第10話 翼リターンズ
夜が明けて間もない峠に乾いた音が響き渡る。素早いブレーキングとシフトダウン、切り返し、そして立ち上がり。それらがリズミカルに繰り返されコーナーを繋いでいく。マシンは白いNSRだが操っているのは知ではない。
同じ区間を二往復したパイロットは降車し車体をチェックする。左手にはメモ、右手にはボールペンが握られている。彼は走らせた筆を仕舞うと再びエンジンを始動し去っていった。
「おはよ」
「あぁ」
「だから私は客だって」
「あぁ」
場所はいつものガレージで挨拶の主は相も変わらず知である。
「出来てる?」
「一応、走れるようにはした。未だ詰めなければならないところはあるが」
ガレージ奥から一台が引き出された。
「プロアーム。 MC28から持ってきたの?」
「あぁ」
スイングアームだけではない。目を移すとフロントには倒立フォークが据えられている。
「これは?」
「あれだ」
店主が指差した先にはRSのフレームがあった。
「転がってたんでな」
恐らく嘘だ。
そしてフォークの延長線上にはラジアルマスターがあった。コントロール性で痛い目に遭わせたくない。店主の配慮だ。
カウルは最新型リッターSSのような姿を呈している。入手が容易で価格も安定した現代のパーツを用いる。メンテナンス的にもコスト的にも性能的にも、あらゆる面で合理的な判断だ。
知は目を皿のようにして装いを新たにした愛機を一周した。どこにも事故の形跡は認められない。傷があっても機能的に問題がないパーツはそのまま残す方法もあるが店主の完全主義がそれを許さない。
「また財布が寒くなるわ」
「自己責任」
この店主は時折、客を冷たくあしらう。
「もらっていっていい?」
「駄目だ、調整を残して渡すことは出来ない」
「ちぇっ。なんか物足りない日々なんだよね、こいつが居ないと」
「我慢しろ、自分で蒔いた種だ」
歯切れ良いシングルの鼓動が近付く。
「来たな」
「うん」
あれ以来、久はガレージに姿を見せていなかった。余程ショックを受けたと思われる。
「こんにちは」
「いらっしゃい」
「いらっしゃい」
明るく大きな声が返された。
「あのー、私……」
「久ちゃん、こっち来てみな」
「店長、なんですかこれ、メチャクチャ格好いいじゃないですか!」
「直したんだよ」
「え、これが知さんのNSR?!」
「言ったでしょ、店長に掛かれば、って」
知が微笑みかける。知にも増して白い車体を凝視する久。
「店長、流石です! そして知さん、ごめんなさい」
「いいって」「いいって」
またユニゾンが構成された。
珍しく次々と訪れる常連達が新しくなったNSRと談笑する三人に笑顔を向ける。興味深くマシンに食い付く客も加わり輪は大きくなる。
「店長、俺のもやってくれよ」
「いいのか、財布どころか口座が空になるぞ」
「参ったなぁ」
誰もが店主の腕とセンスを認めているようだ。
「ところで久ちゃん、今も走りに行ってるの?」
輪の中の一人が尋ねた。
「とんでもないです、おっかなくって」
「ほう、元気玉にも怖いことがあるのか」
店主がからかう。だが反撃の言葉はない。
「久、NSRが出来上がったらどこかツーリングにでも行こ」
知が気を使うのは珍しい。
「みんなで行こうか」
「店長それいいね」
「いいね!」
そうだそうだとばかりに店内に声が溢れる。
「
もう行き先まで切り出す始末。
「まぁ、これが仕上がったら、の、話だよ」
店主がやんわりとその場を収めた。
五日後、珍しくガレージから知に電話が入った。もしかしたら初めてかも知れない。
「取りに来い」
「やったー!」
ライディングジャケットに袖を通しヘルメットを抱えた知がガレージに飛び込んできた。息を切らしているようだ。
「おいおい、今日はお前が元気玉かよ」
「店長、見せて、早く!」
「
店主に両手を添えられ純白の機体が運ばれてきた。研がれた各部がストリートからの陽射しを浴び鋭く輝いている。失った手足を取り戻したはずの知は呆然と眺めている。
「どうした?」
「分かんない、なんだか分かんないけど熱い」
店主は黙って試走により消耗し交換されたタイヤを点検する。最終確認が終了すると見慣れたキーホルダーが知に手渡された。
「いいか、どんなに高性能なマシンでも、それを操るのは人で、人を操るのは心だからな」
「分かってるよ! いや、ありがと、ありがと……」
久しぶりに主のキックによって火を入れられる白氷。「普段着」に戻った主が跨る。
「じゃぁ」
「うん」
知を見送った店主はカウンターに置かれていた黄色い紙を屑籠へ投げた。少しだけ覗いた紙の下端には
「計百万円」
と記されていた。
(注意) 言うまでもありませんが拙いフィクションです。現実のバイク屋さん、二輪車取扱店、ディーラー、店員さんとは失礼に当たらない距離感を保ちましょう。
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