第25話 倍音
戸惑いつつも姫乃から渡された楽器を受け取る弘之。
「今日も昨日と同じBach42Bを用意しておいたわ。昨日はマウスピースだけで音は出してないから…ね?」
と姫乃が丁寧にメーカー名とモデル名まで口にしてくれたのだが、弘之は「42BのBって鉛筆みたいに濃さがあるのかな」ぐらいのまた斜め上にずれた妄想をしていた…。
楽器の濃さってなんだ…。(因みにBは
ブラスベル←真鍮製のベルの事である。GBはゴールドブラスベル、GLはゴールドラッカーベル)
そうやって楽器を受け取った弘之だが、まだ立ちっぱなしだったので椅子に座ろうと腰を屈める。
すると膝の当たりの服が何か硬いし、上半身も硬い物が邪魔で動き辛い。
「何か座りにくいなぁ。ゴワゴワするし、お腹周り邪魔だし…ん?」
弘之は一度すすーっと自身の体を胴体から足先まで見て、やっと違和感の正体に気が付いた。
「裸足だ!」
と…
「何か地面がペタペタすると思った。」
弘之がそう呟く。
すると姫乃が「あらぁ!?ホントだわ。裸足だと違和感有るよねぇ。」と合いの手を入れた。
「そうなんですよー。細かなゴミとかホコリとか足に着いちゃって…。僕は本当おっちょこちょいだなあ…はっはっはー。って、違うわ!!」
そう言いながら左手に楽器を持っているので右手で姫乃にツッコミを入れた弘之。
ノリツッコミで有る。
ノリツッコミは合いの手が重要だが、今の姫乃の合いの手は作者的にギリギリアウト。
これは弘之も返しに苦心した事だろう…。
「あー、着替えるの忘れてた、剣道勝負の後そのまま来ちゃったからか…道理で剣道部員と間違われた訳だ…。
防具は明日返して、今日は道着で帰るとして…後で兄貴に連絡して制服だけ持って帰ってきて貰おう。」
色々ブツブツと呟きながら事後の対応を考える弘之。それを姫乃は艶っぽく「うふふ」っと笑って見ていた「剣道着に楽器もなかなかカッコいいなぁと思って」などと言いながら。(流石魔性)
その後いそいそと胴とタレ(膝を守る前掛け)を外し、兄にメールを送り、楽器を再び持ち、姫乃に言われて3分くらいマウスピースで「ブーブー」と音出しすると楽器を構た弘之。
すーっと口から息を吸い、マウスピースでやった様に唇をブルブル振動させる様に息を吐く弘之。
「ブーー♪」
マウスピースの音をそのまま大きくしたみたいにした音で姫乃が吹いた音(チューニングB)より低い音(下の倍音のF)が出た。
※用語や音名に付いては少しずつ説明していきます。楽器を良く知らない方も弘之と同じく少しずつ知って頂けたらと思います。
「音が出たねぇ♪」
姫乃が笑顔でパチパチと拍手を叩いて称える。まさにお客様待遇(笑
喜んでる姫乃とは対照的に初めて音を出した弘之は何故か眉根を寄せて微妙な顔をして、自分の出した音に納得していないかのように口を開く。
「うーん、何か姫乃先輩より音色が汚いと言うか、雑音が多いと言うか…音も低くてちょっと違うみたいだし…。」
姫乃は少し目を開いて驚きの顔を見せてから「ひろっちは耳が良いんだねぇ!?そこに気付いた後輩は今までいないよ!ひろっちが初めての後輩だ・け・ど♪」と言って優しく微笑む。
そんな姫乃の半分本気で半分冗談の褒め言葉と笑顔に弘之は照れた様子で「いやー、へへへ」とモジモジとしている。
弘之、ちょろいぞ。ちょろ弘だ。
そんなちょろ弘を満足そうに見ていた姫乃だが、チラリと音楽室の壁掛け時計を見てもう余り時間が無いことを確認して、細かな説明は後日にして大体で説明をする事にし話を続ける。
「ごめんなさいねぇ。もうあんまり時間が無いから詳しく説明するのは今度にして今はざーっと大雑把に説明するわね?」
弘之が頷くと再び姫乃が口を開く。
「音色の違いは後日ね…。まず音が低かった理由だけど…ひろっちがさっき出したのはドイツ音名でF、ファの音。私が昨日出したのは一つ上の倍音でB(ベー)、♭シの音よ。」
弘之は突然出た専門用語が理解出来ないのか首を傾げ唇に人差し指を当てて「エフ?ベー?倍音?」などと呟いている。
その癖は辞めた方が良いと…でも中学一年生なら良いか←
そんな弘之を「あらあら♪可愛らしいわね」と見ながら(姫乃も大概である…)更に説明を続ける姫乃。
「トロンボーンに限らず金管楽器は一つのポジションで複数の音が出るのよ。大雑把に言うと1番ポジション、スライドを伸ばさず全部入れた状態で出る音が下からB→F→B→D→F→As→B(ドイツ音名でベー、エフ、ベー、デー、エフ、アス、ベー)ね。ポジションって言うのはトロンボーンで言うなら右手の位置の事ねぇ♪」
焦る弘之…大雑把な説明が全然大雑把でない。
姫乃の目を見て説明を聴きながらも内容が入って来ず、「むむむ」と難しそうな顔をしている弘之。
そんな弘之の顔を見て姫乃が助け船を出す。
「ひろっち、メモある?って、その格好(剣道着)じゃないか…。」
そう言うと姫乃は、楽器をケースの上に置き、隣に置いてあったカバンからルーズリーフを数枚とまたしても白くて耳が長いキャラクターが描かれたシャーペンを出して弘之に渡してくれた。
弘之が「ありがとうございます」と言うと姫乃は「分からなかった所があったら聞いてね?優しく教えてあ・げ・る♪」と言ってもう一度説明してくれた。
そんな質疑応答の時間を過ごして居ると後五分で片付けの時間になってしまった。
「後少しで終わりだから、適当に時間まで音出して遊びましょう?」
姫乃がそう言って自分の楽器を吹き始めたので、弘之も適当に右手でスライドを伸ばして縮めて「パーア↘︎パーア↗︎」と吹いていたら「パーア↘︎」とスライドを伸ばすと音程が低くなり、「パーア↗︎」とスライドを縮めると音程が高くなると気がついた弘之であった…。
その後昨日と同じ様に片付けは姫乃がすると言うので任せて、その日の部活は終わった。
剣道着姿で帰る弘之と灰色のブレザーと同色スラックの富士見ヶ岡中学の制服で帰る拓郎の2人。
「何であの時逃げたんだよー」
「逃げたんじゃ無いぞ、緊急避難したんだ。」
「それを逃げたって言うんだろ」
「んー、そうとも言う」
「くー」ポカポカ
そう、じゃれ合う様なやり取りをして校門へと下って行く2人の後ろ姿を、丁度サッカー部のマネージャーの仮入部を終えて帰宅する所だった琴映は気まずそうに見ているのであった。
見つからない様に、距離が近づかない様に、ワザとゆっくり歩きながら。
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