第40話 レイン
※「第24話 紫陽花」「第26話 孤高のスナイパー」を含む展開となっています。
今日も窓の外は雨だ。客も来ないので店主は束の間の休息を取るはずだった。が、休講となった知に捕まっている。といっても話題も長くはもたないので普段と比較すると静かな店内となっている。いつものように場所はとある港街のバイクショップだ。
昼時となり店主が鉄のフライパンを振う。ペペロンチーノの香りが広がる。冷蔵庫からスパークリングウォーターを取り出す知が不満をこぼす。
「なんでカルボナーラじゃないのよ」
同時刻、雨脚も強くなった高速で西を目指すツアラーがあった。リアの頑丈なキャリアには軽合金のケース。そう、いつかカメラを携え店を訪れたSuperBlackbirdだ。大きなカウルとスクリーンが設計通りに機能し水を切り裂く楯となっている。その効果もあって深いウェットとなった路面を気にも留めず高い巡航速度をキープする。速度規制を知らせる電光標識が虚しい。
カウンターに唐辛子とオリーブオイルも芳ばしい皿が配置される。店主はライムを割りグラスに添える。
「この組み合わせってどうなのよ?」
「気にするな、気分だ」
知の疑問もそこそこに簡単な昼食に手が付けられる。BGMも会話もなく食事を終えると店主はそそくさと洗い物にかかる。彼は些細なことであっても先延ばしにはしない性格だ。
キュキュっとグラスを拭き上げているとバイクが停まる気配がした。鐘が鳴る。
「こんにちは。点検とオイル交換お願いします」
「
「良いですよ、問題なし」
まだ覚えているだろう。入ってきたのは赤い新型カタナを購入した関だ。だが後ろにもう一人いた。大柄な関に隠れるように人影がある。
「そちらは……」
尋ねようとした店主の声が消えた。知がフォローする。
「また来てくれたんですね。小刀、濡れっ放しも可哀想なので関さんのカタナと一緒にピットにどうぞ」
二人がバイクを作業場へ回す。店主も職人の
再度、玄関の鐘を鳴らした客が雨具を外しスツールに着いた。知がコーヒーを準備しつつ相手する。
「関さん、雨の日に珍しいですね」
「なぜか山を走りたくなってね、雨を眺めていたら」
第三の男が口を開いた。
「雨の日は山が……」「綺麗、なんだろ」
詰まった言葉を関が繋いだ。関が続ける。
「山で逢ったんで連れてきたんだよ、強引に。こんな日に山に来るなんて偶然とは思えないからね」
男の顔は下を向いている。知が明るく話しかける。今日は自然体だ。
「サイフォンじゃないですよ、ペーパードリップ。慣れた方法で淹れてますよ」
表情は和らいだが無言を貫く男。後ろで再び鐘が鳴る。
「約束通り、また来たわよ」
例のカメラマンだ。知達は気付かなくても店主には正体がばれている。雨の高速を弾丸の如く駆け抜けたのは彼女だった。知が挨拶する。
「いらっしゃいませ。雨の中、また来ていただけるとは嬉しいです」
「雨音を聞くと無性に走りたくなるのよ、高速を。この距離は丁度いいわ」
丁度いいと表現したのが触れるまでもなく東京から、この街までだ。これが知の第一印象である不思議さを増す結果となった。
レインスーツを脱いだ彼女はピットの方を
「あの赤いカタナ、あなた方のですね。何枚か撮らせてもらえます?」
「え、えぇ、どうぞ」
関は返事をし、
許しを得た彼女が、やや戸惑う先客を背中に表へ出る。そしてブラックバードのケースから写真機を取り出すと一度、店内へ戻った。彼女がレンズを交換する。
「万が一でも中に水分は入れたくないから」
一言、自らの行動を説明するとピットへ向かう。
彼女を確認した店主が手を止めた。
「あぁ、いらっしゃいませ」
「今日も何枚か撮らせてもらうわ。勿論、オーナーの許可は取ったわ」
小刀の横で中腰となった彼女に店主の呟きが漏れた。
「カミソリマクロ……」
カミソリマクロとは切れ味の鋭さで名を馳せた某レンズの異名だ。彼女が天使のように微笑む。
「やっぱりあなた、只者じゃないわね」
「クアトロHはどうしたんですか? 今日はメリルじゃないですか」
「ふーん。そこまで見てたんだ。水滴の描写はSD1の方がいいの。それにこれ、メリルじゃないわ。ただのSD1」
「ただのSD1……」
店主が声を切ったのも無理はない。量産されたSD1 Merrillなら驚かない。だが生産が軌道に乗らず超高価格となったため僅かな台数しか世に放たれなかったSD1。それが目前に存在するのだ。無理矢理バイクで例えるならプロトタイプと言えないまでも量産先行型か。
呆気にとられつつも仕事に集中しようとする店主を置いて彼女は極短時間で数枚を収めた。無駄撃ちをしない主義は変わっていないらしい。
「あのお客さん、常連?」
「いや、二回目ですね。東京からノンストップで来るそうですよ」
「それは凄いな、あの華奢な体で」
コーヒーを挟んで関と知が噂していると華奢と形容された長身が姿を現した。カウンターに置いていたレンズを掴みカメラに装着する。関が話しかける。
「聞きましたよ、東京からですか」
「はい、心を落ち着けるのには良い時間です」
「カメラは趣味で?」
「そんな感じですね。そうだ、ちょっとお店の雰囲気だけ撮らせてもらいますね。皆さんはそのままで」
彼女はニッコリ笑うと数歩、後ろへ下がり一度だけシャッターを切った。
店主が案内する。
「点検とオイル交換、終わりました。異常ありません」
「じゃぁ私達はこれで。坊主、来て良かっただろ」
軽く頭を下げる関の目は小刀の男の瞳を捉えていた。
知が会計を行いカメラを離した手が揺れる。
去り際に小刀の男が残した。
「コーヒー、旨かったよ」
彼らを見送るとブラックバードのオイル交換が行われ写真家も店を後にする。
「また来てくださいね」
「雨が降ったら来るかもね」
大丈夫。この人はまた必ず店のドアを叩く。いつの間にか雨が上がった路上で知は黒鳥に別れを告げた。
翌日、例のスナイパーのアカウントに三枚の写真をコンポジット、継ぎ合わせた一枚がアップロードされた。上部には横長くカウンターの中と外でカメラに背を向けた三人が写ったモノクロ。下部には鮮やかな色と共に左に水滴を弾く新型カタナのタンクのアップ、右に同じく灼眼の小刀のタンクが配されていた。タイトルは「レイン」だったが単に雨を意味したものなのか、なにか意味深長なものなのかは誰にも分からなかった。
(注意) 言うまでもありませんが拙いフィクションです。公道は法規遵守で利用しましょう。また不必要な空吹かしなどは迷惑です。節度を持って乗り物に接しましょう。現実のバイク屋さん、二輪車取扱店、ディーラー、店員さんとも失礼に当たらない距離感を保ちましょう。
プロットも相関図も無しに気が向いた時だけ思い付くままに書いて十万字に達しました。このような物語にお付き合いいただいている方々に深く感謝、申し上げます。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます