」

「なに言ってるんですか、知さんともあろうお方が。白氷でしょ、白氷!」

「暑いの苦手」

「うーん、じゃツーリング行きましょう、涼しいとこ」

「街を出るまでがねぇ。店長! エアコン強くして!」

「電気代、考えろ、バカやろー!」

「はぁ……」


 会話もダレてきた時だ。表に大型のツアラーが停まった。キャリアには軽合金の大きなケースが積まれている。ドアに吊された鐘が鳴る。


「いらっしゃいませ」

「オイル交換お願いできる? それともここ、一見さん、お断り?」

「とんでもありません。喜んでお引き受けいたします。バイクをピットにお願いします」

「ありがと」

「知、コーヒーお淹れして。それからクーラー強くして」

「……」


 店主は知に一声、発し、作業のためガレージへ消えた。


「私も見てきますー」


 妙なところに敏感な久は客に興味を抱いたようだ。


 来訪者はガレージにバイクを移動するとキャリアのケースから一台のカメラを出した。その様子を眺めていた店主から声が漏れる。


「フォビオン(注1)……」

「あら、あなた分かるのね。気が合いそう」


 客が店内へ戻ると久が店主に尋ねた。


「店長、フォビオンってなんですか?」

「カメラのNSRだ。撮れる絵は撮影者次第って感じかな」


 二度目の鐘を鳴らしスツールに着いた客が知に問う。


「あのNSR、あなたのでしょ」

「え、はい」

「何枚か撮ってもいい?」

「あ、どうぞ」

「それからあなたも」

「え」

「いいからいいから。気にしないで。コーヒーを淹れているところ撮るだけだから」


 一瞬、戸惑った知だが客は客だ。言葉通り気持ちを切り替えて気にしないことにした。


 知を数枚、撮影した客が再びガレージへ向かう。


 オイルを量っていた店主が手を止めた。


「持ち主の許可は取ってきたわ。ちょっとお邪魔するわね」


 片膝を立て屈んだ客が慎重にフォーカスリングに指を当てる。彼女は位置を変え、また数枚を静かに収めるとすぐに店内へ戻った。無駄撃ちはしない主義のようだ。


「良いお店ね」

「ありがとうございます」


 知は本来、店員でもなく自分の店でもないのに礼を述べてしまい、やや照れが出た。コーヒーが入ったので牧場のクッキー二枚を添えカウンターに置く。


「うん、美味しい」


 なぜかほっと胸を撫で下ろす知。いくらか緊張がけたので話しかけてみる。


「どこから来られたんですか?」

「東京。でもなんで?」

「初めてのご来店でオイル交換をご用命のお客様は少ないですから」

「東京からノンストップで来たのよ。だから帰る前にオイルを換えておこうと思って」

「ノンストップ、凄いですね」

「そうでもないわ」


 会話が弾もうかというタイミングで店主が現れた。


「終わりました」

「ありがと。じゃぁ行くわ」

「知、お会計して」


 支払いを終えた客が無造作にカメラを掴み去る。


「来て良かった。また来るわ」


 姿が見えなくなったのを確認すると久が口を開いた。


「なんだか独特の雰囲気の人でしたね」

「あぁ」


 知が疑問を挟む。


「あの人、なんで最初からNSRが私のだって分かったんだろう」

「どこかで会ってたのかもな、黒鳥のスナイパー」

「え?」


 不思議そうな表情を浮かべる知を余所よそに店主が悪戯っぽく笑った。


 翌日、例のカメラマンのアカウントに二枚の写真がアップロードされた。一枚は融けたタイヤの表面を克明に捉えたもので、もう一枚はコーヒーを淹れる女性の後ろ姿だった。前者には「氷解」というタイトルが付けられていたが後者には白氷を思わせるキャプションはなにもなかった。





注1: Foveon - 三層構造の撮像素子、イメージセンサーです。X3 Direct Image Sensor とも呼ばれます。


(いつもの注意) 当然ですが拙いフィクションです。公道は法規遵守で利用しましょう。また不必要な空吹かしなどは迷惑です。節度を持って乗り物に接しましょう。現実のバイク屋さん、二輪車取扱店、ディーラー、店員さんとも失礼に当たらない距離感を保ちましょう。長距離のノンストップ移動も危険です。適度な休憩を取りましょう。

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