第13話 アダムのリンゴ

「店長、買ってきたよー」

「さんきゅ。置いといて」


 知はシンプルな赤いラベルが貼られた袋をカウンターに置いた。


「これも」


 続いて丁寧に包装された箱も並べる。


「お前、これ、牧場で買えるんじゃ」

「いいのいいの、美味いものは美味い」


 店主は手を止め煎茶とコーヒーを淹れる。狭い空間なので、せっかくの両者の特徴が混ざって台無しになりそうだが気にしてはならない。


「私がやらなくていいの?」

「この二つを持ち込まれてなにもしないわけにはいかないだろう」

「店長、ホント、好きだね」


 袋と箱が開けられバイク屋にしては小粋な皿が用意される。店主が皿の上を整える。意外に細やかな配慮だ。


「食えよ」


 動作とは正反対の乱暴な言い草と共に店主が一つ口にしたので知も遠慮無く頂く。


 店主が短い沈黙を破る。


「やっぱりこれだよねぇ」

「控えめな林檎が堪らないね」

「これでこの値段は今時いまどき、ないよねぇ」

「ボリュームもあるし」

「こっちも行くか」


 緑茶を脇に袋の中身を味わった二人は箱の中身に手を伸ばす。


「濃いねぇ」

「うん、濃い」


 コーヒーも進む。


 「控えめな林檎」とは山の北西にある道の駅で売られている「リンゴとレモン」の煎餅、「濃い」は道の駅でも牧場でも購入可能なチーズクッキーを形容した言葉である。


 「リンゴとレモン」は口に入れるとほのかな林檎の香りと酸味が広がる隠れた名品だ。その香り具合が押さず引かずの絶妙さで、相反する食感も味方に付けレイニーを追うシュワンツの如き速さで数を減らしていく。


 チーズクッキーは他に無いくらい、思いっ切りカマンベールを効かせた人気のお土産で、コーヒーや紅茶と抜群の相性を見せる。観光客用の化粧包みを省いた「地元消費用」も販売して欲しいと切に店主は願っている。


 パリパリポリポリとやっていると油冷シングルの鼓動が聞こえてきた。


「はっ」


 なぜか皿を隠す知。


「こんにちは、わ、はっ? なに隠してんですか?」

「いやなにも」

「後ろに手を組んでるじゃないですか」


 回り込む久と久に対して正面を保ち続ける知。


 獲物が滑り落ちる。


「狡いですよー」

「残り少なかったものでつい……」


 店主が勧める。


「知、全部、久ちゃんに上げな」


 ゆっくりと皿を前に持っていく知。


「いっただっきまーす!」


 先の二人が無言で様子をうかがう。


「美味しいですね! これなんですか? どこで売ってますか?」

「牧場のクッキーと淡河おうごの煎餅だよー」

「淡河って?」

「この街の北部」

「山より北ってことですか?」

「そう、山より北で西」

「私、行ったことがないです」

「え」「え」


 確かに、この街は大きい。人が住まないような場所もある。しかし、いくらなんでも訪れたことがないとは。おまけに淡河周辺はバイク乗りにとって格好のコースだ。知と店主は呆けた顔を見合わせた。


「来週の定休日、行くか」


 珍しく店主が誘う。久が即答する。


「はい!」


 そして約束の日が来た。


 ガレージの前には既にNSRとNZRがたたずむ。手持ち無沙汰に待つ知と久の元へスリムな車体が運ばれてきた。


「店長、これで行くの?」

「あぁ」

「大丈夫、これ?」

「煎餅、買いに行くだけだろ」

「そうだけど」

「じゃ行こ」


 店主が跨ったのはお世辞にも綺麗とは言えないセローだ。つまりボロだ。


「俺が先頭、久ちゃんが次、知は最後」


 店主が勝手に隊列にオーダーを出す。


「私が前じゃ駄目なの?」

「ツーストが前は迷惑」


 知の異論は光速で却下された。


 出発する。


 店長は山を避け西へ向かう。本当に煎餅を買うだけのつもりらしい。


 普段は下ってくる428をに当たり右折する。


 ツーリングにおいて先頭を担う者には深い経験が求められる。常に後方を意識し、はぐれるライダーはいないか、無理をしている初心者は存在しないか確認しつつ最適な速度とラインを取らねばならない。信号が変わるタイミングや車線変更での余裕など考慮すべき点も山ほどある。仮に右折で適当に曲がれるだろうと部隊の前半だけが行ってしまうと後半は対向車によりさえぎられ分割されることとなる。今回は三台だから難しくはないが少なくとも久には務まらない。


 三人は心地好い風を受け快調に距離を稼ぐ。この季節の穏やかな気候は二輪愛好家に悦楽をもたらす。先頭は店長なので安心安全だ。


 428の頂上を越え暫く下ると「淡河」と書かれた道標が目に入った。店長は素直に看板に従う。要するに428をひたすら北へ辿る。


 舗装が良好でツイスティーなアップダウンを通る。淡河に至るにはダムより西側からなら平坦な道もあるのだが、ここを選択するのがバイク乗りの性だ。やはり目的は煎餅だけではなかった。


 前走も後続も居らず対向車も全く来ない雰囲気を察した店長がペースを上げる。


「速い」


 知の心が呟く。


 店長は時にダートトラッカーばりにイン側の脚を投げ出し華奢なカモシカを深くねじ伏せていく。


 与えられた用途と連動したデザインによりターマックでは遅いと思われがちなオフローダーだが実は乗り手次第でオンロードでもスプリンターとなる。走行会でオフ車に刺された話も少なくない。


 知は久が頑張っているのを後方から微笑ましく観察しながら耳の圧力を抜く。


 やがて三人の目は小さな集落を捉えた。スローダウンする。


 峠を下ると道の駅までは僅かだ。


 一行は気持ちいい汗が丁度、乾いたところでパーキングに着いた。


「てんちょー、巧いですね」


 珍しく落ち着いた調子で久が話しかける。


「普通だよ。それより入ろうぜ」


 促された二人が防具を手早く片付け店長に続く。


「小さいですねー、野菜ばっかりですねー」

「久、店の人に失礼でしょ」

「あ、すみません」


 目指すは煎餅のコーナーだ。


「わぁ、これ全部、百五十円ですか?!」


 確かめもせず商品を手にしていく久。


「いくつ買うのよ?」

「一つずつですー」


 久に嘘はなく全種類を抱える。


「柚でしょ、ココアでしょ、黒豆もコーヒーもですよ。牧場のクッキーとドーナツもついでに買っちゃいますー」


 最近の高校生は金銭的に不自由しないのか。知は要らぬことを考える。そんな知も「リンゴとレモン」は三つも抱えている。店長は言わずもがな、で、炊き込みご飯もカゴに入れている。


「てんちょー、知さん、こっちこっち。こんな苺大福、見たことがありません!」


 久の瞳は爛々とV字に割れた大福に突き立つ大きな苺を映している。


「分かったよ、それ三つ。大きい方で。奢りだ、表のベンチで食べようぜ」

「店長、男前だね」


 いつになく気前がいい店長を知がからかう。


 久は更に菠薐草とサニーレタスもレジへ運んだ。


「農家直の野菜、百円ですよ、百円!」


 その声を聞き、なぜか慌てて人参も入手する店長。本来、農産物直販所なのでこちらがメインだ。


 会計を終え店を出た一行は軒先のカフェを思わせるテーブルを囲む。


「うぁ、うあい、ほいひーでふ」

「喋ららふていいはら」

「西から回って帰ろうか」

「なにがあるんですか?」

「なにもない」「なにもない」


 そう、38号線の周りにはなにもない。本当になにもない。田畑と山のみだ。これが、この港町の奥深さだ。


 それに今日の所は久には内緒だが淡河から北へ延びる道もライダーズ天国だ。またいつか案内してやろう。知はリュックの中同様、満たされた感情の隅に二人の笑顔を刻んだ。





(注意) 当然ですが拙いフィクションです。公道は法規遵守で利用しましょう。また不必要な空吹かしなどは迷惑です。節度を持って乗り物に接しましょう。現実のバイク屋さん、二輪車取扱店、ディーラー、店員さんとも失礼に当たらない距離感を保ちましょう。


バイク屋の店長は店にいる時は「店主」、店から離れると「店長」表記になります。会話文では基本的に「店長」です。


道の駅淡河の煎餅には他に「しょうが」「そらまめ」「あまざけ」などもあり、牧場のお菓子にはベイクドチーズケーキもあります。

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