第35話 灼眼の大太刀

「新しいカタナじゃない。オーダー入ったの?」

「あぁ」


 知の問いかけに対して相変わらず素っ気ない態度を示す店主。場所も変わらずご存知のバイク屋だ。


「誰?」

せきさん」


 店主に名を挙げられたのは、春のエコラン大会で久に走り方をレクチャーしていたベテランである。


「関さん、BM手放すんだ」

「いや、売るとは聞いてない」


 話題のベテランライダーはもう四半世紀に渡ってのボクサー(注1)使いで、どう考えても新型カタナに興味を示すタイプではない。


「関さんって金持ちなのかー」


 遠い目をする知の呟きを水平対向二気筒、特有のビートがさえぎった。


「こんにちは。お、入りましたね」

「関さんいらっしゃい」「いらっしゃい」


 店主と知が出迎える。


「関さん、これ、本当にやっちゃっていいの?」

「はい、予定通りに」

「なに?」


 店主の伺いからなる意味深なやり取りに知が割って入ったが、二人は不気味な微笑みを伴う一言だけを返した。


「ひ、み、つ」


 二度、聞いても無駄だと悟った知は話を変えた。


「関さん、カタナ、好きだったんですか?」

「うーん、僕というよりは僕の親友かな、二つほど上の親友。好きだったのは」

「他人の好みでバイク、買っちゃうんですか?」

「違うな。僕の願望かな。もう一度、彼を走らせてやりたい、っていう」

「彼を走らせる?」

「うん。彼は昔、750ナナハンカタナが出た直後に手に入れて、当時は御法度だったクリップオンハンドル化(注2)もやって日本中を走り回ったんだ。そして社会人になってからも暇を見付けては攻めたり流したりしていた。愛していたんだね、カタナを」

「じゃぁ、そのお友達が買えばいいじゃないですか」

「いないんだよ、彼はもう」

「え」

「事故で逝っちゃった。バイクじゃないよ。彼は安全を重視する人だったからね。エレベーターの点検中に落ちてくるはずがないエレベーターの箱が落ちたんだ」

「……」

「で、この歳になって娘も息子も大学を出してやれて、マイホームのローンも終わって退職も近くなって。いろいろ考えた時に浮かんだのが彼の顔だったんだよ」

「……」

「そんな時に新型カタナが発表されたんだ。これだ! と感じて奥さんに相談したら驚くことに許可が下りて。BMも手放さなくていいって。クルマは軽になっちゃったけどね」


 場の雰囲気で会話が途切れた。


 その後、カウンターを挟んで店主と大まかな打ち合わせを行ったボクサーの騎士は、コーヒーカップをソーサーに落とし軽やかに去っていった。


 一週間が過ぎた。


「おぉ」


 ガレージの鐘を鳴らした知が思わず息を漏らす。目前にはキャンディーレッドとシルバーのツートンとなったカタナが鎮座していた。勿論、ブラックのピンストライプも配されている。ハンドルはヨシムラのセパハンとなり、それから逃げるよう、ガソリンタンク、いや、今となってはタンクカバーと称される部分も抜かりなくモディファイされている。その姿はどことなく灼眼をの小刀をイメージさせる。そして透き通るような赤いアルマイト処理が施されたラジアルキャリパーも存在感を放つ。


「いいだろ」

「うん」


 それ以上の言葉は必要なかった。


 店主がオーナーとなる紳士に電話をかける。


「出来ました。いつでもどうぞ」


 翌日、彼は現れた。土曜なので知も同席する。


「イメージ通りだ。夢に出てきたもの、そのものだ……」


 声が詰まる。こぼれるものを見られまいとしててのひらまぶたを覆う。店主と知は沈黙を貫く。


 数分後、しずくの主が空気を僅かに震わせた。


「ありがとう……ありがとう」


 店主が豆を挽き始める。知は新たなカタナ乗りをスツールに誘う。


 静かな時間を隔て、コーヒーがカウンター天板に優しく舞い降りた。


「関さん、なんで赤なんですか? 当時の750は全部シルバーだったんじゃないですか?」


 落ち着いた様子を確認した知が疑問を投げた。


「あぁ、確かに発売当初はシルバーだったけど後に1100にこのカラーが追加されたんだ。彼はそれを見て自分のカタナも塗ったんだよ。余程、気に入ったんだろう。いつだったかオリジナルの1100に買い換えた。それから亡くなるまで赤銀を通したんだ」


 知はいくらかの間を置いて深呼吸するように言った。


「綺麗」


 カップを持つ男に笑みが戻った。


「そういえば彼が亡くなる少し前、彼に憧れて同じ色の小刀を買った高校生がいてね。歳が一回りを超えて離れていたのに、よく二人でこの街の山を駆けていたよ。ヘルメットまで真似をして、ずっとシルバーのアライを被ってた。あの子はどうしたのかな、もう忘れちゃったかな」


 知の頭を影がぎった。


「そんなことないよ! 今もその人は心にあるよ!」


 知が語気を強めたのでカップを持つ手が止まったが、店主はなんとなく知の心情を察した。


 流れを断ってしまった知が質問を変える。 


「ハンドルはアップハンのままじゃ駄目だったんですか?」

「純正のアップハンドルも僕は好きなんだけどね、今の時代に合っているし。でもね、やっぱり彼の姿が浮かんじゃって」

「そうですか」

「あぁ、なんか辛気臭しんきくさくなっちゃったね。もうめよう、彼の話は」


 立ち上がると号令がかかる。


「カタナ、出して下さい!」

「了解!」


 店主が体良くショールームと名付けた店内から赤い機体が運び出される。初めて外気に晒された車体は陽光を受け輝いている。


 店主は最終確認を終えると真新しい銀色のフルフェイスを手渡した。


 パイロットが搭乗する。スターターが作動し右手がかざされる。その振る舞いは敬礼のようだ。


 カチッとギヤを鳴らし最新鋭機ならではのジェントルな排気音で秋の空気に消え行く紅の太刀たち


 見送る知と店主にはシルバーのアライが眩しかった。





注1: 向かい合うシリンダー配置でピストン同士が打ち合うように動くことから水平対向エンジンのことをボクサーと呼びます。四輪車ではスバル、ポルシェが採用し、二輪車ではBMW、ホンダが搭載車両を販売しています。


注2: GSX750S1(KATANA)発売の1982年、当時の保安基準ではメーカーデザインのままの低いハンドルで政府の型式認定を受けられず、スズキは苦肉の策として日本国内仕様のみ不格好な握り位置が高いハンドルを装着し販売しました。その姿から「耕耘機」の愛称、俗称、蔑称があります。当然、オリジナルデザインの海外仕様ハンドルに交換するユーザーが続出し、それを警察が取り締まり対象と見なしたため、取り締まり行為自体が「刀狩り」と呼ばれました。のちの法律、保安基準改正により、一定の範囲でのハンドルの変更は合法となっています。


(いつもの注意) 言うまでもありませんが拙いフィクションです。現実のバイク屋さん、二輪車取扱店、ディーラー、店員さんとは失礼に当たらない距離感を保ちましょう。

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