第62話 あひるの子

 その朝、とも流行病はやりやまい、収まらぬ下界を離れ天空に近い場所にいた。丁字ヶ辻ちょうじがつじを左に折れたところで足をつきシールドを上げる。雲上でもないが、やや霞がかかっていて九月中旬なのに息が白い。冷たい静寂の中、グローブも外してガードレールにもたれようかと姿勢を変えたところで後方からエグゾーストノートが響いた。


「マルチか」


 振り返る知の前をシルバーの機体が通り過ぎる。


「え、なに、彼奴あいつなの?」


 反射的にキックを踏み降ろしスタンドを蹴りスロットルを捻る。どうやら攻めてはいないようでぐに追い付いた。見慣れた後ろ姿はライダーだけだ。操られているのはくれないの小刀ではない。


「モノサス?! ガルアーム?!!」


 少し距離を置き車体の傾きを利用して観察する。見えてきた。フロントも対向シックスポットキャリパーのダブルディスクに倒立フォークだ。大きくモディファイされているのは足回りだけではない。シングルショックを避けるためもあるのかエアクリーナーボックスは取り除かれオーバルなパワーフィルターを伴う四連FCRキャブが吸気をつかさどっている。ガルアームのフォルムを上手く利用した輝くロング管はフォークがまとう異形のフェンダーとコーディネートされたサイレンサーに続く。そして絶妙の角度で跳ね上げられている。ホイール、シート、エンジン、スクリーン、リザーバータンクがブラックで決められているが、その手のペイント等で失われがちな気品は保たれている。製作した者のセンスに疑問を挟む余地はない。それはテールカウルに艶を持たせシグナルジェネレータカバーやバーエンド、レバーにシルバーを差す気配りからも確かだ。フレームもステップ周りをカットされながらオリジナルの光沢が維持されている。カフェを感じさせるターンシグナルやミラーにも嫌みがない。


 知は流している間、様々な想像を働かせたが前を行く背中はヤツに違いない。どういう理由で、こんな小刀を駆っているかは問題ではない。いつもならこの先の牧場前からキレるはず。


「フっ。見せてもらおうじゃないの、そのカタナの実力。見かけ倒しじゃないよね」


 予想通りだった。インテークバルブが開かれる。


「その太い音もいいじゃない」


 閉じ忘れていたシールドを叩く知。間隔を保ったまま二台のバンク角が増していく。


「ターンインから立ち上がりまで流れるよう」


 そのコーナリングは間違いなくライディングテクニックからもたらされるものだが彼の愛車、バーニングアイと同様ではない。よりモダンで洗練された動きとうかがえる。


「行くよ」 


 知がNSRに鞭を打とうとしたとき、マシンの様子を探っていたような灼眼の動きも変化した。長いマフラーが咆哮ほうこうする。NSRの薄いチャンバーも独特の共鳴音を発しながら唸る。灼眼の背後を知が取り追う。慣れた展開ではあるが久しぶりだ。カタナの先鋭的なステップが大地に近付く。


 更にワイヤーを引こうとする知。しかし普段とは異なる前走者の挙動に気付いた。


「もしかして本気マジじゃない?」


 二車ともに限界に近い領域でコントロールされているのだが百パーセントではない。あの熱量ほとばしるバトルにならない。なにか理由があるのだろう。知は勝負をあきらめた。その気がない者を追い込むのはフェアじゃない。それならしばし楽しもう。ファントゥライドスピリットだ。


 ランデブーがギャラリーコーナーを抜ける。


「灼眼と白氷だな、でもあのカタナはなんだ?」

「それに速いがバチバチしたものを感じなかったな」

「カスタマイズ車両のテスト、試走か」


 観客から憶測が漏れた。


 ツイスティーな下りでワルツを踊った分かる者達がゴールの直線にかかる。先導する形になった男が例のエリアに知を導く。珍しく停車するようだ。素直に従いNSRを並べた知に一層、珍しく彼から口を開いた。


「察してくれたようだね。ありがとう。後ろから見てどうだったかな」


 知は質問の意図が掴めなかったが思ったことをそのまま述べる。


「それはもう小刀じゃないね。でも小刀だ」

「出来れば分かりやすくお願いする」


 冷静な声に考えながら返す。


「とてもスムーズな上に鋭い。完全じゃないけど最近のSSに近い動き。だけどカタナ。上手く言えない、ゴメン。とにかく私のNSRにも近いものを感じる」


 お忘れではないだろうが度重なるクラッシュからの復帰の際に知の白氷は大きく手を入れられている。大幅な近代化が行われているといっても過言ではない。


 しばらく沈黙が流れたのでストレートに尋ねる。


「そのバイク、どうしたの?」


 赤くないカタナの横に立つ灼眼が答える。


「セッティングを詰めてくれ、と頼まれ預かった。だから未だ指摘された通り完全じゃない」

「それにしても大胆にやったもんだね」


 僅かな間の後、語りが始まった。


「私は本来、こういった大幅なモディファイは好まない」

「知ってる」

「だが此奴こいつのオーナーはデザイン、開発、現場、全ての創造者に敬意を払っている。どこまでも現代化を追求しながら決してオリジナルを軽く見ない。『カタナ』を失わないように筋を通しているんだ」

「分かるよ」

「だから今回の件も引き受けた。広い世界、一台くらいこんなカタナがあってもいいじゃないか」

「だね」

「私はこれをあひるの子だと思っている。決して醜くはないが将来、より美しく羽ばたく雛だよ」

「気取ってるなー。サイドカバーにないやいばは羽ばたくと付くの?」

「さぁね、それを知るのは本来のパイロットだけだよ。というわけで今日は走れなかったんだ」

「うん、分かってる」


 それ以上の言葉は必要なかった。異なる思想のもとに手を入れられ愛される鉄馬達。理解する二人は揃って泣き出しそうな空を見上げた。灰色の雲は山の秋が短いことを告げていた。





(注意) 当然ですが拙いフィクションです。公道は法規遵守で利用しましょう。また不必要な空吹かしなどは迷惑です。節度を持って乗り物に接しましょう。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

灼眼の小刀 七紙野くに @namelessland

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ