第31話 憧れの東京タワー

「こんにちは」

「いらっしゃい、百地ももち君。車検だったね」

「はい。よろしくお願いします」


 店主は依頼主がピット前に着けた車両を丁寧に中へ運び入れる。いつものようにカウンターではしゃいでいた久が一連の動作に食い付いた。


「なんですか、このバイク? すっごい形してるじゃないですか」

「久、お客さんに失礼でしょ」


 知がさとしたが止まらない。


「でもなんかいたカッコイイですよ」

「インパルスですよ」


 答えたのは店主が百地君と呼んだ半常連客だ。半常連と表現したが時々、他店に浮気しているわけではない。彼は殆どの整備を自分でこなしてしまう。その腕はなかなかのもので車検だって自分でやろうと思えばやれる。だが二年に一度、確かな腕を持つプロにチェックしてもらうことで更なる安全と安心を得ようと愛車をここへ持ち込む。そんな理由で普段は部品の注文と受け取りにしか訪れない常連ということだ。


 久が驚いた顔でき返す。相変わらず分かりやすい態度だ。


「え、インパルスってどこから見ても普通のバイクのあれ、じゃないですか」

「そうですよね、そう思っている人が多いし間違いじゃない。あれもインパルスですからね」

「あれも?」

「インパルスには三世代あるんですよ。三世代目は二形式に渡りますが」

「私、大きなネイキッドしか知りません」


 かなり年下になる高校生にも優しい言葉遣いをするオーナーを横に店主が突っ込む。


「久ちゃん、ネイキッドなんて用語、覚えたのか。偉い偉い」

「てんちょー、ちゃかさないでください」

「あー悪かった。今、百地君が言ったように大きく分けて三つあって、最初と最後が普通の形。真ん中がこれ。多分、久ちゃんが知ってるのは最後の奴だ」

「これだけ変わってる、ってことですか?」

「そう。百地君。説明して上げて」


 振られた客がザッと解説する。


「GSX400X Impulse。GSX-Rと同じエンジンを利用しているから派生車種かな。重量も小さいし。デザイナーのハンスムートが当時の日本の若者のライフスタイルをイメージして創ったと言われているんですよ」

「ムートってあのカタナの?」

「はい。まぁカタナもムートデザインとして知られていますが実質ターゲットデザインが手掛けたものだとされていますから、これもターゲットデザインかも」

「なんか難しいけどカタナと描いた人達が同じってのは分かります!」

「やっぱり。だから前後の世代とは全く関係がないんですよね。それにデザイン重視だから薄いシートなど乗り手にはキツイ部分もあるし」

「でも乗ってるんですよね?」

「好きだから、東京タワー」

「東京タワー?」

「この特徴的なヘッドライト回りの赤いカバー、ステーなどから東京タワーって呼ばれてるんですよ」


 ブラシャンブルーメタリックなる深く落とし込まれた青を纏いスリットが入ったボディパネル。それをテールからエンジン、足下へ向かって貫き、そこからヘッドライトへ直線で伸びる朱色のフレームは鳥居を印象づける。取り分け目立つ前頭部は一部トラスとも例えられる複雑な構成を取り見る者を飽きさせない。飽きさせないどころか強烈に網膜を焼き、一度、目にすると一生のトラウマとなる可能性さえある。これらインパルスならぬインパクトな形態は正に東京タワーだった。


 久が吹き出す。


「あはは。東京タワー、東京タワー!!」

「こら久! 百地さんが大切にしてるのよ!!」


 知が再びさえぎろうとしたが愛好家の彼は平然と対応する。


「いいでしょ、東京タワー。まぁメーカーもこれは不味い、と感じたんでしょうね。自社デザインのカウルを持つ大人しめのモデルも追加されてますよ。もっともそれもカタナの出来損ない、なんて言われてますけどね」

「出来損ない? それ言った人は箪笥たんすの角に足の小指をぶつけるとイイです!」


 久が一転して表情を変えた。久はおどけているようでも真剣に働いた人間が示した成果を馬鹿にするような行為には厳しい。


 久たちがインパルスを囲み話に花を咲かせていると小学生数人が店の前に差し掛かった。下校途中のようだ。隊列がほぐれ一人が駆け寄る。


 二年生くらいの幼い瞳が紺と赤の外装を捉え、爛々と輝いている。


「坊主、興味あるのか?」


 店主が微笑む。


「うん、僕、こんなの初めて。カッコイイ!」

「東京タワーって言うんだぞ。覚えとけ」

「とうきょうたわー、東京タワーだね。すごーい!」


 凄いと口を開いたまま離れない。バイクを中心にクルクルと周回飛行している。まるでブーンと手を広げた大きな眼鏡の有名少女ロボットちゃんだ。店主が相手する。


「そんなに気に入ったか?」

「うん、お父さんに言って買ってもらう!」

「それは駄目だ」

「どうして?」

「これに触るにはめんきょしょう、っていうのがのが必要で、大きくならないと手に入らないんだ。そして買ってもらう、も駄目だぞ。バイクってのは自分で稼いだお金で買うもんだ」

「そうなのかー、じゃぁ、僕、大きくなる。大きくなって買えるよう頑張る!」

「もの分かりがいいな。よし、頑張れ。で、今日はもう帰れ。お母さんが心配するぞ」

「分かった。帰るー。ばいばい!」


 ここまで静かに聞いていた知が口を挟む。


「ちょっと店長。これ売れてないんだよ。希少車だよ。それも八十年代の。あの子が大きくなった頃にはもう無いよ。こどもとはいえ責任持って喋りなさいよ」

「あーやっちまったか。まぁその気になれば探せるさ」


 翌日、店主が車検整備を行っているとまた小さな体が覗いた。


「なんだ、今日も来たのか?」

「うん。これ、僕が大きくなるまで取っといてくれる?」

「ゴメン。これはお客さんのものなんだ。残念だけど君に売ることは出来ないよ」

「そうなの」

「でも明日まではここにあるから、また見に来な」

「来る! 来るよ!! じゃぁばいばい」


 そして車検最終日、少年は約束通り現れガレージの座敷童となっている。


「ここに座れ」


 店主は作業に使うビールケースを逆さにしクッションを載せインパルスの近くに据える。次いで冷蔵庫の硝子瓶を掴みビー玉を押し抜く。


「暑いだろ」

「ありがと。おじちゃん優しいねー」


 後れて知も加わったが特に会話することもなく柔らかに見守っている。店主は最終確認を進める。


 電話を受けていたあるじが来店した。


「百地君、流石だね。どこも悪いところはなかったよ。二十四ヶ月点検と保険、法定費用、代行料だけね」

「ありがとうございました」

「知、お会計して」


 店主が機体を玄関へ移動させる。座敷童は興味津々で付いてくる。支払いを終えた違いが分かる若者が出てくる。


「ねぇ、これ、お兄ちゃんの?」


 透き通った水晶体が高い顔を見上げる。


「そうだよ。どうかした?」

「僕、大きくなったらこれ、買うんだ」

「気に入ったの?」

「うん、カッコイイ! 東京タワーーー!!!」

「ありがとう。頑張ってね」


 性懲りもなく知が出しゃばる。


「百地さんまで! その子が大きくなったらインパルスはもう無いよ、東京タワーなんて無いんだよ!」


 ライダーとなろうとしていたフルフェイスはシールドをしっかりと持ち上げ落ち着き払った声と共にしゃがむ。


「もし君が大きくなって、未だどうしてもこのバイクを忘れられなくて、欲しくて欲しくてたまらなくて、探して探して探し回っても見付からなかった時は僕の所においで」

「お兄ちゃんの所?」

「そう。そしたらこのバイク、君に上げるよ。それまで壊さないように大事にするから安心して」

「うん! 約束だよ、約束!」

「指切りしよう」


 パイロットはグローブを外すと手を伸ばし紅葉もみじのようなてのひらから生える指と誓い合った。


「安全運転の口実が増えました」


 にっこり笑うと颯爽と愛機に跨り去る。男の子は彼の背中が消えてからも暫く動かず立っている。


 健気な姿を眺めつつ知が呟いた。

 

「余計な心配だったね。憧れのハワイ航路、憧れの東京タワーだね(注1)」

「知、お前、爺ちゃんか? そんな古い歌、どこで知った?」

「忘れタワー」

「やっぱりじじぃだ」


 未来のタワーバイクオーナーを見送った後、店は平常営業に戻った。秋の到来が遠く熱気が籠もるはずの店内だったが、エアコンから吹き出る空気の流れは暖かだった。





注1: 本当は歌詞を替え歌にして使いたかったのですが著作権に配慮し控えました。


(いつもの注意) 言うまでもありませんが拙いフィクションです。現実のバイク屋さん、二輪車取扱店、ディーラー、店員さんとは失礼に当たらない距離感を保ちましょう。また整備現場に幼いこどもを立ち会わせるのは危険です。近寄ってきても毅然と対応しましょう。

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