第38話 教官
早朝六時、知がNSRを出庫する。一連の儀式を執り行い一撃で目覚めた愛機を一周し、軽く目視で異常の有無を確認する。白い針が揺れなくなった。サイドスタンドを蹴り上げ風となる。
今朝は久は同行していない。いや、同行させないと言った方が正確だろうか。秋の長雨の中、珍しく三日続けて空が泣かなかった。今日なら路面に染み出す流れもないはず。奴が来る。奴、バーニングアイ、灼眼の小刀だ。久は巻き込めない。
山は季節を先取りする。「表」を駆け上がる知の首筋を冷たい空気が刺し眠い気分を拭い去る。四肢、五感、神経、脳。次々と覚醒する器官を研ぎ澄ましNSRにフィードバックする。車体、身体ともウォーミングをアップを終える頃、
左折し道幅に余裕がある部分で知はNSRを降りた。グローブを外しヘルメットを脱ぐ。一足、早い晩秋の冷気と相まって、いつにも増して新鮮な森の香りに身を
休息が二十分に届いた時、いくらか低い位置からの高周波が知の鼓膜を打った。間違いない。知は正しかった。間もなくして対向車線に純白のLEDが出現した。
知が防具を手に取る。おもむろに引き起こされたNSRに再び火が入れられる。後方では一旦、消えたジェットサウンドが音量を増す。音の波が背中を震わせるようになると知はNSRを発進させた。
流し待ち受ける白氷のミラーを赤い影が
道の両側が流れる壁となる。沸点を失った冷却水が加圧される。輝くチャンバーとショートな集合管から吐き出される音階が和音を構成する。
コーナー立ち上がりからストレートにかけてはツーストのNSRが有利だ。絶対的パワーで勝る。灼眼とて、その法則には勝てない。下りなので、ある程度、緩和されるが、高度なチューンを施された小刀であっても出力制限を
だが逃げ切れない。低速、中速を問わずコーナーにかかると背後にシルバーのフルフェイスが張り付く。クリアシールド越しの眼光が鋭い。
知は思考する。圧倒的とも表現可能なパワー差をもって引き離しても突っ込みでカバーされる。ブレーキングテクニックが違う、桁違いに。
悟った知はミラー越しに観察を始めた。知がブレーキレバーに指をかけても
ブレーキング後の旋回スピードは同じだ。「西」は読んで字の如くつづら折りである。このままではポジションは確保できても引き離せない。
例のギャラリーゾーンが近付く。朝、早くても数人が
「来るぞ、奴らだ」
「音が
「白氷が前だ!」
「だけど差がないぞ」
「小刀って、いや、フォーストのクォーターってNSRを追えるのか?」
「彼奴は特別だ。フォーストもツーストも排気量も関係ねぇ」
「あぁ確かにあの白氷が手を抜いてねぇからな」
これまでのように熱くならず冷静さを保っていた知にスイッチが入る。
「盗ませてもらうよ。そのテク、いただき!」
ターンインにかかるまで全開で加速する。舵を当てる直前に
効いた。一時的に。カタナは僅かに後れNSRの鏡面で小さくなった。
「どうだー! え」
小さくなった後、後方視界から去るはずだったカタナが再び白氷の尻尾を噛む。
「なんで?!」
ブレーキングに限らず機体を操る技術は一朝一夕では身につかない。知をもってしても、だ。理論、理屈で分かっても手足のように、脳がダイレクトに車輪接地面に繋がっているようには動かない。しかし、それだけではない。灼眼は知が思っている以上に多くの引き出しを持っている。
残り少ないコースで灼眼が次々と引き出しを開けていく。もうここからはキツイ曲りの連続で直線と呼べる場所はない。腹を見せたNSRにエキパイ下部を全て覗かせたカタナが迫る。焦る知に対してライディングテクニックという弾丸が降り注ぐ。
前述通りのブレーキングで追い込みコンピューター制御の機械のように精緻なラインをトレースする。そのラインは定石のアウトインアウトに忠実な知よりも内側からのアプローチも辿る。精緻且つ柔軟で大袈裟な身振りを伴わない迅速な荷重移動により抜群のキレをも合わせ持つ。そしてトレッド面は縁まで余すことなく使い切り、トラクションは決して無駄にせず、最大に用いて安定性保持と加速が行われる。クラッチを使用しないシフトは微塵のロスも生み出さない。
常に視線を先に据えステーブルな姿勢を貫く灼眼の前方では知が暴れ馬を抑え込もうとしている。既に力を抜くことは忘れ、軋み音、金属音を発し、グリップが怪しくなった後輪を糸を渡る思いで繋ぎ止めている。
「くぅっ、うっ!」
深すぎた、バンクが。消耗しつつあったNSRのリアタイヤは大胆にスライドした。なんとか立て直したがインを大きく開けた上に失速した。
当然、彼奴は見逃さず抜けていく。放心の知を精密なエンジンによって奏でられたエグゾーストノートが包む。無理をして追い付いたところでゴールまでに前に出られるチャンスはゼロだ。
知の心を読んだ灼眼もキャブへのワイヤーを緩めた。
紅白の二台は連なり植物園を過ぎる。二人ともシールドを持ち上げクールダウンクルーズとなる。428へ達すると共に南へ折れ、灼眼は
清々しさを胸に抱きつつ朝陽を浴びたピュアホワイトのカウルが街へ帰還する。
「気持ちいいくらいの負けっぷりだわ」
後日、お馴染みのガレージで久との何気ない会話の最中、知が呟いた。
「教官はやっぱり教官だったよ」
(注意) 当然ですが拙いフィクションです。公道は法規遵守で利用しましょう。また不必要な空吹かしなどは迷惑です。節度を持って乗り物に接しましょう。
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