第34話 ブルースピリット

「店長、お客さん、連れてきました」


 お馴染みのバイク屋に珍しく久が徒歩でやって来た。


「あ、あの、ほ、ほんだっ、本田といいますっ! よ、よろしくお願いしますっ!」

「いらっしゃい、まぁ、楽にして。そこに座って下さい」


 いつになく店主は丁寧にもてなす。


「砂糖は要るかな? ミルクは?」

「あ、はいっ!」


 それを聞いた店主は小鍋にブラウンシュガーを加えたミルクを入れ暖める。ほどなくして少年が目を落とすオイル仕上げの天板に店主流のカフェオレが置かれた。


「で、どんなバイクが欲しいのかな?」

「え、えと、実は未だバイクのことがよく分からなくて」

「じゃぁ、なんでバイクが欲しいの?」

「え、えーと……」


 返答に窮する彼をアシストするかの如く久が口を挟む。


「本田君は私がNZRに乗ってるのを見たらしいんですよ、街で。で、なんか興味を持ったとか言って、隣のクラスから話を聞きに来たんです。ね、本田君」

「は、はい。そうなんです。なんか格好いいなぁ、綺麗だなぁ、気持ち良さそうだなぁ、と思って」


 店主が微笑む。


「いいんじゃないかな。誰だって最初はそんなもんだ。まぁ、色々、見て行ってよ」

「ありがとうございます!」

「聞きたいことはなんでも聞いて。あそこのお姉さんも役に立つよ。ちょっと怖いけどね。ね、お姉さん」

「誰が怖いだって」


 黙って聞いていた知がドスを利かせたので少年のまぶたが引きつった。久が笑う。


「本田君、知さんは怖くないよ。曲がってるだけだよ」

「曲がってるってなによ、久!」

「誰かさんに対する愛とか」

「……」


 久の耳が知の指で持ち上げられる。


「嘘ですー、冗談ですー、怖くないんでしょー知さん!!!」


 解放された久がスツールに落ちた。


 店主が説く。


「ま、こんな感じだ。心配しなくても君を取って食おうという悪人はいないよ」

「は、はぁ」


 直後、落ち着く暇を与えず知が冷たいトーンで呼んだ。


「本田君だっけ? 少し付き合いなさい」

「え、は、はい」

「店長、表のZズィー借りるよ、R1-Z。メットもね」


 知はカフェオレに未練ある少年の手を取りスタスタと表へ出る。久は不思議そうな顔で、店主は納得の面持おももちで、その様子を眺める。


 美しいシルキーホワイトの車体に近付くと、束ねられたサイレンサーの上にあるタンデムステップを引き出す知。無言でキックを踏む。そして数回、控えめにレーシングし、ヘルメットを投げた。


「後ろ乗って。ほら、早く」

「は、はい」

「しっかりつかまって」

「どこに……」

「腰に決まってるでしょ。腕、回すの」


 他に握る部分を探せず、気恥ずかしそうに知の体に手をかける少年。それを確認した知はやや乱暴にクラッチを繋いだ。


 街を流す。少年は風を受ける。音、振動、熱、流れる風景が五感を刺激する。なにより初めて体験する「動力」が心を衝き動かす。


 暫くして知は小川沿いの道にZを停めた。


「いつまでつかまってるの。降りて」


 促され降車する少年。ジャケットからはツーストロークオイルの香りがほのかに漂う。


「来て」


 二人でコンクリートで固められた河原に立つ。


 知が問う。


「どうだった?」

「よく分かりません。分かりませんが、なんだか夢のようでした。感動しました!」

「そう」


 背を向けていた知が少年の目を捉える。


「君、久が好きなの?」

「え……」


 口籠くちごもる少年に忌憚なく続ける知。


「じゃなかったら、わざわざ隣の組の異性にバイクについて相談したりしないんじゃない? 近くの男子に聞けばいいんだから」

「それは……」

「まぁいいわ。でも久のこと、軽く見たら許さないよ。それから、めるんじゃないよ、バイク。キチンと説明するんだよ、親にも」


 いくらかの沈黙が流れ、間もなく、つるべ落としとなる太陽が傾く。


「帰るよ」


 揃って来た道を見上げる。斜光に輝くクロス状のフレームが澄んだ瞳に焼き付いた瞬間だった。


 ガレージの鐘が鳴る。


「おかえり」

「店長、これ、さんきゅ。私、予定あるから行くわ」


 キーを返却した知はシングルシーターのNSRで愛想無く去った。


「どうだった?」


 残された少年に店主が知と同じ一言を重ねる。


「なんか今まで体験したことがない世界で」

「そうだよね。自身以外の力で動かされる独特の感覚って、経験して初めて分かるよね」

「それです、多分」

「自分で運転したらもっと感動するよ。神経がタイヤやエンジンに繋がって、出力が体にフィードバックされて」


 一旦、会話を止めると腰を折り冷蔵庫から缶を取る店主。少年の前に透き通ったピルスナーグラスが配され小麦色の液体がそそがれる。


「あ、いや僕は未成年で」

「ははは。ここはアウトローの店じゃないよ。一応、健全なバイク屋のつもりだ。ノンアルコールだよ」

「そ、そうですよね」


 少年が口を付ける。


「苦い……」

「あー、早かったかー。換えよう。はい」


 既にレモネードが用意されていた。


 ここまで当り障りない接客に徹していた店主が核心に触れる。飲めないと承知のビアテイスト飲料を出したのはワンクッションだ。


「知になにか言われたんだろうが気にすることないぞ」

「え」

「久ちゃんから聞いたよ。教習とバイクのためにバイト始めたんだって?」

「はい。あ、久さんは?」

「安心しな。君達が遅いのもあって帰ったよ。外せない約束があるとかで」

「そうですか」

「で、久ちゃんと一緒に走りたい、ってところ?」

「……」

「いいじゃない。好きなと同じことやって楽しみたい。それがたまたまバイクだったから教習所に通ってバイク買ってやる。金は自分で働いて用意する。男だよ。最高だよ」

「あ……ありがとうございます……」

「でもバイクは命に関わるから。そこは気を付けて。久ちゃんも悲しませるんじゃないよ」

「それは知さんからも言われました」

「やっぱり彼奴あいつ……彼奴は彼奴なりに気を利かせたつもりなんだ。悪く思わないで」

「勿論です。分かってます。それは知さんの背中からも伝わってきました」

「背中? ほう」


 打ち解けたおもむきに店主が悪戯っぽく口元をほころばせた。少年は頬を染め視線を逸らす。


 レモネードを飲み終えた少年が立ち上がった。


「あの、今日は帰ります」

「うん」

「あの、お店なのになにも買わないで帰ってもいいんですか?」

「バイク屋に来る度にバイク買ってたら大変じゃないか?」

「それはそうですね」


 青く、あどけなさが消えない表情がやっと明るくなった。店主も朗らかに返す。


「それに未来の大切なお客様をのがしたりはしないよ」

「今度は……今度は一人で来ていいですか?」

「熱烈、大歓迎だ」

「ありがとうございます!」


 勢いよく飛び出した制服が見えなくなるまで、ドアの前に立つ店主だった。





(注意) 言うまでもありませんが拙いフィクションです。現実のバイク屋さん、二輪車取扱店、ディーラー、店員さんとは失礼に当たらない距離感を保ちましょう。ノンアルコール飲料も、通常は成人のために製造、販売されています。未成年には出さないようにしましょう。

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