第43話 リトルミッドナイトクルーズ
辺りが寝静まろうかという二十三時。男がヘルメットからセミスモークシールドを外しピンロック付きクリアシールドを装着している。後ろでは知らないアナウンサーが抑揚のない声で大まかな天候を伝える。ヘルメットに取り付けられたインカムのインジケーターが赤からブルーへ変わったことを確認した男は充電ケーブルを引き抜いた。
そして入浴後に手に取った普段着からプロテクター内蔵のジーンズに穿き替え、シャツの上には電熱ベストを装備する。更に体を守るための装甲が施されたジャケットを羽織ると最後にクロノグラフの針を電波時計に合わせた。
ガレージのシャッターを解錠する。そのまま薄いスチールを引き上げると照明のスイッチに手を添える。明かりが灯ると艶めかしいメタリックレッドの車体が浮かび上がる。
キーを挿し、白いLEDの
前日にガソリンを満たしたため
キャブのフロート室にガスが充填される。男はコックをオンへ戻しカタナ特有のチョークダイアルを引く。次いで機体を垂直に立てスロットルグリップを数回、往復させるとイグニッションを入れた。
命を宿すかのように計器のバックライトが点灯する。実際には一瞬なのだが電球色のフェードに思える。間を置かずスターターボタンを押す。一秒かからずエンジンが始動した。
再びサイドスタンドに頼るとシート下のフレームに設置された電源ポートにUSBケーブルを挿入する。ヒートウェアに繋がるワイヤーは二本が直列に接続される。コネクタを一つ介することで
ベストの温度設定を終えるとチョークダイアルをオフにした男が乗車する。アイドリングは低い位置で安定している。自車のサウンド以外が存在しない静寂の中、ギヤをカタンと鳴らすと男はクラッチをミートした。
数分でインターに達した男は合流し西を目指す。純白色の前照灯が視界となる。他にないデザインのレブカウンターは三時の位置をキープする。ステアリングダンパーにより低減されたとはいえ、これより下はハンドルに伝わる振動が大きい。
長距離輸送のトラックを除くと交通量が少なく進路を妨害する者はいない。時折、走行車線と追い越し車線を行き来するだけで快適なクルージングとなる。予定通り数十分で次の有料道路への分岐を通過したカタナは北へ針路を取った。
直線が続く。無垢になる。ブルートゥースでナビが情報を耳に伝えるが気に留めるのは取り締まり関係だけだ。もとより目的地は設定していない。
このルートを選択したのは目前に開けるストレートのためだ。深夜に曲線がない高速を流すと心が洗われるような感覚に至ることを男は経験上、理解していた。
二時間程でハイウェイを脱したカタナは、いくらか国道、県道を経由し更に北へ走る。昼間ならワインディングに入り名物の蕎麦を食すところだが今夜はスルーだ。
また
発進する。数分も経たずして潮風が香り出す。海岸沿いの小高い地点でカタナの火を落とした男はガードレールにもたれかかった。
真っ暗なはずの海が見える。日本海だ。たとえ夜中であっても今の気分には観光客の残り香があるビーチよりこちらが相応しい。缶を開ける。波の音がする。無愛想なアナウンサーの語りは正しかった。穏やかな海面がなにかを反射しているように輝く。フルフェイスを脱いだ頬をそよ風が打つ。
十数分が経過しただろうか。他に気配はない。バイクもクルマも。短時間だが、この地は彼だけのものだ。
納得した男は黒いモーターに鼓動を返し先ほどの自販機横でリサイクルボックスに空き缶を与えた。潮騒を後にし帰路に就く。
無心がジャンクションを抜け都市高速へ伸びるバイパスを行く。夜明けが近いが喧騒は未だ遠い。
数時間前に進入したインターを降りると朝日が顔を見せた。早朝でも営業している物好きなマスターの店へ寄る。
「また走ってたのかい。いつものでいいね」
言葉なく
トーストの温かさが沁みる。BGMのない店内は無限滑走路の延長のようだ。
コーヒーを飲み終えると男は席を立った。
「ありがとうございました」
また生活が始まる。
(注意) この行程で小刀の六速、回転計、三時の位置は法定速度を若干、超えていますが演出です。公道は法規遵守で利用しましょう。
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