第17話 ファントゥライフ

 丁字ヶ辻ちょうじがつじを右に折れた知が山上の「メインストリート」を流し小さなワインディングに舵を切る。路面には森が影を落とし、この季節にしては冷たい空気を運ぶ。駅が見えた。スローダウンする。


 いつものパーキングに入る。NSRのイグニッションを落とす。階段へ向かう。


 途中、今の時代にしてはコンパクトなセダンが水晶体を通過した。


「旧いのに綺麗に乗ってる」


 ナンバーをうかがう。港町の名に続く数字は三桁に達しない。


「ワンオーナーかな」


 バイクにしか興味を持たない知でも素敵な物に出逢った気がした。


 階段を抜ける。光が広がる。フェンスに身を任せる。


 珍しく昼下がりの都心を見下ろす知。場所は夜間には我が庭となる天覧台だ。


「やっぱりきらめく街の方が好きかも」


 薄霞をまとったホームタウンは忙しさだけを連れてくるように思える。


 後ろに人の気配を感じた。振り返ると階段に消えていく背中がある。


「あの雰囲気、もしかして」


 しかし彼はヘルメットを手にしていなかった。それにジェットサウンドも吹き上がらない。


「気のせいか」


 知は煙る喧騒へ視線を返却する。いくらかの時間を心の平静のために費やしたので納得しNSRの元へ戻る。


 キックを踏み下ろす。他に人がいないのを確認し控えめにレーシングする。店長の手により甦った愛機は機嫌を損ねることもなくなった。発進する。


 知はなにかに吸い込まれるように「西」へ針路を取った。恐らく天覧台からの眺望が余り好ましくなかったので体が心地好い汗での埋め合わせを求めたのだろう。


 こんな時は真剣に攻めるより軽く楽しむくらいの方が気が晴れる。知にしては緩くスロットルを握っていると前走車に追い付いた。


「さっきの箱じゃない」


 赤いGTバッジと黒いウレタンスポイラー、主張しない二本出しマフラー、二桁ナンバー、間違いない。


 ドライバーの瞳がルームミラーを通し知を捉えた。


「なに?!」


 カーブでもないのにブレーキランプが二回、灯った。


「まさか合図?!」


 次の瞬間、最近の小型車からは失われた乾いた金属音が放たれた。


 戸惑う知を置いて純白のスリーボックスが逃げていく。


「分かった」


 知の全身にスイッチが入る。NSRの単純なエンジンを蹴飛ばす。ターゲットに接近する。


「速い」


 立ち上がりではパワーウェイトレシオでNSRが圧倒するがブレーキングとコーナリングは安定した四輪車のものだ。


「見せてもらおうじゃないの、ドラテク」


 セッティングを詰められたライトウェイトスポーツは恐ろしい勢いで減速する。ピッタリとマークするのは危険、極まりない。当然、下りに耐えられるだけのパッドとフルードが入れられているだろう。それに加速で有利だからといってオーバーテイクするのもリスクがありすぎる。車幅が小さい二輪車に仕掛けるのとは訳が違う。知は全て理解しているのでクルマ相手に無理はしない。


「やるね」


 コーナーへのアプローチで極短時間、制動灯が輝く。その間にブリッピングが行われシフトダウンされる。ヒールアンドトゥが板に付いている証拠だ。


 よく観察すると微妙に車高が落とされているようだし太いブーツも履いている。だが素通しの硝子や純正以外のエアロパーツを用いないところが大人を意識させる。


 お馴染みのタイトターンが近付く。ここのギャラリーが熟知しているのはモーターサイクルの音だけではない。


「4A-Gだな」

「ハチロクか」


 黄色い閃光が意表を突いた。


「おい、フォードアだぞ」

「ハチニーだ!」

「ハチニーってなんだ?」

「AE82、ハチロクと同時に売られたセダンだ」

「パワートレインはAW11、MR2と共通でシャシーも強化されている」

「速いのか?」

「あぁ、見てろ」


 超軽量競技用ホイールの大きな開口部から刀鍛冶が打つ心鉄しんがねの如き灼熱のローターを覗かせたハチニー。パイロットがサービスする。


 クリッピングポイント手前で僅かにアウト側にステアを当てると即座に切り返しアクセルオフ。アスファルトをほどいた後輪に合わせ駆動力を与え平行移動する。タックインを利用したカウンターを使わないエフドリだ。


「すげー」

「九百キロしかないんだ。トンネルシャフトもないからハチロクみたいな駆動系ロスもない」

「グループAの雨の西仙台は伝説だぞ」

「教えろよ」

「FX、スリードアだったが1.6L、NAのハチニーがDR30ターボも抑えてオーバーオールウィンだ」


 流石の白氷も脇役に回される。


「全く。私の出る幕、無いじゃない」


 ファントゥドライブ、ファントゥライド。言葉通りに躍った二台がゴールを迎える。


 ハチニーは植物園の玄関に寄り窓を開けた。知に対して小さく手が挙げられる。


「え!」


 慌てて応じようとした知だがとき、既に遅し。NSRは軽やかに彼の横を駆け抜けた。


「ふふ、誰でもいいじゃない」


 知は自然と笑みがこぼれた。


 今日の彼がシルバーのフルフェイスを脱いだ彼奴あいつだったのか。知る必要はないし確かめるすべもない。ただ走った後の変わらぬ爽快感が、その存在を伝える。


「たまにはクルマもいいかもね」


 帰路、428に連なるテールランプが美しかった。





(注意) 当然ですが拙いフィクションです。公道は法規遵守で利用しましょう。また不必要な空吹かしなどは迷惑です。節度を持って乗り物に接しましょう。四輪車の特別に強化されていないブレーキをこのストーリーのように下り坂で使用するのは大変、危険です。エンジンブレーキを利用しましょう。

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