第59話 ハロー、ダークマター

「ちわー。店長は?」

「なんか急ぎの仕事だとかでピットにこもってますよ」


 入ってきたのは知で答えたのが久。場所も変わらずいつものバイクショップだ。取り敢えずライディングギアを置きカウンターをくぐった知が豆を選ぶ。この店を初めて訪れた頃にはモカとキリマンジャロという名称程度しか知らなかった知も店主の影響かこだわるようになった。コンロに火を点けた知が久に問う。


「で、なに触ってるの? 店長」

「豆腐屋さんのバイクらしいです」

「また町内会的仕事、受けちゃったのかー」


 知は半ば呆れつつも手は動かしている。グラインドが終わりカタカタと鳴り始めたケトルを取り至極の一杯の元となる透明な液体をそそぐ。荒くも細かくもなく粉砕された褐色の宝石がドーム状に膨らむ。所定の時間、蒸らされた微細な泡をまとう山を二人分の熱湯が通過する。


「はい」


 スツールに腰かける久の視線上にカップとソーサーが出された。


「あのー」

「なに?」

「ミルクと砂糖、入れても良いですか?」

「変なこと聞くね。好きにしていいに決まってるじゃない」

「この間、先ずブラックで味わえ! って凄い剣幕だったじゃないですか」

「そんなことあった? 覚えてないなぁ」

「ったく。気分屋さんですか」

「うだうだ言ってると冷めちゃうよ」


 疑心暗鬼に陥りそうな久を放置しカップを傾ける知。身体からだの内側から熱が広がる。ニュースではちらほらと桜の開花が流れるようになったが未だライダーは冷たい風を受ける。安息の地に辿り着いてからの一口は格別だ。


「サイドメニューはないんですか?」

「ここにエプロンがある。キミなら作れるだろー。はい、頑張って」


 気を持ち直した久の突っ込みは軽くかわされた。


「ちょっと見てくるわ、ピット。リフトの周りも暖かくはないだろうから久、店長に一杯、お願い」

「え、私が入れるんですか? というか入れちゃっていいんですか?」

何事なにごとも最初の一歩。頑張ってねー、サイドメニューも。じゃ」


 悪戯っぽくウィンクした知がスタスタと作業場へ向かう。店内とワークエリアを隔てる扉を開けるとそれは目に飛び込んだ。


「かわいいー! なにこれ?!」

「お、知。来てたのか」

「うん。で、これスクーターなの? スクーターって言っちゃっていいの?」

「あぁ三輪スクーターだな。でも、これがかわいいのか」

「うん。どこの?」

「ダイハツ」

「ダイハツがバイク作ってるの?」

「作ってた、が正しい」

「じゃぁ古いんだ。名前は?」

「ハロー」

「ハロー?」

「英会話やプログラムの入門じゃないんだぞ。もっとまともな返しはないのか?」

「いや、そのままだから」

「そのままじゃないぞ。HelloじゃなくHalloだぞ」


 知が車体を一回りする。少し褪せた黄色がアンティークな雰囲気を醸し、三つのフェンダーと独特の形状をしたレッグシールドの白がアクセントとなっている。なんといってもフロントフォークまでボディ同色とされているのが良い。フェンダーとフォークの交差する曲線がホワイトとイエローで描かれキュートさを増幅する。大きく頑丈で実用的に映る荷台やエンジンには少し錆が浮いているが、それもご愛嬌あいきょうだ。逆ロケットタイプの丸目もお洒落と例えられなくもない。スポークともディスクとも決められない三角がトレードマークのホイールも他の部分にマッチしている。シフトレバーもブレーキペダルも持たないペグだけのステップは今の時代にはどこか抜けて見える。


 観察を終えた知が口を開く。


「面白いねぇ」

「そんなに気に入ったか。でも面白いのは中身だ」

「なに?」

「一輪駆動なんだよ。1WD」

「後ろの片側だけ?」

「そう。常に全輪が接地する三輪車の特性を上手く利用した設計とも取れるな」

「それで問題ないの?」

「分からない。乗ったことないからな。でも各地で実用車として今も生き残っているということは大丈夫なんじゃないの」

「乗ってみたいな」

「ハローの開発に関わったジョージ・ウォリスのアイデアからはのちのホンダストリームが生まれジャイロなんかに続いていくんだけど、それらの二輪駆動とは乗り味が違うらしい」

「他は?」

「電動車もあった。立派な電気自動車だよ。今ならトヨタ車体のコムスに当たるか。それから中身じゃないけど販売はダイハツディーラーで二年だけだったので売れてない。数がない」


 そこで店主はツールを収め手を綺麗にした上でハローの各部を拭き上げた。


「終わったんだね。お疲れ様。どこが悪かったの?」

「スロットルワイヤーの動きが渋くてアクセルコントロールが出来なかった。他にもブレキーシューやタイヤが寿命でキャブもイマイチだったから一気にやったんだ」

「てんちょー、差し入れ作ったんですが失敗しました……」


 店主の説明をさえぎり久が申し訳なさそうに漆黒の円盤を載せた皿を運んできた。


「え、なにそのブラックホール?!」

「ブラックホールは酷いです! ホットケーキです! ちょっと焦げただけです!!」

「ちょっとじゃないでしょ、全部でしょ」

「もういいです! 私が食べます!」


 ねる久とハローを囲み賑やかにやっているとオーナーが現れた。


「出来てる?」

「はい」

「流石だねー、約束の時間きっかり」


 知が質問する。


「あのー、配達ならジャイロとか新しいのでもいいんじゃないですか?」

「うーん、ジャイロは荷台が傾くでしょ。豆腐は水を入れて運ぶから停まっている時でも不用意に斜めになると困るんだよねぇ。後で出たジャイロUPはこれに近い大型低床荷台なんだけど買い換えるほどの魅力を感じなくて。キャノピーは屋根が邪魔だしデッキが高くて、やっぱり傾くよね。どれも豆腐に限った話だけど」

「軽四は?」

「ダメなんだよ。配達先の軒先とかに着けられなくて駐車違反になりやすい。それに昔ほど注文がないから、これで充分なんだ」

「あ、なんかすみません。せっかく大切にされて、こうして修理にも出されているのに余計なこといてしまいました」

「いや。話せて楽しかったよ。ところでそのダークマターは?」


 豆腐店のあるじが指差したのは会話を眺める久が抱えていた皿だった。久の顔が引きつる。


「ダ、ダークマター?! ホットケーキです!!!」

「ダークマター! 暗黒物質だって。これはSNSに投稿しないと」


 知がスマホを構える。


「やめてください! こんなの誰も喜びません!」


 久の抵抗も虚しく炭となったホットケーキが写真に収まる。久が写りを確認する間もなく「ダークマター」と一言、添えられた一枚が投げられた。


「酷いですー、知さん! 知さんが失敗した時は私もネタにしますから!!」


 久の絶叫を最後に客はハローを伴い優しい排気音で去り、残ったメンバーも普段通り無駄話をし解散した。


 翌朝、フレンチトーストを前にスマホに手を伸ばす知。タップして目を疑った。


「ダークマター! ダークマター!!」

「超ウケる」

「これなに?!」


 おびただしいコメントが連なる「暗黒のホットケーキ」には一万を超える、いいね、が押されていた。





(注意) 言うまでもありませんが拙いフィクションです。現実のバイク屋さん、二輪車取扱店、ディーラー、店員さんとは失礼に当たらない距離感を保ちましょう。


灼眼の小刀をイメージしたイラストを頂きました。カバーアートとも言える仕上がりになっています。近況ノートに貼っておきましたので、お時間が許す方はご覧下さい。

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