第25話 響音士

 今年も各地で大雨による災害が相次いでいる。毎回、過去にない規模などとメディアはうたうが、それが近年は繰り返されているのであり、最早、異常気象とは呼べないのかも知れない。地球環境、人類は引き返せないところまで来ているのだ。その世界のターニングポイントに珍しく二日続けて晴れ間がもたらされた。


 以前にも触れたが山の天候は移り気だ。特にこの季節は日光が降り注いでいても、いつ空が泣き出すか分からない。泣き出さなくとも前日の降水により道に川が出来ているなんてザラだ。しかし、お天気カレンダーのスマイル連続、二個目となると話は異なる。


「今日は走れますねー!」

「うん、行ける」

「てんちょー! 行ってきます!!」


 店主が返事をする間もなく久はNZRに跨っている。


「知、無茶させないようにな」

「分かってる、じゃ」


 店を出た二台は「表」を駆け上がる。お決まりのコースだ。ウォーミングアップをこなすと丁字ヶ辻ちょうじがつじを左折する。「西」に入った。スロットルに蹴りを入れる。


 時折、薄いチャンバーによる破裂音を伴う乾いた排気、無駄を削ぎ落とされた単気筒のビート。この二つが入り交じり森の静寂に命を吹き込む。


 調子良く少し下ると前走車に追い付いた。結構、真剣に走っているようだが絶対速度は低い。容易にパスできそうだが、なにかが知の心に引っ掛かった。様子をうかがう。


「なんて綺麗な響きなの」


 引っ掛かったのは音だったようだ。よく今の技術により失われた排気音などという表現があるが、そのようなたぐいのものではない。聞いたことがない、比較しようがない美音だ。


 ライダーの動きも追う。特徴的な音が途切れぬよう流れるが如くマシンを操っている。しかし、やはり速くない。ハッキリ述べると遅い。


 決して乗り手の技量に問題があるわけではない。その証拠に各コーナーでは必ずと言っていいほど車体下から火花を散らしている。センタースタンドが接地しているようだ。つまり機体的にバンク角の限界、旋回速度の上限に達しているのだ。ただ立ち上がりの加速は確かに鈍い。これも音から察すると持てる限りのマシンパワー、ポテンシャルを使い尽くしてのことだろう。


 観察を終えた知はパッシングライトを一炊きした。美音のパイロットは左手を挙げ道を譲る。その姿勢に競る気など毛頭、見受けられないので知も充分な距離を取りつつ柔らかく前へ回り左手を返す。追い越し際に覗いたのはややクラシカルなフォルムながらブラックメタリックとキャンディーレッドの塗り分けが美しい重厚な雰囲気の八十年代機だった。


 視界が開けた知と久は加速する。久々の晴天、待望の「西」の下りだ。シフトペダル、ブレーキレバーなど操作系に繋がる器官を研ぎ澄ますと長かったインターバルにより失われつつあった感覚が次々に戻ってくる。下界では肌に張り付くような湿度の梅雨の空気も、ここでは冷たい風で満たされている。


 例のタイトターンが近付く。人が集まっている。


「やはり」

「来たな」


 久しぶりに自らを解放した知は久をやや置いて行きつつNSRの能力も解き放つ。


「相変わらずキレるな」

「あぁ」

「次も来たぞ」


 久が磨いた俊足を見せつける。


「ナイフだな」

「あぁ」

「おい、もう一台、聞こえないか?」

「聞こえる」


 いくらかの時を挟んで先ほど知と久がかわした機体が通過した。


「美しいな」

「あぁ、美しい響きだな」

「だが……」

「音だけだな」

「だな」「だな」「だな」


 ギャラリーは笑顔を見合わせる。皆、幸せそうだ。


 最終コーナーまでキッチリ楽しんだ知と久は心地好い汗を乾かすため植物園の玄関前にバイクを停めた。


「やっぱり気持ちいいですね!」

「そうだね」


 クールダウンの会話をエンジンの木霊がさえぎる。


「さっきの旧いのじゃないですか?」

「うん」


 姿を現した「音だけ」の車両はゆっくりと知達に近付き横で傾けられた。サイドカバーにはGS250FWと刻まれている。


 ライダーが降車しフルフェイスを脱ぐ。若くはないが草臥くたびれた顔ではない。上品な男性だった。彼が話しかける。


「あなたは『走り屋』とは違いますね」

「なにが?」

「一言で表すなら気高けだかい」


 気高い。気恥ずかしいような言葉だがFW使いが余りにもサラリと流したので知も気に留めずに済んだ。


 知はタイヤに目をやる。やはり表面はふちまで綺麗に融け切っている。


「腕があるのにもっと速いマシンに替えないんですか?」

「腕? そんなもの無いです。それにこの音から離れられないんですよ」


 静かに、そして穏やかに微笑んだ彼の視線の先にはブラッククローム仕上げが輝く左右二本出しマフラーがあった。


 彼はしゃがんで各部を一通りチェックする。


「私と同じ老体でね。気遣いが欠かせないんですよ」


 つぶやき一回りすると立ち上がった。


「うん、今日も大丈夫そうだ」


 彼が再びヘルメットとグローブを手にすると優しい瞳が知の目を捉えた。


「その気高さ、失わぬよう」


 短いセルノイズの後、落ち着いた排気音と共に去っていく後ろ姿はどこまでもジェントルだった。


 久から口を開く。


「面白い人ですね」

「そう?」

「あんなのもいいですね」

「うん」

のぼりますか?」

「いや、今日はもう帰ろ」

「はい!」


 表情も晴れ間になった元気玉二個がガレージに転がり込む。


「てんちょー、帰還しました。楽しかったです!!」

「良かったな」

「そういえば今日、GSなんとか、FW? っていうのに逢ったよ」

「FW? 250ニーハンか?」

「そう」

「良い楽器だよな」


 知は店主の顔のほころびで分かった。それ以上、く必要はないと。





(注意) 当然ですが拙いフィクションです。公道は法規遵守で利用しましょう。また不必要な空吹かしなどは迷惑です。節度を持って乗り物に接しましょう。現実のバイク屋さん、二輪車取扱店、ディーラー、店員さんとも失礼に当たらない距離感を保ちましょう。

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