第24話 紫陽花

「雨だね」

「降りますね」

「うん」

「梅雨ですからね」

「うん」

「店長」

「うん」

「ざーざー降りでも普段と同じように走れるタイヤ下さい!」

「うん、って、あるか、そんなもん!」

「つまんないの」

「せっかく、下らんボケに突っ込んでやったのにスルーかよ」

「生返事にサービスにもならないツッコミ足してもらっても」


 知と久と店主のいつもの三人がいつものカウンターに陣取っている。久が主役の会話内容も雨模様だ。


「てんちょー、なにか面白いこと言って、やって、下さい」

「……」

「てんちょー!」

「あぁもういいって」

「商売あがったりだねー」

「そう思うなら、点検お願いします! とか言ってバイク持って来いよ」

「嫌だ、私もNSRもずぶ濡れじゃん」

「水もしたたるいい女、にはならんわな」

「酷い! どの口が言う?」


 店内に豪雨予報でも出そうな予感がした時、扉が開いた。


「すみません。今そこでパンクしまして」

「いらっしゃいませ。取り敢えずバイクをピットに」

「あ」

「あ」

「どうした知? 知り合いか?」

「いや、その、ちょっと」

「うん? あ、とにかくピットへどうぞ」


 体よくピットと呼んだガレージへ回る店主。客が潰れたタイヤで重くなった車体を運び入れる。それを見た途端、店主の顔に緊張が走った。


「これは……」

「どうかしましたか?」

「いいえ、なんでもありません、パンクですね、パンク、はいパンク」


 無駄に口数が多くなる店主。理由は目の前に置かれたワックスに弾かれた水滴が美しいキャンディーレッドの小刀だ。


「チューブレスのパンク修理はすぐですのでレインスーツでも脱いでカウンターでお待ち下さい」

「分かりました。よろしくお願いします」

「知、コーヒーお出しして」

「りょっ了解!」

「知さん? どうしたんですか? 力、入っちゃって。なんかいつもと違いますよ」

「そ、そう? いつも通りだけどなぁ、あはは」


 不思議に感じる久の横でカタナの客がレインウェアを脱ぎ、ゆっくりとスツールに着いた。


「降りますねぇ」

「はい」

「こんな時にパンクなんてついてないですねぇ」

「はい」

「でも雨でも乗るなんてバイク、好きなんですね」

「はい」


 在り来りな挨拶を並べる知だが天井から降る雨が氷雨に変わったかの如く話が弾まない。鈍い久も二人から醸し出される空気に耐えられず席を外す。


「ちょっとガレージ行ってきます」

「いってらっしゃい」


 滞在時間が短い客なのでペーパードリップで淹れればいいコーヒーをなぜか慣れない手つきでサイフォンで抽出する知。瞳孔の先はサイフォンのガラス管に固定されて動かない。客は客でオイル仕上げのカウンター天板に視線を落としたままだ。


 ガレージに久が入る。


「店長、あの二人、変ですよ」

「あぁ」

「店長、なにか知ってるんですか?」

「いいや」


 ここで店主の様子もおかしいことに久は気付いた。不信感を抱いた久が周りをぐるっと見渡す。


「あ! 教官のカタナ! っていうことはあの人、教官!」

「知ってるのか?」

「はい。NZRに初めて乗った日、山でライディングを教わりました。教わったと言っても後ろを付いていっただけなんですが」

「そうか」

「挨拶してきます!」

「やめとけ」

「なんでですか?」

「なんでもいいからここに居ろ」


 店主がいつになく真剣に、そして冷たく言い放ったので久はその場を離れられなくなった。仕方なく店主の作業を追う。雰囲気から触れてはいけないもののような気がしてカタナを観察することさえ出来ない久。店主も口を開かず修理を続ける。


 コーヒーが入った。


「どうぞ」

「ありがとう」


 他には無言でカップを口に運ぶ客。時間が流れる。


 カップが空いた。


「暖まったよ」

「あ、あの、この間はありがとうございました。助けていただいて」


 ハイサイドの件だ。客は知の礼には返事をせず別の台詞を返した。


「紫陽花が綺麗なんだよ」

「え」

「雨の日は山の紫陽花が綺麗なんだ」


 知は突如、悲しげな目で語った客に合わせる言葉も無かった。


「修理、終わりました」

「ありがとうございます」

「知、お会計して」

「はい」


 最小限のやり取りで支払いが終わると再び雨具をまとった客が出ていく。カタナはあらかじめ店主によって玄関先に移動されている。


「では」

「ありがとうございました」

「コーヒーは」

「え」

「コーヒーは慣れた方法で淹れた方がいい」


 ドアに吊された鐘が鳴り止んでも緊迫感が残る。そんな時に役目を果たすのが久だ。


「スクランブル解除ー! てんちょー、素っ気ない対応ですね。お気を付けてー、も抜きだし、パンクならいつも、早めにタイヤ換えてくださいね、とか言ってるじゃないですか」

「必要ないんだよ、彼奴あいつには」

「あー、格好付けちゃって。知さんはなにか無いんですか、感想」

「そういうのは必要ないんだよ、彼奴には。なんちゃって」


 全員が笑みを浮かべる。


「店長、彼奴のやいば、しっかり焼き付けた?」

「知、俺は大人の男なんだ。余計な物は目にしないのさ」

「だっさー、と言いたいところだけど分かるから許す」

「さて、平常運転に戻るか」


 日常を取り戻す店内。久と店主がツーリング雑誌を挟んで議論していると知が呟いた。


「店の前の紫陽花も見てくれたかな」

「うん?」

「また寄ってくれるかな?」

「さあな」


 窓の外の雨はみそうになかった。





(注意) 当然ですが拙いフィクションです。現実のバイク屋さん、二輪車取扱店、ディーラー、店員さんとも失礼に当たらない距離感を保ちましょう。

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