第37話 みにくいガチョウの子

※タイトルにある「みにくい」とはガチョウや本文登場の車種自体を指すものではなく「錆がまわった車体の状態」を表したものです。



「あれ、いてない」


 いつものガレージを訪れた知がドアノブに手をかけたが鍵がかかっている。営業時間なのは間違いない。常連を超えて半店員と化している知の判断に狂いはない。


 裏へ回る。


「やっぱり。不用心なんだから」


 裏口は閉じられていなかった。


 防具をカウンターへ置き店内をうかがうが人の気配はない。取り敢えず明かりを灯しコーヒーを淹れるためコンロにケトルを据える。ケトルがカタカタと音を立て始めた頃、お馴染みの軽トラが帰ってきた。


 店の照明にも気付かず店主は荷台から一台のバイクを下ろす。手際よくラダーを取り扱う姿は職人だ。火を止めた知が出ていく。


「買い取り?」

「来てたのか」

「来てたのか、じゃないよ。裏口、開けっ放しだったよ」

「あぁ。まぁ心配するな。こんな店に入る泥棒はいないよ」

「自分の店の価値を軽視しすぎじゃない?」

「はいはい」


 相変わらずの調子だ。


「グースだね。250ニーハンか」

「うん、珍しいだろ」


 Goose。与えられたガチョウ(注1)という名からは想像も付かないスタイリッシュスポーツ。そして、その美しい肢体とは裏腹に尖りすぎたシングルファイターだ。シングルレーサーと形容してもいいかもしれない。


 積載性ゼロのシートが近寄りがたい雰囲気を醸し出す。リラックスすることを許さない極端なポジションは中途半端な意思で跨ろうとする者を拒絶し、購入後のカスタムさえ許さないメーカー純正チューンは選ばれし勇者にのみ微笑む。


 そんなバイク、当然の如く販売が振るわず出荷台数は少ない。中でも生産期間が短かった250は比較的、長期に渡ってラインナップされた350サンパンには及びもせず雀の涙ほどの数だ。


「どうするの? それ。フレームまで錆がまわって可哀想なくらいだけど」

「直して売るよ。見た目よりコンディションは良いからな」

「ふーん」


 一旦、ピット内に引き込まれた黒のグーズを知が覗き込む。250特有の正立フォークを撫でた知が低いトーンで店主に向かう。


「店長。これ、ダメだよ。インナーチューブの表面にツブツブを感じる」

「大丈夫だ。状態が良い350の倒立フォークがバックヤードにある。オイルクーラーもな」

「そこまで考えての仕入れか」


 ひとまずカウンターで普段のポジションに落ち着いた二人がコーヒーを味わいながら語る。


「で、買い手のアテ、あるの?」

「いや。ただ、本田君だっけ。久ちゃんが連れてきた子。あの子にどうかな?」

「教習所に通ってる最中の人間なら最初は新車がいいんじゃない?」

「そうなんだが、彼のバイトのことも考えると無理させたくないからな」

「それはそうだね。でも、あのグースは酷いよ」


 店主は聞こえなかったように続ける。


「それにグースなら軽くて初心者には取り回しが楽だ。単気筒で構造がシンプルだからメンテも楽だし色々、学べる」

「250ってのも費用を考えて?」

「それは関係ないよ、むしろ使い切れるパワーかな。車検の有無で変わる維持費なんて僅かだよ。東京タワーの百地ももち君の会計しただろ。彼みたいにキチンと整備していれば代行料と点検代だけだ。それも二年に一回だけな」

「あー、耳が痛いわ。多分、私のNSRの維持費の方がぶっ飛んで高いわ」

「そ、し、て。ここが重要なんだが久ちゃんと同じスズキの油冷シングルだろ」


 店主が柄にもなくウィンクしたので知は瞳を逸らした。


 その後、会話は別の方向へ流れ、講義が近付いた知は店を去った。


 一週間が過ぎた。塗装から返ってきたフレームを用い各部を組み上げられたグースに最後の部品が載せられようとしている。


「ちわー……き、綺麗……」


 知の瞳孔が捉えたのは350純正のベースブルーメタリックに輝くガソリンタンクだった。今、正に店主の手によって車体に設置されようとしている。


 知は声無く見守った。


 シートが落とされた。店主が知の存在を知る。ゆっくりと口を開く。


「どうだ?」


 知は答えられない。フレーム、タンクのみならず、フェンダーからシートカウル、スイングアームに至るまで塗装は完璧だ。暗く渋い色だったサイドプレートは光沢を放つシルバーとなり、ホイールは店主のセンスでチャコールがかったガンメタリックとされている。褪せた針が悲しかったメーターもリビルトされたようだ。メーターリムもヘッドライトリムと共に曇り一つ無く磨かれている。車両、後部下では大きく目立つサイレンサーにポリッシュがかけられている。勿論、特徴的スイングアームピボットブラケットのSエンブレムにくすみはない。


「善さんの仕事?」

「うん」


 善さん。店主が信頼を置く塗装職人だ。大島青年の小刀も彼の手によってブリティッシュグリーンに染められた。触れるまでもなくせきの太刀を塗ったのも彼である。とかく二輪車を嫌う板金塗装業界で、快く細かい作業まで引き受けてくれる熟練、辣腕らつわんの技師だ。


 店主がタンクにガソリンをそそぐ。コックが開かれる。キャブがガソリンで満たされるとイグニッションが入れられた。


 覚醒。二人の目前に羽が広がっていく。ガチョウの羽だが白鳥にも劣らない。天使の羽だ。


 暫く歯切れ良い鼓動の中で羽を眺め続けていた知達だが背後に人影を感じ、我に返った。


 立っていたのは本田少年だった。少年が問う。


「て、店長さん! そのバイク、誰のですか?」

「未だ買い手は決まってないよ」

「僕に売ってもらえませんか? 僕に売ってください! 僕が買います!!」


 羽を見た少年の言葉には迷いがなかった。知と店主は顔を見合わせ笑みをこぼす。


 少年に返事をせず店の奥へ足を運ぶ店主。間もなく紙を一枚、持ち戻ってきた。


 その紙が羽ばたくガチョウに貼られる。


「売約済 本田様」


 目にした少年は視線も姿勢も動かさず、知が声をかけるまで、その場から離れなかった。





注1: Gooseを訳すとガチョウですが、車名の由来はガチョウそのものではなく、マン島TTレースコースのGooseneckコーナー、ガチョウの首のようなカーブから来ています。


(注意) 言うまでもありませんが拙いフィクションです。現実のバイク屋さん、二輪車取扱店、ディーラー、店員さんとは失礼に当たらない距離感を保ちましょう。冒頭で、醜い、とは錆がまわった車体の状態を表したもの、と記していますが、錆がまわっていても味があるバイク、ガンガン使われるバイク、風合いさえ感じさせる美しいバイクがあるのは承知しています。今話のタイトルはそれらを貶めるものではありません。

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