第39話 メロン

 今年は雨が多い。この秋の長雨もそうだが思い返せば梅雨も長かった。秋雨で生まれないストーリーの代わりに、その梅雨のラストシーンを語ろう。


 七月、第一週、締め括りの日、智明さとみはモニターに大映しになった等圧線を凝視していた。後ろでは賑やかさも虚しい天気予報がお喋りを惰性に任せている。


 智明。覚えているだろうか。いつもは「店主」「店長」と記される男の名だ。


 あざとく心配そうなトーンでアナウンサーが告げる。


「今夜、遅く、近畿地方を通過しそうです。過去にない台風です。今の内に万全の備えをとり、最大限、命を守る行動を心がけましょう」


 時刻は午後五時。既に敷地内とも表せない場所にまで並べられていた商品は全て店内、ピット、バックヤードに押し込んだ。シャッターも唯一の出入り口となる鐘のあるドアを残して閉じられている。


 外光が差し込まなくなりシェルターを思わせる雰囲気となった店内で智明は豆を選ぶ。その空気に飲まれたのか普段は使用しないサイフォンを取り出しアルコールランプに火を灯す。やがてカウンター周辺は甘い香りに包まれ智明は「客席」に腰を落とした。


 静寂の中、時間が流れていく。唯一、五月蠅いテレビが刻々と状況を報告する。カウンター以外の照明は落とされ液晶の光が一段と目立つ。


 パーツの発注、売り上げの処理など、雑多な仕事を片付けた智明はチーズトーストで夕食を誤魔化し放送とSNSで台風ザッピングを続ける。


 九時半を回った。判断するなら今しかない。


 幸い進路は若干ながら南へずれた。直撃は免れそうだ。雨も風も、ここから数時間が最大だと思われる。


「行ける、チャンスだ」


 電話を取る。


「知、俺だ。こんな時間に悪い。明日の朝、空いてるか? 空いてるなら六時に店に来い」

「久ちゃん、こんな時間にゴメンね。明日の午前、もう休校になってるだろ。台風が去って危険がなさそうなら六時に来れる?」


 智明にしては無茶振りだが勘が安全を保証する。


 連絡を終え、もう一度、店の対策が万全であることを確認すると智明は最後の灯りを消した。


 鳥がさえずる。やはり晴れた。無風だ。シャッターは開けず臨時休業の貼り紙を書く。台風一過の午前中、どうせ客はない。


「おはよー、で、今日はなに?」

「よぉ知、ちょっと出かけるぞ」


 ピットのシャッターを半分だけ上げると智明はバイクを三台、引き出した。


「お、久ちゃんも来たか、おはよ」

「おはようございます。どこかに行くんですか?」

「うん。久ちゃんはこれ、知はこっちね。保険はかけてあるから心配しないで」


 智明が指し示した二台はいずれもしっかりとしたキャリアが付いており、その上には大きなボックスが固定されている。知が突っ込む。


「バイク便じゃない。下取り?」

「うん。未だ調子はいいから大丈夫だ」

「なんなの一体?」

「いいからいいから」

「それに残りの一台、それなに?」

「EX500」

「知らないよー、サイドカーだし」


 智明が会話を打ち切り乗るように促す。元バイク便はひとまず白ナンバーに変更されている。


 こうして智明は側車付EX500、知はCB400 Super Four、久はVTR250に跨り発進した。


 一行は智明の先導で阪神高速を西へ向かう。月見山つきみやまを抜け第二神明だいにしんめいに入る。智明の予想通り台風による影響は殆ど無く路面は綺麗で速度制限もかかっていない。


「どこまで行くのー?」


 知がインカムに問う。


稲美いなみ町」

明石西あかしにし?」

「そう、そこで降りる」


 スーフォアもVTRも流石、長期に渡るベストセラーである。並列四気筒のお手本のような美しいサウンドと90度Vツイン独特の音を奏でながら安定した走行を見せる。業務で酷使されたとは思えない。


 快調に歩んだ三台がインターを脱出する。左はいつか最高速テストの際に智明が知に拳骨を下したドライブインだ。右折する。


 EX500に搭載されたナビのおかげもあり、一時間弱で目的地に着いた。看板には「ふぁ~みんSHOPいなみ」とある。迷惑にならないよう駐車場の一区画に三台を入れる。


 全員が防具を外すと智明が意気込む。


「さぁ、並ぶぞ!」


 先頭から二番目を奪取した。知と久が呆れ顔を伴いく。


「そろそろ説明してもらいましょうか。一体、これはなに?!」

「そうですよ店長。朝早くから引っ張り出して、ここまで説明無しなんて酷いじゃないですか」

「あぁ、済まない。メロンだよ、メロン」

「メロン? 説明になってない!」


 半分、怒っている知を智明がなだめようと解説する。


「いなみ野メロン、聞いたことない? ここの名産で凄くいいんだよ。絶品。で、朝早くから並ばないと買えないの。昨夜はあんな天候だっただろ。だから今日は人が少ないんじゃないかと思って。穴だよ穴」


 智明が述べた通り、例年この時期のこの時間にはもう大勢が前にいるはずなのだが今、目前の客はたった一人だ。それでも知は納得しない。


「それに私達が付き合う必要あるの?」

「極少数しかない大玉を独りで沢山、購入したら顰蹙ものだろ。だから人は多い方がいいと思って」

「買う数が同じなら列の後ろからの冷たい視線も同じだって」


 それから販売開始までの一時間、智明は知の苛立ちの眼差しに晒されることとなった。


 一番乗りが微笑みかける。


「台風だからお客さん、少ないわね。あなた達も狙って来たの?」

「あ、はい」

「オートバイで来るなんて好きなのねぇ」

「あ、あぁ、どうも」


 特設テントの横にトラックが付けられる。荷台にはメロンが収められた箱が満載だ。農家からの派遣であろうスタッフが手際よく運び入れる。客がサイズと数を雑談のように問い合わせる。どうやら規格で一番、大きいものは本日の収穫には存在しないようだ。二番目が狙いとなるが、それも数がない。箱の一部は上部が閉じられていないので中の果実を覗くことが出来る。見事なまでの編み目が入った真円形の芸術品だ。


 午前九時。販売が始まる。微笑みの女神、一番の客が大量に買う。智明に焦りが見える。智明達が呼ばれた。


「どうぞ」

「一番、大きいのはどれですか?」


 智明が心配そうに尋ねる。


「6Lです。赤も青もありますよ」


 果肉がオレンジのものが赤、グリーンのものが青で、なぜか赤の方が圧倒的に少ない。


「じゃぁ6Lの赤を三つと青、三つ」

「6Lの赤、三、青、三! 一万一千七百円です」

「はい」


 お釣りを受け取りメロンを待つ。一つ一つ食べ頃を記入した紙が添えられ蓋が閉じられる。


「はい、一個ずつ運んでくださいね。落とすと大変だから」


 箱を抱える三人の背後で店員の声がする。


「すみません、6Lの残りは青一個です」


 列の客達が嘆いている。メロンを運ぶ三人の足取りが重くなる。


 往復して獲物をバイクまで持ってきた智明に知が話しかける。


「それでバイク便とサイドカーだったんだ」

「そう。NSRやNZRに、この大きな箱、積めないだろ。デリケートな壊れ物だしな。それにこれ、高級品だぞ。赤青、一組で三千九百円だったがデパートでは数倍なんだ」

「店に運べばいいの?」

「いや、知と久ちゃんは一個ずつ、それで持って帰っていいよ」

「ホントですか! 店長!!」


 珍しく長く大人しかった久の瞳が爛々と輝いた。


「うん。じゃんけんで勝った方が赤ね。負けたら青。逆でもいいよ」

「どっちが美味うまいの?」


 知がにらみを効かせる。


「好みだよ。上下はないよ」


 話し合いの行方も、じゃんけんがどうなったのかも分からないが、スーフォアのボックスには青が、VTRのボックスには赤が収められた。残りの四個をサイドカーに丁寧に積載する。


「じゃ二人は帰っていいよ。メロンは箱から出して常温で指定日まで置いてから食べな」

「え、店長はこれからどっか行くの?」

「うん、メロンを届けにね」


 元、来たインターまで同行し二人と別れた智明は一路、西へ、この日限りの愛馬を走らせる。加古川かこがわ姫路ひめじ太子竜野たいしたつの、姫路西、姫路北の各バイパスを経由し29号線を北上する。国内ではEX-4として400ccで売られ、高い運動性能にもかかわらず二気筒というだけで撃沈したEX500も快調だ。ハーフニンジャと呼称されただけのことはある。ツアラーとしては申し分ない。


 姫路市を離脱し宍粟しそうへ達すると智明は右の小道へ逸れた。信号もない川沿いの直線を辿り山の谷間への分岐から更に細い道へ進入する。恐らく四輪車は擦れ違えない。


 短時間、歯切れ良い180度パラレルツインサウンドを渓谷に響かせたEX500が人家に近付く。一旦、通り過ぎ奥の小橋で転回し停車する。


 サイドカーのメロンを二個、掴んだ智明が急な坂をのぼっていく。上り終わると扉に手をかけ一応、挨拶の一言を投げる。


「こんにちは」


 反応はない。靴を揃え畳を歩く。山の竹林から吹き降りる風が冷たい。


 蛍光灯の紐を引く。江戸時代からあったかも知れない金仏壇の前に正座する智明。油皿の灯芯に温もりを与える。その火に折った線香を触れさせ香炉に横にして手を離す。合掌する。


 一分ほどこうべを垂れていた智明が正面を見据え声を漏らした。


「爺ちゃん、婆ちゃん、今年もメロン、持ってきたよ。去年は親父と二人だったが今年から一人だ。爺ちゃん達はもう親父に会ったかな」


 灯明を消した智明が立ち上がる。ツカツカと玄関へ足を運ぶ。ライディングシューズを履いた智明は静かに引き戸を閉じ坂を下る。ヘルメットを装着する前に辺りの景色を目に焼き付ける。左には澄んだ小川、右には修復を積み重ねた民家。木々で隠された神社へ伸びる小道、青空を囲うそびえる山々。


 暫くたたずみ大きく息を吸うと智明は残りのメロン、二個と共に帰路に就いた。


 一週間後、店にはお馴染みのメンバーが集まっている。


「もう冷えたでしょ」

「よし、切るか」

「長かったよー、ここまでの七日間。なんで買ってから食べられるまでこんなに時間がかかるんだよー」

「そうですよね。こんなに美味しそうなものを一週間も目の前に吊されるなんて残酷ですよ」


 冷蔵庫からカッティングボード上へ移されたメロンに研がれた包丁が差し込まれる。赤、青、それぞれが二つに割られる。知と久は切り口の鮮やかさに目を奪われる。智明はまたそれぞれを適度な大きさに切り分けると器用に皮を分離するよう刃を動かし、皮にのった状態のまま一口サイズにカットした。


 フォークを添えられた皿がカウンター天板に舞い降りた。


「うわぁ」

「た、食べてもいいんでしょうかっ!」

「食えよ、黙ってな」


 智明は黙って食えと注文したのだが聞き入れられるわけがない。


「冷たーい!」

「なに、この甘さ!」

「果汁が溢れるっ!」

「赤は濃厚、青はサッパリ!」

「店長、なんでこれ、富良野メロンみたいに全国区じゃないんですかっ!」


 智明も思わず久の質問に反応してしまう。


「全国区になって欲しいのか? なったらもう、お前らの口には入らないぞ」

「それは困りますー」


 宴の舞台の裏手隅では外されようとしていたナンバーを保持された三台がしばしの眠りに入っていた。来年のメロンは高価なメロンとなりそうだ。





(注意) 言うまでもありませんが拙いフィクションです。現実のバイク屋さん、二輪車取扱店、ディーラー、店員さんとは失礼に当たらない距離感を保ちましょう。

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