第55話 教室と廊下は走らない!何故なら?

開けると古めかしい音がなる銀色の大きなドアを開けて吹奏楽部の活動場所である第一音楽室に弘之と拓郎が足を踏み入れると既に沢山の部員達がお喋りをしたり、気の早い者がマウスピース等で音出しをしていたりたりと、ワイワイガヤガヤ各々がミーティング前の自由な時間を過ごしていた。


「よーし。俺も先に楽器を取りに行くぞー!」


「まってよー。僕も行くよー」


先に楽器を出して音出しをしている部員達を見た拓郎は自分もミーティングが終わったらすぐに楽器が吹ける様に準備しておこうと、楽器を取りに音楽室隣りの楽器倉庫(音楽準備室)へとダッシュで駆け出す。

そしてそんな拓郎に負けじと弘之も急いで拓郎の後を追った。

2人とも早く楽器を吹きたくて仕方がないのであろう。


「もーっ! 教室と廊下は走っちゃだめだよー!」


視界の端の方でおさげ髪の小学生っぽい女の子がピョンピョンと飛び跳ねながら何かを言っているのが見えたがスルーする弘之と拓郎の2人。


2人は隣りの楽器倉庫から学校備品であるが自分専用と決められた楽器を「ガッ」っとかっさらう様な仕草で棚から引き出して取ると、帰りも駆け足で音楽室へと戻る。


音楽室から準備室へと先に駆け出したのは拓郎であったが、準備室の棚の並びでトロンボーンの方が手前にあった為、帰りは弘之の方が早く音楽室の前へと到着した。


「へっへーん♪ 僕の方が早いもんねー!」


弘之は勝ち誇った様に音楽室の扉のドアノブを掴みそれを一気に引くと中へと急いで突入する。


ガチャ

ギィィー


「僕、いっちばーん! わぁぁあ!?」

「キャア!」


ドンッ


「あいたたたー」

よく前を見ずにドアを開けて中へと勢いよく駆け込んだ弘之は音楽室入って直ぐ入り口付近にいた女の子にぶつかり、そのままその女の子と一緒に床へと倒れ込んでしまう。


「わっ、わーっ! ごめんなさい! ごめんなさい! ごめんなさい!」


気が動転して女の子の上に倒れたまま、相手の顔も見ずにひたすら謝る弘之。

すると弘之の下敷きなっている女の子が苦しそうとも恥ずかしそうとも言える様な小さな声で弘之の名前を呼んだ。


「ひ、弘之……あの……」


(ん?名前で呼ばれた? って事は仲の良い娘かな? えっと、僕を名前で呼ぶのは琴ちゃんと……あとはー……)

名字でなく名前を呼ばれた事に気が付いた弘之はその声に反応し顔を上げ女の子の顔をしっかりと見る。


弘之がよーく目を開けて見てみると、やはり自身が下敷きにしているのは幼馴染の伊達だて 琴映ことえだった。


「わっ! こ、琴ちゃん? ホ、ホントにごめん! 大丈夫!? 怪我は無い? あっ。えっと……」

(うわっ。琴ちゃんの顔が、す、直ぐそこに……なんかドキドキしてきた)


弘之は自分のぶつかった相手が全く知らない女の子では無く幼馴染の琴映だった事に少しだけ安堵するが、琴映の顔が普段の距離ではなく、直ぐそこ10㎝ぐらいの位置、あまりにも近くにある事に気が付き顔を赤らめ胸をドキドキとさせながらそのまま固まってしまった。


「ん……っと。け、怪我は無いん……だ……けど。あの、そのっ。弘之っ……手、手を……」


「手?」

(手って?手? あっ、あーっ! そうだ!手に持っていた楽器っ! 楽器大丈夫かな!?)


琴映に「手」と言われた弘之はそのワードからさっきまで手に持っていたトロンボーンケースを思い出し右手を確認する。


「ギュッ」


弘之は右手を意識し、その手の感触を確認するとしっかりとケースを握っているのがわかる。

弘之と一緒に倒れ床に当たったもののBach純正のハードケースの為、表面上は大丈夫そうだ。


「琴ちゃん! 僕、楽器ちゃんと持ってたよ! 大丈夫そう!」


「そ、それは良かったね。って……ち、違うの……楽器じゃなくてね……。あのね……。は、反対の手を……どけて、欲しい……の」


琴映は顔を真っ赤にして横を向き視線を落とし弘之を見ないようにしながら、弘之に楽器ケースを持つ手と反対の手を退かすように懇願する。


「反対の手ぇ?」


反対の手と言われた弘之はそのまま視線を琴映に固定したまま、楽器を持っている手と反対の手である左手に意識を集中しその手を動かしてみる。

グーパー、グーパー。


フニフニ。

モニュモニュ。


すると肉まんぐらいの大きさでフニフニと柔らかいモノを握ってるような感触が弘之の左手に伝わってくる。


「ん、ん……」


琴映は弘之の手の動きに連動して、抑えた声をだしながら小さく身じろぎをする。

そしてその顔は弘之が未だかつて見た事がないほどに真っ赤に染まっている。


そんな琴映の反応と自分の左手から伝わる感触を不思議に思った弘之は若干の嫌な予感を感じながらも、不思議な感触の原因を解明しようと視線を自らの左手に移す。


すると、なんと弘之が偶然、あくまでも偶然、ホントにホントに偶然、左手を置いていたのは琴映の右のブレザーの上。

つまり胸の上だった。


「あっ!(えっ!? えーっ! む、む、胸ーっ!!!?)」


弘之の中で全ての時間が止まった。


右手に楽器、左手に意中の人の胸。

良かったね。弘之。

って馬鹿やろー!!


ぶつかって2人で倒れて押し倒す形になり、偶然手を胸の上に置いてしまっただけならまだ弁解の余地もあったかもしれない。

しかし弘之は琴映の言葉で自身の左手の置き場所を見る前に其方を意識してしまい、右手と同じ様にそれを動かして確認してしまった。

グーパー、グーパー。

フニフニ、モニュモニュと。


(どうしよう!? どうしよう!? どうしよう!!?)


先程以上に気が動転した弘之は全身に冷や汗をかき、心臓をバクバクとさせながら、必死に足りない(←かなり)ポンコツ頭をフル回転させて言い訳を考える。


(そ、そうだ! フォローだ!フォローするしかない! 考えろ! 考えるんだ弘之!)


「えーっとね……。何かね……。すっごい柔らかかったよーぉ♪ てへぺろっ♡」


無い頭で必死に言い訳を考え、それでも良い弁解のセリフが見当たらなかった為に可愛く言って誤魔化す弘之。


しかし琴映は全然納得しなかったようで直ぐに弘之へと全力のグーパンチを飛ばす。


「このっ! 大バカひろゆきーっ!!!」


バチコーン!!!


ゴロゴロゴロゴロー!


顔色を先程までの恥ずかしさの赤から、怒りの赤へと変えてスーパーコトエルへと進化した琴映。

弘之はそんなスーパーコトエル(超琴映人)から本気のグーパンチで頬を殴られ、右手に持った楽器ケースを庇い身体で抱き込みながらゴロゴロと横へと転がって行った。


琴映は立ち上がり制服の乱れを直すと、床に転がる弘之を一瞥いちべつする。

そして大きな声で「もう、ぜったい! 弘之とは口を聞かないからね!」と言うと、ドスドスと大きな足音を立ててその場から去って行った。


「そ、そんなぁ……。悪気あった訳じゃ無いのに……」


痛みを耐え床に転がったまま楽器ケースを抱いて、泣き言を言う弘之。

その表情は絶望の色に染まっている。


「あー、痛そう」「でもあれはダメだよねー?」「伊達さん可哀想」「橋本君わざとかなぁ?」「そんなことー。するよーな、ひとじゃないよーお♪(結)」「庶民の方って大胆ですのね(頼)」「ひろっち……天然もやり過ぎは駄目よぉ(姫)」


最初の衝突から事の成り行きを心配しながら見守っていた他の部員達も口々に各々の感想を語りながらだんだんと散って行く。


転がったまま、暫く放心し天井を眺めている弘之。


そんな床に転がる弘之に上から声が降ってくる。


「ふむふむ、はしもっちー? これが少年漫画とかで良く見るラッキースケベってやつかね?」


弘之が見上げると小学生みたいな短い手足とおさげ髪の吹奏楽部部長、稲穂いなほ 波瑠はるが弘之の傍らに立ちそれを見下ろしていた。


「ぶ、部長。感心してないで助けて下さいよー……あとその位置だとお子様パンツが見えそうなので気をつけて下さい」


琴映との事とか現状とか、色々と助けて欲しい弘之は波瑠に懇願し救いを求める。

余計な一言を添えて。


すると、弘之の言葉に波瑠は慌ててバッと数歩下がって弘之から距離を取るとスカートを手で抑え、その場にしゃがみ込み防御体制を取る。


「ひゃっ、ひゃー! 見るなーっ! さてはもちもちはしもっちー、ラッキースケベ2を狙ってるなー?」


スカートを抑えながら、餌を取られるのを警戒する猫のように「フーフー」と弘之を威嚇する波瑠。


弘之は(いや、小学生のパンツ見ても嬉しく無いしねぇ……)と喉まで出かかった言葉を呑み込み、誤魔化すように「あはは……」と弱々しく笑うとそのまま力なく波瑠を見ていた。


少しそうやって警戒していた波瑠だが、やや落ち着くとスカートを抑えてしゃがんだままヨチヨチと弘之の側まで来る。

そして「だから、教室と廊下は走っちゃダメだよーって言ったのにー。 もうミーティング始めるからね!」とだけ言ってクルッと回りながら立ち上がり、指揮台の方へと歩きだした。


「あっ、クマさんパンツ……」


弘之は波瑠がクルッと回りながら立ち上がった時にチラッと見えた「ナニカ」を小さく呟くと、後は無言でミーティングに参加する為に楽器を持ってヨタヨタと自席へと歩いて行くのだった。

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