第18話 緑釉の小刀
「こんちわー」
「よ。面白いもん入ってるぜ」
雨でも降るのか。雲一つ無い空を見上げる知の心が呟く。ここの店主が知の挨拶に対し意味ある単語を並べるとは珍しい。
「なに? 面白いものって」
店主がガレージの奥へ移動するので知も付いていく。
「どうだ?」
「いや、これで、どうだって言われても」
店主が置くことを忘れたスパナで指したのはボロボロの小刀だ。
「可哀想」
知が同情するのも無理はない。速度計は折れ、カウルはヒビ割れ、スクリーンは無く、サイドカバーは落ち、シートは表皮どころかウレタンスポンジも欠落している。本来シルバーであるべきタンクとフレームは浮いた錆で赤褐色に染まりつつある。水冷にも
「ところが、だ」
店主が説明を始めそうだ。知は長くなる予感を抱く。
「こけた形跡がない。フレームと脚に異常がないんだ。メーター読んでみろ」
「五千キロ? どうせ巻き戻しかメーター交換されてるんでしょ」
「ふふ。そう思うだろ? だけどローターやベアリングの様子から本当みたいなんだ。なにより素性が明らかだ」
店主の話を要約すると新車で購入したオーナーが体調を崩して乗れなくなり、その後、保管されていたらしい。青空駐車なので外装は見るも無惨だがエンジンは定期的に始動されていたそうだ。一時は愛情を注いだ相棒が目前で朽ちていくのは忍びない、と、買い取り依頼があった。無論、大した値は付けられなかったが店主の技術と人柄を高く評価していたオーナーは愛車の運命を託した。
「じゃぁ点錆だらけのサスと、タイヤ、ブッシュ、ホース、シールなんかの劣化したゴム類だけやればイケる?」
「微妙なところだがな」
「なんでオーナー本人は諦めたのよ?」
「体は治ったけど
「根性無しか」
「知は若いから分からんのさ。歳を重ねるに連れ判断も変わる」
「そんなものかなぁ」
納得出来ない知は思う。仮に怪我をして数年NSRを降りたとしても復活に尽力するだろう。
「どうすっかなぁ。やるとこまでやると売れない価格になるしなぁ」
「店長、なんでも完璧に仕上げてやろうってのは悪い癖だよ」
「そうなんだよなぁ」
「部品取りにしちゃえば?」
「うーん」
コックをプライマリーにしてキャブにガソリンを送る店主。ぶら下がったサイドカバーに付くカタナ特有のチョークダイアルを滑らすとスターターボタンが押された。
「一発だね」
「だろ」
暖機が終わりチョークが緩められる。回転計の針は低い位置にあり安定している。
「こんにちは。お、カタナじゃないですか」
「あぁ、
「いらっしゃい」
二人が挨拶を返したのは近所で
「調子、悪くないみたいですね。ちょっと触っても構いませんか?」
「どうぞ」
彼は車両の正面と真後ろでしゃがんだ後、ステアリングをロックトゥロックで動かしスムーズなことを確認、最後に軽くレーシングした。
「いくらですか?」
「え?」「え?」
「値段です」
土に還ろうとしている車体を前に顔を見合わせる店主と知。知が問う。
「本気なの大島さん?」
「勿論。前から
店主は顎を抱え三十秒ほどアイドリング音を聞いた後、答えた。
「整備に最低十万円。それ以上は大島君の想いでいいよ」
「商談成立ですね」
二人は笑顔と共に去っていく「購入者」を口を開けて見入る。
「やらなきゃな」
「テキトーに頑張ってね」
一週間が過ぎた。
「ちわ。ちょっ、店長、これ」
「見られるようになっただろ」
知の目の前には不足した外装を補われグリーンメタリックとシルバーに塗り分けられた小刀があった。無いと締まらない黒のピンストライプも添えられている。フレームも光沢を取り戻しフォークとリヤショックはオーバーホールされたようだ。チェーンやタイヤなどの消耗品も交換済みでエンジンやトップブリッジはウェットブラストされている。数えるのが馬鹿らしくなるボルト類も手間を惜しむことなく差し替えられている。シートは他の外装に合わせて前部は深い緑、後部はベージュのツートンカラーとなり、ホイールのスポーク部もゴールドに塗装されている。シートカウルは黒だ。そして今や発掘することさえ難しくなったパトリオットのチタン管が装着されている。パッと見て分かる範囲で、これだから隠れた部分は相当、手が掛けられているに違いない。
「緑って純正にないでしょ」
「あぁ、大島君は英国車が好みなんでブリティッシュテイストを採用してみた。少し明るめだがな」
「四十万でも元、取れないんじゃない? どうするの?」
「想いで、って言っちゃたから大島君次第だよ」
全く。これでよく経営が成り立つものだ。知は毎度の事ながら呆れる。
「知、試走を任せる。保険は大丈夫だ」
「え、乗るの? っていうか乗っていいの?」
「小刀の乗り味、知りたくないか?」
意地悪な質問だ。常に前を行く
「大島君に渡すんだ。くれぐれも無茶しないようにな」
「分かった」
店頭に引き出された小刀が陽光を受け輝きを放つ。ヘルメットを被った知が両手をステアリングに添える。
「重い」
引き起こしスタンドを払う時点でNSRとは異なる。発進する。
「うわっ、鋭いわ」
レスポンスが容赦ない。クラッチをミートするまでにジェットサウンドを響かせてしまった。
任されたとはいえ新オーナーへの責任から慎重になる知。暫くして意外なことに気付いた。
「低速トルクがある。二千回転での左折も問題ない」
知が聞くクォーターマルチ伝説はとにかく回せ、低域のトルクは諦めろ、みたいなものばかりだった。店長はなにか魔法でも用いたのか。
暖まったので一速で引っ張ってみる。
「え!」
余りにも吹け上がりが速くオーバーレブしそうになった。
「なるほど。面白い」
気付けば、お馴染みの方向へ針路を取る知。「表」を駆け
「慣性は感じる、だけど素直」
当然NSRより重量を意識させるがハンドリングは極めて自然だ。
「パワーバンドはもっと上かな」
遠慮がちなライディングで
ミラーを閃光が射貫いた。
「残念、今日はお仕事」
店長の大切な客の「新車」だ。流石の知でもバトルはしない。だがなぜか灼眼は追い越さず後ろから様子を
一分以上、経っただろうか。やっと灼眼が前に出た。左手のアクションで知を誘う。
「付いてこいていうの?」
知の直感がスロットルを開かせた。前方を行く紅の小刀は徐々にペースを上げる。
「思ったより全然、走る」
知が特性を把握した頃だ。赤いカタナの音が変わった。
「オーケー」
知はシフトダウンし真新しいレブカウンターをパワーバンドへ叩き込んだ。
「この音」
知の記憶に刻まれた「初めてのバーニングアイ」が甦った。全く同じ、ではないが二台は類似した高周波を奏でる。
それまで明らかに後ろに気を使っていた灼眼がもう一度、左手をハンドルから外し、今度は大きく振った。
「もっと回せ、だね。このエンジンならそうだね」
左半身が忙しくなる。レッドゾーンを試すわけにはいかないので九千から一万五千辺りをキープする。
「走る! 走る走る!!」
車重を抑える制動も理解できた。ブレーキもコントローラブルだ。慣れてくると切り返しも軽い。ナチュラルなだけのハンドリングではない。しなやかな脚もタイヤの接地状態を手に取るように伝えてくる。
例のタイトターンだ。
「おぉ」
「綺麗だ」
「あぁ」
ルビーとエメラルドの機体、黒と銀のモーターが続く。
無理をさせずに鮮緑の小刀を導いた灼眼が植物園の玄関に退く。知に向かって親指が挙げられた。
「ありがとね!」
知は届かない声を振り絞りつつ428へ抜け帰還した。
「どうだった?」
心配そうに知の言葉を待つ店主。
「バッチリだよ」
「そうか」
安心した店主が無口に戻りそうなので追撃する。
「店長、これ、直しただけじゃなくて色々やってあるでしょ」
「点火系はハイオクセッティングのマルチスパーク。後、キャリパー」
「NSRの」
「そう、対向フォーポット。それから大島君向きのラジアルタイヤ。その他、諸々かな」
翌日の夕方、完成の連絡を入れ洗車から拭き上げているところで「受取人」が来訪した。居合わせた知は新オーナーの反応を観察している。
「頼んで正解でした。じゃぁこれ、代金です」
茶色い封筒が店主に手渡される。
「大島君、ちょっと厚くないか」
「僕は店長の腕と時間、心意気を買ったんです」
「ありがとう」
知は店主が素直に礼を述べる姿を初めて拝んだ。
「じゃぁ気を付けてね」
「はい」
スリムな彼が跨った小刀は美しい。人車一体のデザインとはこうか。
控えめな排気音で離れていく彼を見送った店主は満足な表情を浮かべている。
「店長、いい仕事、出来た?」
「あぁ」
知が尋ねるまでもなかった。素っ気ない
「じゃ、私も帰る」
「あぁテスト、お疲れ様」
気持ち悪いくらい優しい店主の視界にある知の背中が小さくなり消える。
定刻も近いのでシャッターを
コーヒーを淹れる。オイルで汚れ工具で硬くなった
「俺、生きてて構わないんだよね」
独り言を漏らした店主が茶封筒の中身を知ったのは数日後のことだ。「対価」を熟知した青年実業家が包んだ金額は八十万だった。
(注意) 当然ですが拙いフィクションです。公道は法規遵守で利用しましょう。また不必要な空吹かしなどは迷惑です。節度を持って乗り物に接しましょう。現実のバイク屋さん、二輪車取扱店、ディーラー、店員さんとも失礼に当たらない距離感を保ちましょう。他車の部品を流用するには知識が必要です。安易な加工を伴う流用などは危険なので、そこもお忘れなきよう。
バイク屋の店長は店にいる時は「店主」、店から離れると「店長」表記になります。会話文では基本的に「店長」です。
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