第22話 白氷はご機嫌ななめ
「よ。直ったぜ」
「分かったー!」
スマホをポケットにねじ込みヘルメットを掴むと電話を受けた知が勢いよく部屋を出ていく。目指すはお馴染みのガレージだ。
そのガレージでは店主が使い終わった工具を拭き上げコンロにケトルをかけようとしていた。知のラジアル過信によるハイサイドで傷を負ったNSRはまたも店主の手により綺麗に修復されている。
「毎回毎回、はらはらさせてくれるぜ。全く直していいもんだか」
店主の心がぼやいていると大きい方の元気玉が飛び込んできた。
「どこっ?!」
店主は黙って輝く機体を顎で指す。知が駆け寄る。
知は真剣な瞳と共に一歩ずつ、ゆっくりと白氷を一周すると車体に抱きついた。
「待ってたよぅー」
ほころぶ顔でタンクに頬摺りする知。しかしカウンター横のチェアに後ろ向きに座り、にやけた表情で背もたれに腕を回す店主と目が合う。
「ハっ!」
「ツナギも来てるぜ」
「おっ、おぅ!」
照れ隠しの雄叫びが二人しかいない世界に木霊する。
「で、少しは懲りたか?」
「は、はいっ!」
一転し
「あのな、毎度のことだが旧車の修理ってのは結構、手がかかるんだ。パーツの手配なんかも含めてな。だから無茶するんじゃないぞ」
「NSRもカタナも旧車じゃない!」
店主は知の身を案じて
「あぁ分かった分かった。そういうことにしておいてやろう。だがなぜそこにカタナが入る? 灼眼に毒されたか?」
答えに窮した知の脳裏に肩に伝わった灼眼の手の感触が
「とにかく古くても現役でバリバリ走ってるバイクは旧車とは言わないの!」
「バリバリ走ってる世界中の旧車愛好家に喧嘩、売ってるのか?」
「そんなつもりはない! けど……」
「けど?」
「けどNSRは日常なにも特別に意識させない!」
「じゃ、お前のNSRを旧車じゃなくしてるのは俺だな」
「違う、私。いや、私と店長よ……」
「ふーん」
悪戯っぽく笑った店主はカウンターを
「まぁ座れ。ほら」
たっぷりの砂糖とクリームを注がれた褐色の液体がカップを満たす。もう片方のカップの液面は抽出されたままの黒だ。
「店長はなんでいつもブラックなの?」
「なんでかなぁ。特に理由はないな。こどもじゃないからかな」
「じゃあ私がこどもだって言うの?」
「違うのか?」
「ふん、コーヒーの好みくらいで色々、突っ込まれてたまるかっ」
相変わらずの光景に油冷シングルの歯切れ良いビートが挿入される。
「来たよ。もう一人の旧車乗り、旧車っ!」
「こんにちは!」
「いらっしゃい」
「ちーっす」
珍しく愛想無い返事をした知に久が尋ねる。久の質問は常に単刀直入だ。
「なんですか? 知さん、機嫌、損ねてます?」
「旧車だって、旧車。私のNSR。久のそれ、NSRより古いよね?」
「古いですけど旧車って言うのはどうかと」
冷静に異論を唱える久に知が畳み掛ける。
「店長が言ったのよ。NSRが旧車ならNZなんて旧旧車じゃない」
「それ酷いですー」
「ほら、酷いって。責任者!」
いつの間にかカウンターから姿を消した店主はリフトに向かってツールを握っている。五月蠅い客にはお構いなしだ。それに話を酷くしているのは知だ。
「逃げたな。久、旧車じゃないよね、私達のバイク?」
「勿論です!」
熱くなりかけた二人の耳にクォーターマルチの滑らかなサウンドが届く。店頭に停められたのは店主によって新たな命を吹き込まれたブリティッシュグリーンの小刀だ。
「こんにちは」
「大島さん、カタナは旧車じゃないですよね?!」
「知さん、どうしたの?」
「店長がNSRは旧車だって、カタナも」
「旧車? そんな感覚はないなぁ」
「ほら、店長! 久も大島さんも旧車じゃないって!」
「まぁまぁ、知さん。僕たちが旧車と感じず普通に扱えているのは店長のおかげだから」
流石、青年実業家。対応が大人である。くだを巻く酔っぱらいの如き会話をサラッと流すと用件を告げる。
「オイル交換お願いします」
「フィルターは?」
「今回は激しく乗っていないし交換間隔も短いのでフィルターは要りません」
「はい了解」
カタナをガレージに引き込むと店主は職人となる。
暫くして作業が終わり精算した青年は小刀を伴って消えた。
知が独り言をこぼす。
「全く。みんな大人なんだから」
「聞こえてるぞ、誰が大人だって?」
「私以外のみーんな」
久と店主は肩をすくめ、それ以上、語ろうとはしなかった。そして店主は入荷したてのニューモデルに添えられていた「新車!」というポップをNSRのスクリーンに貼った。
(注意) 当然ですが拙いフィクションです。現実のバイク屋さん、二輪車取扱店、ディーラー、店員さんとは失礼に当たらない距離感を保ちましょう。また古いバイクやクルマを「旧車」と呼ぶと快く思わないオーナーさんもいます。雰囲気を察して配慮し言葉を使い分けましょう。このストーリーは「本物の旧車」を貶めるものではありません。そこもお忘れなきよう。
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