第32話 星空ランデヴー

 今夜も知が「表」を駆け上がる。一足、いや二足は早い山の季節を求めるさまは終わらない夏を終わらせようとしているかのようだ。


 肌を撫でる空気の透明度が変わる。いつもの丁字路が近い。NSRのスロットルを緩める。そのまま流れるように丁字ヶ辻ちょうじがつじに達すると知は右に舵を切った。


 閑散とした山上のメインストリートを抜け小さなワインディングに入る。保養所も多いエリアなので静寂を破らないよう心がける。もっとも、この時期、滞在者の気配はうかがえない。


 アンティークな駅舎が見えた。駅前の緩い曲線に逆らわず駐車場に着ける。階段を昇る。防具を取る。背伸びをし、一歩、前へ出ると、あの後ろ姿があった。


 知と彼奴あいつがここで同じ時間を過ごすのは初めてではない。波長が合うとでもいうのだろうか。二人が深夜、この時間帯の、ここからの眺望を好むのは間違いない。


 知は過去と同じく離れてフェンスに腕をかけ街を見下ろす。昼間の霞む喧騒が嘘のように下界は輝いている。次いで空を見上げる。漆黒の空間を期待したが生活というわずらわしさを基とする光が天体を覆い隠している。


 十分じゅっぷんは経過しただろうか。知はふと奴のほうへ首を傾けた。トレードマークのシルバーのフルフェイスを抱えたまま未だ手摺に寄りかかっている。視線は地表でもなく天上でもなく水平線にある。知がその姿勢を長く保ったので気付いたのだろう。彼も首を知の方へ向けた。


 暫くの沈黙を経て灼眼は静かに知のもとへ歩み寄った。知は不思議そうな表情を浮かべる。


「時間はあるかな?」


 彼が口を開くとは考えもしなかった知は若干、戸惑ったが嘘をく理由もないので素直に答える。


「ある」

「いつもの下りを流さないか? ゆっくりと」


 知は意図が分からなかったがなぜか即答した。


「うん、いいよ」


 からだを反した二人はライディングギアをまとい愛機達が待つ場へ降りていく。


 切れかかった蛍光灯の下、おもむろに車体を引き出し切り返すと灼眼はスターターを押し知はキックを踏んだ。


 カタナを先頭に一方通行の小道を介し「西」へ針路を取る。


 本当にスローに流すつもりらしい。回転計の針はパワーバンドの遥か下を指しエグゾーストノートはジェントルなままだ。


 殺気を全く発しない二台が羊を起こさず牧場を過ぎる。ヘッドライトが交互に揺れる。彼らを邪魔する車両も見当たらない。


「気持ちいい」


 知は胸の中のざわめきが全て消え行くのを感じた。取り戻したかった落ち着きがそこにあった。クールダウン、カームダウンだがメンソールのような冷ややかなものではない。風が優しい。


 目前のテールランプは時折、明るくなるが目を刺すこともなく知を誘導する。知が赤いカタナを安心と共に追ったことは無かった。想像することさえかなわなかったことが起こっている。


 知は前を行く背中を見た。そして空にちらりと瞳をやった。森の木々の間から少ない星が一瞬、漏れる。


 例のタイトターンに差しかかる。流石にギャラリーは存在しない。


 重戦闘機は連なりステルス飛行を続ける。緩やかな弧を描き翼を傾けても路面には近付かない。減速帯と呼ばれるレーダーさえ無力と化す。普段ならとどろかせる爆音も今宵は置き去りだ。


 知は理解する。体が、心が修復されていく。日常という戦闘で負った傷が癒されていく。機体の高度が減少するに伴い癒された傷は消滅する。


 やがて二機は夜間フライトを終えゴールとなるはずだった植物園前を通過した。


 カタナが左にウィンカーを灯した。知も見倣い小さな分岐点にある自動販売機横に駐機する。操縦席を脱したパイロット達はヘルメットとグローブを外す。灼眼はコインを取り出すとベンディングマシーンに投入しボタンに手を添えた。


 足下近くに転がり出た缶が知に手渡される。知は無言で受け取る。


 甘すぎるコーヒーが染みる。あの青年実業家や店長が淹れたものとは比べようもないが、今、この瞬間には相応しい。通る度に忌々しく感じる二輪通行止めの標識も可愛くさえ思える。


 控えめな艶を放つ深紅のカタナに触れつつオーナーは穏やかに声を響かせた。


きらめきが必要なんだ」


 言い終わるとシリンダーからキーを抜き取り車両後部に挿し直し右へ捻る。シートが持ち上げられテールカウル内から青と白のチケットケースが取り出される。中身が三枚であることを確認すると灼眼はそれを知に握らせた。


「最古のプラネタリウムだ。行くといい」


 見なくても分かった。某アニメの舞台ともなった隣街の市営プラネタリウムチケットだ。


 シートを元へ戻し置いていた缶をゴミ箱に返すとエンジンに火を入れる灼眼。知はチケットを手に顔を逸らしたまま喉を絞る。


「ありがと! 私、NSRでゆっくり流そうなんて、考えたこと、なかった」


 寡黙な男は振り返らず小さく手を挙げ紅の小刀に跨る。僅かな間を置きターンシグナルスイッチに指を運ぶと後方を確認し去っていった。彼にとってはただの後方確認だったのだろうが知は瞳孔を捉えられたような気がした。


 残された知は少なくなったコーヒーを味わいながら、そこはかとない感慨に浸った。はかないはずの自販機のディスプレイが、一際、明るく辺りを照らした。

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