第47話 プリンス

「いらっしゃいませー」

「オイル交換」

「現在、作業中ですので少しお時間いただきますがよろしいですか?」

「いいよ」

「承りました」


 知の出迎えにぶっきらぼうに応えた客が店内を一瞥いちべつする。先に来店していたカフェオーナーの大島から離れてカウンターに肘をついた客。ポケットのタバコに手を伸ばそうとしてめる。


「どうぞ」


 客は知が淹れたコーヒーを無言で口に運ぶ。なにかを感じ取った知がピットの前をうかがう。


 今風ではない、というか、ある種、昭和を感じさせるわるっぽい単車が覗く。あくまで悪っぽい、のであって、悪ではない。白のタックロールシートも絞られたハンドルも黄色いヘッドライトも法規を満たしている。ショート管だって騒音規制値未満の音量だ。


 作業中、とされた店主はカタナのブレーキパッドを替えていた。緑釉りょくゆうが美しい大島の小刀だ。


「オーケー」


 工具を置き作業完了を伝えるため店内へ戻る店主。


平井ひらい君、久しぶりだね」


 平井と呼ばれた客は目だけで挨拶し店主はそれを当然として大島に用件を述べる。


「通常の消耗だけで異常はなかったよ。分かってると思うけど今度のパッドは初期制動を抑えたタイプだから慣れるまで注意してね」

「ありがとうございました」

「知、お会計」


 大島が支払いを済ませようとした時、働き盛りと思われる男が玄関の鐘を鳴らした。見慣れない客だ。


「あ、出来てますよ」


 店主が対応する。


「ステーターコイルでした。発電する部分ですね」

「そう。傷つけないようにちゃんとやってくれた?」

「勿論。今、お出しします」


 店の奥からCB1300 Super Bol D'orが引き出される。目立つホイールを始めとして高額なカスタムパーツが彼方此方あちらこちらに見受けられる。輝きも新車に近い。深い位置に保管していたのは万が一の盗難を考えてのことだろう。


「どうぞ」


 コーヒーを受け取ったボルドールの客は饒舌に語り出した。


「いやぁ、高速で急に止まっちゃってさぁ。保険会社に電話して大変だったよ」

「レッカーでここまで?」

「そう。変なところに運ばれないか心配しちゃった。ちょっと金かけてるからねぇ」

「は、はぁ」


 顔にこそ出さないが知が苦手なタイプだ。客は続ける。


「足回りだけで百万、超えちゃってさー」


 空気を読んだ店主がさえぎる。


「知、お会計して」

「はい」


 お客様控えを読み上げる知。


「部品代、技術料で四万二千円になります」

「高いよ。負けて」

「お客様、こちら規定の料金となっておりまして。端数は切っておりますし技術料も七千円と安価に設定させていただいております」

「それが高いって言ってんだよ! ちょっと部品、換えたくらいで七千円はないだろ」

「そう言われましても……」

「客が高いって言ったら高いんだよ。それともなにか? めてんのか?!」


 後方でスツールが揺れた。


「おっさん、あんた仕事なにやってる?」

「平井君、いいから」


 悪っぽい単車の彼は店主の制止を聞かなかった。


「いいや。あんたの仕事なんてなんでもいい。俺は建築だ。家を建ててる。だが建材で儲けたことはねぇ。収入は工賃だけだ。客が値引きを迫った場合、俺の収入が削られる。そんな客の家、建てようと思うか?」

「それがどうした? 私とはなんの関係もない話だ」

「分かってねぇな。世の中には値切っていいものとそうじゃないものがあるんだ。修理の場合、バイク屋は部品で儲けてるんじゃない。時間と手間と技術を売ってるんだよ。その技術を形作っている知識と経験もな。つまり限られた人生の中の限られた時間を使ってるんだ。腕を手に入れるのにどれだけの時間と努力を費やしたか考えたことがあるか? 人生を売ってるんだ。人生、人間は値切っちゃいけないんだ。分かったかっ! 分からないなら俺が元に戻してやるから押して帰りやがれ!」


 平井の声を最後に店内は沈黙に包まれた。ボルドールの客が財布からプラチナカードを取り出す。


「悪かったね。これで」

「ありがとうございました。お気を付けて」


 平井はなにもなかったかのように席に着き正面を見据えている。店主も普段通り確認する。


「平井君、いつものオイルでいい?」

「うん。一番、安いヤツな」


 平井の単車をピットに入れようと店主が外に出るとカタナにもたれかかる大島がいた。微笑んでいる。


「大島君、いたのか」

「助けようかと見ていたんですが、出る幕がありませんでした」

「代打まで用意されていたとは心強いねぇ。では王子様の馬のお世話を」


 会話はそこで終わり大島は静かに去った。残された店主は悪っぽい車両の横で最高級オイルの缶を開けた。





(注意) 言うまでもありませんが拙いフィクションです。現実のバイク屋さん、二輪車取扱店、ディーラー、店員さんとは失礼に当たらない距離感を保ちましょう。終盤までスーパーボルドールのオーナーに「イヤなヤツ」を演じさせていますが現実のCB1300 Super Bol D'or、並びにそのオーナーを貶める意図はありません。

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