第55話 夢みる億ション

 白い息が短い間隔で鉛色の空に消える。息の主は黙々と一台の単車を押す。心なしかボディを彩るはずのブライトシルバーメタリックも淀み重く見える。


 三ヶ月ほど前のことだ。自動車学校を卒業し免許を手にした少年は連日連夜、ネットオークションを徘徊していた。目的は一つ。カタナが欲しい。それも自分が持つ普通自動二輪免許で乗れ、オリジナルのGSX1100S KATANAに近いスタイルのGSX400S KATANAがいい。250ニーハンもあるがホイールが決定的に違う上、フロントダブルディスクでもなくエンジンも近代的な顔をしている。ある程度の妥協は仕方がないが理想とかけ離れるのは嫌だ。しかし一般の二輪車販売店、中古車店が扱う物は高すぎる。年式が年式だけにタマ数も減り人気アニメの影響と相まって価格の高騰を招いている。教習にアルバイトの報酬をぎ込んだばかりの自分には無理がある。それでも欲しい。どうしても欲しい。そのような想いでネットへのダイブを続けた。


「うん?」


 一台の車両が少年の目に留まった。見たところ、これといった大きな傷や事故歴も無さそうだ。それどころかタンクやフレームが輝いて映る。


「絶好調! レストア済!!」


 オークションタイトルにはそうある。少年は穴が空くほど説明文と掲載された写真を眺めた。開始価格は十万円。これなら獲れるかもしれない。出品者の評価も良い。躍る文字の内容に嘘はないだろう。


 三日後の日曜夜、オークション終了時間を前に手に汗、握る少年。価格はまだ二十万で踏みとどまっている。


「イケる」


 少年は終了六分前に二十五万となった表示を確認し、五分と五秒前に三十万をビッドした。五分を切った段階で値が上がると終了時刻が自動延長される。それを避け一撃で頭を奪取し競争相手の気を削ぐため多めの金額を打ったのだ。


 意外だった。二十五万円台に収まる僅かな価格上昇だけでカタナは少年の手に落ちた。り上げようとする者は出現せず延長もなく。少年の考えはその理由に及ばず彼はただ喜んだ。


 翌日、配送代金も含めて振込を終えると、


「明日、発送します。一週間ほどで届くと思いますので楽しみにお待ち下さい」


と迅速丁寧な連絡があった。車検証は別途送付されるらしい。


 それからの七日間、期待に胸を膨らませ夢の中にいた少年の元へ二輪車専門の陸送会社から連絡が入る。


「今からお届けに上がります」


 急ぎ通りに出て、まだかまだか、と待つ彼の前にバイク輸送車が現れた。


「じゃぁ降ろしますね」


 係員は手際よくカタナのタイダウンをほどきパワーゲートに載せ昇降ボタンを操作する。


「では受け取りのサインをお願いします」


 あらかじめ名義変更を済ませてあった車検証とフレームナンバーの合致のみを確認した少年は気持ち良く署名しトラックに別れを告げた。


 大地に立った機体を観察する。


「なんか思ったより草臥くたびれてるな。まぁオークションだからいろいろ盛るところもあるのでこんなものだろう」


 早速、キーを挿しチョークを引きスターターボタンをに指を伸ばす。始動の要領はもう何回も動画サイトで観た。


 十秒弱のクランキングでカタナは目覚めた。


「最初だからかな、ちょっと長かったな」


 やがて暖機が終わり、チョークダイアルを戻すと若干ラフながら問題なさそうなアイドリング音を奏でる。


 納得した少年はエンジンを切り暫くカタナ独特のフォルムをでると保管場所へカタナを移し厳重にロックを施し部屋に帰った。


「さぁ、明日からが楽しみだ」


 ウキウキとした気分でベッドに入った少年が眠れない夜を過ごす。


 翌日、少年は真新しいヘルメットとライディングジャケットをまとい、愛機に火を入れようとした。


 ところどころ白い錆が浮いたモーターは昨日のような声は挙げなかった。数秒、動く素振りを見せ沈黙した。響き渡るセルの音が虚しい。


 少年は出品者にコンタクトを取るが返信は冷淡だ。


「代理出品で聞いた内容をお伝えしただけなので責任は持てません」


 ここで初めて「やられた」と思ったが、もう遅い。


 少年は始動できないエンジンについて検索した。液晶に滲む結果はどれも初心者には難しく手に負えそうもない。こうなったらプロ、二輪店を頼るほかない。


 取り敢えず近いところから回ってみる。


 一軒目はオークションと明かすと無言で追い返された。二軒目では


「オークションなら仕方ないね、自分でなんとかしな」


 とは言ってもらえた。だが三軒目は


「キャッシュで三十万、ある?」


 と斬った。


 バイク屋はどこも遠く、少年自身も忙しかったので、ここまでで二ヶ月半が経過した。相変わらずカタナの原動機は呼吸しない。


 諦めムードで暗くなる中、ある日、バスの窓の向こうに看板が流れた。次のバス停で飛び降りる。


 看板まで駆けていった少年が矢印の案内通りに足を進めると小さなバイクショップがあった。店の前には瞳を奪うグリーンメタリックの小刀が停められている。


「ここなら」


 なにか灯火ともしびのようなものが少年のハートに宿った。


 そして冒頭に戻る。


 カタナのハンドルに手を添える少年はひたすら看板の店を目指す。長く険しい道のりではあるが最終段階に近い。


 同時刻、目標地点となった店ではいつもの光景が繰り広げられていた。


「今日はお客さん、少ないねー」

「お前、客になれよ」

「やだ。手伝ってんだからいいじゃない」

「引き替えの人件費よりNSRの整備代で負けた分の方が大きいんだよ!」

「嘘、言ってんじゃない!! 負けさせたこともないでしょっ!!!」

「まぁまぁ、お二人とも」


 触れるまでもなく知と店主の会話でなだめているのが久だ。


 くだらないやり取りの中、玄関の鐘が鳴る。


「あ、あのー」

「いらっしゃいませ!」


 少年は辿り着いた。知が明るく出迎える。


「バイクを診てもらいたいんです。エンジンがかからなくって」

「先ずピットに回していただけますか?」


 断られなかった。光りを得た少年が指示通りカタナを整備の場と思われるリフト近くへ導く。店主がゆっくりとピットのドアを開ける。


「ちょっと見せてね」


 柔らかいトーンで少年に接する店主。屈んで機体を一周するとおもむろに口を開く。


「これオークション?」

「はい」

「いくらで買った?」

「二十五万です」

「ふん。代理出品じゃない?」

「そうです」


 申し訳なさそうに語る少年の横で、一応、イグニッションを入れてみる店主。やはり息吹は感じられない。少し押し引きもしてみる。


「他でも見せた?」

「はい。でも断られたり、三十万とぼられたり」

「ぼってないよ」

「えっ」


 店主が暫く間を置きき始める。優しい口調が長くなる予感を誘う。


「先ずエンジン。キャブレターオーバーホール、同調、インシュレーター交換、エアクリーナーボックス清掃、クリーナーエレメント交換、ブリーザーパイプ交換、プラグ交換、プラグコード交換。コイルは換えなくていいかもしれないけどイグナイターは修理、多分コンデンサーが寿命。ドライブシャフト(注1)のオイルシールもダメ」

「そんなに……」

「電装はハーネス交換、または補修。電球は全て交換。メーターリビルト。必要に応じてスイッチ類交換。バッテリーは換えてあるみたいだけど品質は保証できない。ホーンも死んでる。これはハーネスかホーン自体かはあとで調べる」

「……」

「足回り。フロントフォークオーバーホールでインナーチューブは交換か再メッキ。スプリングも規定長に達しないので交換。ステムベアリング打ち直し。リアショック、オーバーホールか交換。ブレーキパッド交換。リアキャリパーは引き摺っているのでオーバーホール。フロントマスターシリンダーもホーニングオーバーホール。ブレーキーホース交換、タイヤ交換、スプロケット交換、チェーン交換」

「……」

「ラバー、ゴム類は全部交換ね。燃料ホース、カウルマウントなんかも含めて。それからタンクは交換か錆取り、洗浄、コーティング。キャップも漏れるだろうからメンテナンスした方が良いね。コックは勿論、交換かオーバーホール」

「……」

「ボルト類も換えた方がいい。それから、まぁ走れはするがフレームが少し歪んでる。転けたか当たったか。ハンドルは右は交換。完全に曲がってる。ミラーにはガタが来ているしブレーキレバーもクラッチレバーも純正じゃない。バーエンドも付いてるだけでウェイトとして機能してないけどどうする?」

「……」

「オイル交換とかクーラント交換とか注油なんていう通常のメンテは別ね。それにフレームもホイールもパーきだよ」

「パー吹きって?」

「錆取りも下地処理もしないで元の塗装の上に缶スプレー吹いただけ」

「でもレストア済って……」

「だから代理出品なんでしょ」

「…………」

「いいよ。二週間、くれるかな?」

「ここまで時間、使って診ていただきましたが……ごめんなさい、僕、お金ありません……」

「だからいいって。出世払い。出世してね。オーケー?」

「……」


 呆然とした様子の少年に店主がもう一度、問う。


「オーケー?」

「オ、オーケーです……いや、はっ、はいっ! 今野こんのっていいます! よろしくお願いします!」

「今の名前で契約成立」


 店主はそこで静かになり涙をたたえた少年は知と久が見送った。


 何事もなかったかのようにコーヒー豆を選ぶ店主に知が呟く。


「ちょっと。出世払いってなによ? 書類も書いてないよ」

「口約束でも契約なんだよ。それに放流した稚魚は大きくなって帰ってくるんだよ、何年かかるかは分からないけど」

「それが問題なんじゃない」

「巡り巡って億ションに住めるかも知れない、オークションだけに。ふふ」


 暖簾に腕押し、カスピ海ヨーグルトにコンクリートハンマーである。手応えもないので挽かれたコーヒーを味わうと知も去った。


 二週間後。来店の知らせを受けた店主は眩しいスターホイールを伴う美しいカタナを店頭に並べた。その美しさを形作るのは店主の汗と例の熟練塗装職人、ぜんさんのわざだったが、未来での処理を待つ、お客様控えに塗装の項目は存在しなかった。





注1: 一般的にカウンターシャフト呼ばれる部分をスズキではドライブシャフトと呼びます。


(いつもの注意) 言うまでもありませんが拙いフィクションです。現実のバイク屋さん、二輪車取扱店、ディーラー、店員さんとは失礼に当たらない距離感を保ちましょう。出世払いも現実にはありません ;) 免許を取り立ての方にオークションはお勧めできない、といった内容のストーリーですが、全部、自分でなんとかしてやる、根性だ、と言い切る方まではお止めしません。完璧を目指さなければなんとかなる場合もあります。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る