第20話 マウスピースは基本だよ

「音が出たー」


喜びの余り声に出す弘之。

それを見て姫乃は弘之にニッコリと微笑むと説明を続ける。


「おめでとう♪それでね、マウスピースを口に当てる位置なんだけど、左右は丁度真ん中、上下は中心より少し上の位置に来る様にした方が良いのよ。上下は個人によって結構違うから自分で楽器を吹く時に研究すると良いかもねぇ♪」


(凄いなぁ、姫乃先輩はなんか色々知ってて。でもどうしてそんなに詳しいんだろう?もしかして…博士?アガサ…?)

弘之は疑問に思い姫乃に聞いてみる。

素直か!?素直だよ。


「先輩はどうしてそんなに詳しいんですか?」


すると姫乃はまた悪戯小娘(?)の様に微笑んで「ひ・み・つぅ♪」

と言うのだった。何それ可愛い…


「秘密ですか…」


弘之がちょっと残念そう呟くと、急に隣りから声が聞こえてくる。


「ふふーん、新人くん!姫乃は入部したての時、先輩が皆んな辞めてしまったのが悔しくて、個人的に講習会やレッスンなんかに行って勉強してるのだ!」


仮入部希望者への説明や案内が終わったのかいつの間にか波瑠が近くに来ていて、そう弘之に得意げに言う。


「ちょっと!波瑠!その話は…」

姫乃がいつもの優しそうな目でなく、少し怒った様な真剣な眼差しを波瑠に向けて言った。


そんな姫乃の言葉を聞いて、波瑠は自分が言わなくて良い所まで口を滑らせてしまった事に気付いたのか「ヤバッ」っと一言言ったあと、誤魔化す様にそそくさと去って行った。


「ごめん、ごめん。おっと!私はまだまだやる事が有るのだったー。ではではー、あははー」


逃げる様にいなくなった波瑠を見ながら弘之は思想する。

(えーと、2年前まで強豪校、姫乃先輩が入ったらすぐ上級生が退部した、と。なんかわかってきた様な…わからない様な…先輩が入った年に何かがあったのかな…)


「まったく、波瑠ったら…はぁ。まあ良いわ、続けるわよ。」

姫乃は一つため息を吐くと、何やら空中に指で何かを書きながら思想する弘之の方を向くと、先程の波瑠の話は無かったかの様に話しを戻して続ける。


「マウスピースを当てるのは左右真ん中、中心よりよりやや上。は言ったわね。」


「はい」


弘之の返事を確認して次の説明に入る姫乃。

「そしたら今度は、息を吐いて唇を振動させながら、唇の両端を引っ張ったり緩めたりしてみて。」


返事はせずに言われた通りに実際にやってみる弘之。

「ブーー↗︎ブーー↘︎ブーー↗︎ブーー↘︎」

すると、マウスピースから出る音が高くなったり低くなったりする。


「音が高くなったり、低くなったりするでしょう?それが基本ねっ♪」

姫乃がそう言うと、弘之は「はいっ」と答えまた直ぐに「ブーー↗︎ブーー↘︎」とやり出した。

ブーブーにハマったのか…


そんな弘之を姫乃は「まあまあ」とか「おやおや」と言ったように小さな孫をみる様な感じで暫く見ていたのだった。



10分ぐらいそうした時間を過ごすと姫乃は

「今日は仮入部なのにちょっと真面目に教え過ぎちゃったわね…まだ入部するって決まった訳じゃないのに…」とまた遠くを見る様に言った。


「僕、絶対吹奏楽入りますから!トロンボーンやりますから!」

弘之がしっかりと目を見て言うと姫乃は

「そうね…ありがとう♪でもね絶対なんて簡単に言ったら駄目よ…絶対なんて無いんだから」

そう悲しそうな声で言った。最後の方は聞き取れない様な小さな声で。


弘之がなんと返して良いか分からず、心配そうな顔で見ている。


すると姫乃は明るい声音に戻って話し始めた。

「今日はここまでにして、後はお話しの時間にしましょう♪周りもそうしてるみたいだし。ひろっちの事し・り・た・い・なーぁ♪」


弘之が周りを見ると他のパートでも、楽器が決まって無い人がパート巡りをして試し吹きをしたり、決まった人は音を出したりお話ししたりして、至る所で色んな音が聞こえている。

トロンボーンに試し吹きの子が来ていないのは2人が真剣に話してるのを見て、波瑠が機転を利かせて優先的に違うパートに仮入生を回していたからだろう。

先程一瞬、波瑠が来たのも新入生をパート見学にこさせて良いか見に来たのだった。

波瑠はおちゃらけだけど出来る娘なのだ。


そうと思いたい、決してトロンボーンを吹いてみたいと言う人が居ない訳では無かったのだ、決して、きっと、おそらく、プローバブリィ、メイビー、パーハプス…


その後、弘之と姫乃は学校の事や先生の事、小学校の話しや近所の事等色々な事を話し、その間も楽器が決まって無い人がトロンボーンを試し吹きしに来たりして過ごしその日の部活の時間は終わりの時間になった。



「後片付けとかは私がやるから、ひろっちはこのまま帰ってね。この後ミーティングが有るけど今日はまだお客様だから出なくても大丈夫だから。あ、マウスピースだけは水飲み場で洗って来て。タオルはお家で洗濯して返してね、それお気に入りのキャラだから。」


姫乃はそう矢継ぎ早に指示を出すと楽器の片付けに入った。

それを見て弘之がマウスピースを洗いに行こうとすると姫乃は顔を上げて「そうそう、SNS交換しておこう」と言ったので2人はスマホを出してお互いに登録し合った。


その後マウスピースを姫乃に返却し挨拶をしてから拓郎と合流し、一緒に帰る。

どうやら拓郎はサックスが第一希望らしい。

イケメンはいつもサックスだよな…。(誰の言葉だよ。)


校門から出ると直ぐにある、岡の下へと下る坂道、桜の木々は既に青々とし、綺麗に散ったピンク色の桜の花びらが道路一面に広がっていた。

その坂道を下りながら拓郎と歩いて行く弘之。

未来を語る2人の様子はとても楽しそうに見える。


しかし弘之は何かを忘れている様な、そんな一点のモヤモヤを心に残していた。










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