第20話 進化の真価

 少しだけ時を戻して初夏を語ろう。


「てんちょー、私のNZ、いつのバイクですか?」

「メーカーでの製造なら八十六年かな」

「馬力はいくつですか?」

「吊しで33ps。ちょっとやってあるけどな」

「重さは?」

「削ったから乾燥で110kgくらい」

「じゃぁこれ、意味、無いじゃないですか」


 久が両手で掲げ店主に見せたのは雑誌の新製品記事だ。そこには二千零にせんゼロ年代後半以降、長期間、生産が途切れていた油冷モデルが復活すると書かれいた。奇しくも久のバイクと同じクォーターシングルだ。


「またバッサリと。意味はあるよ。インジェクションで神経質に扱わなくて済むし」

「三十年以上前のバイクより力が無くて重いんですよ」

「仕方ないよ、時代だ。安全性や騒音、排ガス規制も考えないと。それにトルクカーブなんかも含む乗り味って出てみないと分からないだろ」

「納得できません!」

「数字だけで判断すると失敗するのはレプリカブームが証明してるぞ」

「うーん。あSOHCですよ、駄目じゃないですか」

「シングルカムにもメリットはあるんだ。フリクション、抵抗が減るだろ。部品も減るから価格も下がる」


 やれやれ。動弁機構の形式なんてどこで覚えたんだ。店主は困惑の表情を浮かべつつ頭でっかちになりかけている久に対し真面目に言葉を返している。しかし次の一言が店主のお人好しな応対にとどめを刺した。


「てんちょー、NZの中古や部品取り集めてNZR、量産しましょう! メーカーをぎゃふんと」

「ストップ、そこまで。そんなことしたら店が潰れる」

「つまんないの」


 久が渋い顔でページをめくっていると歯切れの良い音が聞こえてきた。ガレージの入り口にライムグリーンの車体が傾けられる。


「こんにちは」

「いらっしゃい、多田ただ君。調子どう?」

「好調ですよ、特に問題と感じる所もありません」


 店主は多田君と君付けで呼んでいるが久よりは一回り上の常連さんだ。最近、気軽に乗れて走りを楽しめる機種が欲しかったとNinja 250SLを購入した。


「多田さん、これ、どう思いますか?」

「良さそうだね」

「多田さんまでー」


 久の援護射撃願望はアッサリと打ち砕かれた。


「多田君、久ちゃん、それが気に食わないんだって」


 店主が簡単に経緯いきさつを説明すると聞き手が話を振った。


「久ちゃん、僕のニンジャに付いてきてみる?」

「え、走るんですか?」

「うん、ちょっとだけね」


 ヘルメットを片脇にガレージから出て行く二人を店主が微笑ましく眺める。


「多田さん、どうせ走るなら『西』にしましょう」

「そう?」

「はい!」

「余裕、持って往復二時間くらいかな。それならいいか」

「ありがとうございます!」


 二台の排気音が遠ざかる。


「さて、どうなるかな、ふふ」


 店主はコーヒー豆の袋に手を伸ばした。


 二十分後、「表」を駆けのぼる二人。


「やっぱり。この程度じゃない」


 難なく追走する久が心で呟く。


 軽快な足取りで丁字ヶ辻ちょうじがつじに達し左折する単気筒達。ニンジャのフルフェイスが振り返り久の様子を確認する。サウンドが変わった。


「ここからなの?」


 久もスロットルを開く。連続音と化した新旧シングルのエグゾーストノートが重なる。


「え、速い」


 灼眼や知との山を経験した久は少なからず自信を持っていた。だが目の前を行くテールランプには彼らにも劣らぬキレがある。


「これより重いはずなのに、これよりパワーが低いはずなのに」


 エンジンのビートと共に久の胸の鼓動も高鳴る。間隔を保ち続ける久をミラーで冷静に捉える前走者がペースを上げる。バンク角が増していく。


「なんで楽々と振り回してるの? 後ろ見て手加減してるし」


 ニンジャのパイロットはハンドルもステップも介さず脳がタイヤに直結しているように自由自在に機体を操っている。比較すると久はブレーキレバーの握り具合、ステア、荷重など様々なものに気を使い体が硬くなっている。いつの間にか知から教わった「力を抜く」ことさえ忘れている。


 そして状況は変わらぬまま最終コーナーを抜ける。連なり植物園の玄関に寄り停車するマシン。声が出ない久に持ち上げられたシールドから笑顔が投げられた。


「どうだった? 楽しめたかな?」


 無言でてのひらの汗を意識する久。敏感な青年はサラリと流す。


「帰ろうか」

「多田さん、私、ちょっと用事を思い出したので、多田さんは一人でお店に帰ってください」

「そう?」

「それじゃ」


 言い終わると、そそくさと発進する久。見送った「先導人」は店へ戻る。


「ただいま」

「お帰り。あれ、久ちゃんは?」

「用事があるとかで帰っちゃいました」

「ふーん」


 店主は薫るカップをオイル仕上げのカウンターに置く。


「お疲れ様」


 一言で済んだ。会話は要らない。


 彼が店を去ると店主は久が折り目を付けていった誌面に見入る。


「ジクサーか。久々に胸躍る新車だな」


 翌日、例の如く元気玉が飛び込んできた。


「こんにちはー」

「久ちゃん、いらっしゃい」


 また雑誌を、今度は力強く掴む久。


「てんちょー、これいいですね。進化してるんでしょ? 三十年分」

「まぁな」


 満面の笑みを浮かべる久に、彼女のNZRには数十年分にも勝る進化を自らの手で与えてある、とは告げられない店主だった。





(注意) 当然ですが拙いフィクションです。公道は法規遵守で利用しましょう。また不必要な空吹かしなどは迷惑です。節度を持って乗り物に接しましょう。現実のバイク屋さん、二輪車取扱店、ディーラー、店員さんとも失礼に当たらない距離感を保ちましょう。

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