第12話 ドリーミングエスカルゴ

 「パワーチェック」なる看板を掲げる店に一台の赤い小刀が持ち込まれた。持ち込んだのは例の男だが小刀は「愛機」ではない。


 カウンターで出力測定を申し込むと


「一度、見せてください」


 店員がパーキングへ足を向ける。


 無言で車体を確認した店員は告げた。


「これは当店ウチでは扱えません」


 男は返答を予想していたのだろう。これまた無言で一枚の紙を返す。


 そこにはなにが起こっても店側の責任は一切、問わない旨の文言が並べられ署名捺印もされていた。


「分かりました、そこまでおっしゃるならやりましょう」


 一週間前のことだ。イグニッションコイルに絡みイグナイターを破損した男はイグナイター制作者に修理を依頼した。イグナイターは驚くべきスピードで修理から返り小刀は元に戻った。その時、辣腕らつわんの職人は対応メールの最後に、こうしたためていた。


「ターボが余っています、要りませんか?」


 男は一晩、迷い話に乗ることにした。ただし超高圧縮比でF1並の回転数を誇る小刀に過給するとなると耐久性に問題が及ぶのは容易に想像が付く。愛機を失うことは避けたい。そこで急遽、二台目のくれないが用意され、ここにいる。


 少しだけ時を戻そう。


 昨日、男は最後の作業に神経を使っていた。ブーストゲージ、エアフュエルレシオゲージの装着だ。ここまでの数日でエンジンには切削したピストンが組み込まれタービンとサージタンク、それらを結ぶパイプ、マフラーなどが取り付けられている。今回は仮組の為インタークーラーは設置されない。


 滞りなく処理を終え表通りでスターターボタンを押す。暖機しながら計器類を観察する。メインメーターを中心として所狭しと配置されたメーターは男の美学に反し醜い。それでも心の奥に潜むなにかを呼ぶものがある。


 異常なし、と判断した男は見慣れた後ろ姿と聞き慣れない排気音で去っていった。


 そして今日である。


 計測室に運び入れられたカタナはローラー上に後輪が来るよう前輪位置が決められ異様に太いストラップでガッチリとタイダウンされる。ここのシャシーダイナモは比較的、新しく、本来、前輪の固定のみで済むはずだがスタッフは万全を期す。続いて空燃比プローブ、冷却用ブロワ、排煙ダクト、各種計器類が次々とセットアップされていく。


 アイドリングが始まり担当者が水温と油温をチェックしている。音も慎重に聞き取られる。異音を感じれば測定をを中止するつもりなのだろう。


 様子を眺めていた男に声が掛かった。


「どこまで回しますか?」


 男はレッドゾーン序盤に指を置いた。


「では退室してください」


 男が外に出ると分厚い防音扉が閉じられた。暫くしてうなり声が漏れ始める。


 最近のカタナにしては華奢な後輪が五百キロのローラーを蹴る。各ポジションで長く息を吸いギヤが繋がれていく。担当者は一通りマシン達を暖めると、なにかを操作した。


 担当者の面持おももちが真剣になる。右側に立てられた液晶モニターとカタナの回転計、ブースト計を注視する。スロットルが開かれた。


 外で待つ男の耳にも届くタービンサウンド。聞き付けた客達が集まってくる。


 扉が開いた。マシンがダイナモから降ろされようとしている。


すご! ターボかよ」

「それもクォーターだぜ」


 注目の的となったカタナを置いて担当者がチェックシートを渡しに来た。


「過給圧0.7で63hpです(注1)」


 ダイナモが測定するのはトランスミッションやチェーン、後輪摩擦、スリップなどでの駆動系ロスが加わった状態の「生の」出力だ。それに対し気温や気圧も含む各種補正を施した数値が結果とされる。一般的にはカタログ値より低い。つまり小刀は車重まで勘案すると自主規制時代のナナハンに匹敵する動力性能を獲得したといっても過言ではない。


 翌日、男は山頂付近で転回した。のぼりで感覚は掴んだ。本番だ。


 同時刻「表」を駆けるNSRがあった。知だ。当然、丁字ヶ辻ちょうじがつじを左折する。


 役者が揃った。


 知の横をいつにない勢いで抜けていく小刀。


「灼眼? でも音が違う」


 知は一瞬、戸惑ったが獲物はのがさない主義だ。スロットルが張り付き背中を捉えた。


「灼眼、間違いない。でもカタナは」


 コーナーの突っ込みで離され立ち上がりと短い直線で差を埋める普段の展開に持ち込めない。追いつ追われつにならない。速い。ターンから抜けると脱兎だっとの如く逃げる。


「どうなってるの?」


 徐々に距離が開き始め知は小刀を視界の隅にとどめるのが精一杯になった。


「追い切れない、もう見えなくなるのか」


 知に諦めが走った時だ。いきなりNSRは白煙に覆われた。いや白煙の中に突っ込んだと表現するのが正しい。


 速度を落として白い世界から脱出すると後方に迷惑な霧を撒き散らし、よろよろと停まろうとしているカタナが見えた。


「ブロー」


 知ほど山に通っていても、ここまで派手なエンジンブローにはそうお目にかかれない。


 知は停車し助け船を出すかと後方をうかがうが既に灼眼は携帯を手にしていた。


「心配無用だね、カタツムリのお馬鹿さん」


 これから夢の代償を支払う男の目はヘルメット越しに、こちらを見て微笑んでいる。


 知は別れ際の彼が行うように小さく手を挙げ帰路に就いた。





注1: 使用した過給圧、及び出力データは実際にGSX250S KATANA Turboを製作された方から提供を受けたダイノマシーンでの測定結果に基づくものです。


(いつもの注意) 言うまでもありませんが拙いフィクションです。公道は法規遵守で利用しましょう。また不必要な空吹かしなどは迷惑です。節度を持って乗り物に接しましょう。現実のバイク屋さん、二輪車取扱店、ディーラー、二輪用品店などで無理な交渉を行って自らの意見に従わせるのも良くありません。要望、要求を断られた場合はアッサリと引き下がりましょう。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る