第42話 こうして吹部はポン部となった②

話しを終えて笑顔に戻った織絵お姉さん。

弘之と琴映の2人もその表情を見て安堵した。


しかし2人が顔を見合わせて安堵したのも束の間、織絵お姉さんはまた表情を曇らせると「でもね、この話しにはまだ続きがあるのよ」と言って話しの先を語り始めた。


「ポン部と言われる様になった理由、先生が変わったから。これはさっき話した通りよ」


そう言われ弘之と琴映は互いに見合わせた顔をお姉さんの方へと戻すと、そこまでは理解した承認の意味も込めて頷く。

 お姉さんはそんな2人の頷きを確認すると自らも一度頷いてからまた話し出す。


「その先生が普通の先生なら良かったのよ」

「普通の先生?」


織絵お姉さんの言葉に弘之は疑問系で返す。

(普通の先生なら良かったって事は、今いる先生は普通じゃ無いって事?)

そう言えば弘之はまだ顧問の先生を見たことは無い。

弘之の心にかすみの様にぼんやりとした不安が薄く広がる。


「そう、普通の先生ならね。いくら強豪校ローテーションが有ると言っても何年も経つと当然そのローテーションも崩れる時があるのよ。先生の定年退職やご病気、その他の理由なんかで突然一校に穴が空いて全く実績の無い先生が指導顧問になる事だってあるわ。実際過去に富士中だって私達の親の世代でそう言う経験をしたみたいだし。でももし新しく来たのが普通の先生だったなら、これまでの練習方法や先輩達から受け継いで来た技術なんかが後輩にキチンと受け継がれて、多少質が落ちてもまた直ぐに上がってくるハズなのよ」


そう言うとお姉さんはもうすっかり冷めて華やかな香りのしなくなった紅茶を一口飲む。


「これから富士中の吹部に入って頑張ろうとしてる2人には言いにくいんだけどね、その先生は酷いらしいの。本当は別の部活の顧問をやりたかったみたいでやる気がなかったり、合奏中にすごく怒ったりで。それでね。前の先生、私の恩師で凄い指導が上手かった先生から新しい先生に代わったギャップに耐えららなくて、その時の3年生は受験を理由に全員退部して、2年生も結構辞めちゃったみたいなのよ」


「えっ? でもその時の2年生って今の3年ですよね? 先輩の話しでは新入生の仮入部が終って直ぐに全員辞めたって……」


(確か部長の波瑠はる先輩は自分達が本入部して直ぐの頃に先輩は全員辞めたって言ってような)

弘之は先輩から聞いた話と織絵お姉さんの話しの違いに気が付き、お姉さんに疑問をぶつける。


織絵お姉さんは弘之を見て頷き「そうね」と一言置いてからまた話しを再開する。


「今は富士中の吹部は参加してないけど、去年までは毎年4月の終わりに地域の春のお祭りに出ていたの。そこである事件があってね……」

その話しは富士見ヶ岡中学吹奏楽部がポン部と言われる様になった理由と言える「ある事件」の話しだった。


その内容はこうだった。

毎年出ている地域の春のお祭り。強豪校の演奏を聞こうと集まったお客さんが沢山居た。また全く関係無くお祭りを楽しみに来て、たまたま始まる吹奏楽の演奏に興味を惹かれて来た客も多数いたようだ。


しかし、演奏時間が夕方でお祭りの屋台でお酒を飲んだ人達がいた事が悪かったのかも知れない。

敏感で無垢だからこそ、人の意見に染まりやすい子供達も沢山いたのが悪かったのかもしれない。

演奏が始まる前に司会が「毎年の様にコンクールで大変素晴らしい成績を残す、全国大会常連校のあの! 富士見ヶ岡ふじみがおか中学校の吹奏楽部が今年も演奏してくれます」などとハードルを上げたのが悪かったのかもしれない。


とにかく、演奏を待っていたのは、沢山の演奏を期待したお客さん、お酒を飲んで酔っ払った人、悪意を悪意と思わずそのままぶつける無垢な子供、ハードルを上げた司会者。

だが、それも例年通りなら誰も悪くない。

んながその素晴らしい演奏に笑顔で心からの拍手をし、柔らかで暖かい満足気な笑顔で帰った事だろう。


しかしその年その場に出て来たのは、やる気の無い顧問の指揮者。その指揮者に嫌気が差して辞めてしまった3年生全員とほとんどの2年生を除くわずかに残った2年生とまだ入って間もない新入生だった。


しかも新入生は他の中学の吹奏楽部と同じくほとんどが入学してから初めて楽器を触った様な状態であった。

その為その演奏は弘之が入学式で聴いたものよりも酷かったのだろう。


演奏が始まると、期待からの落差からかお客さんが1人、また1人と席を立ったそうだ。曲が終わる度に沢山のお客さんが居なくなって行った。

やがて数曲目の演奏中に突然客席から「なんだよ、全国常連なんて言うから期待したのにポンコツかよ! 」と言う声が聞こえて来た。その声の主は酔っ払っていたのか非常に大きな声だったそうだ。また客席に空きが出来て声が通り易くなっていた事により、さらに声が周りに伝わってしまったのもあるだろう。


言った者にとっては「何の事の無い言葉」であっても、時としては「それ」はウイルス感染が広がるかの様にどんどん周りに広がって行く事がある。

そしてその、誰かが言った「ポンコツ」もどんどんと広がり、クスクスとした失笑となって周りに感染していった。

そして「それ」は周りの機微きびに敏感で影響されやすい子供達によって「悪意なき悪意」へと変換され拡散されていく。


子供達から「ポンコツ! ポンコツ!」と心ない声が上がる。もちろん子供に悪意は無いただその言葉を面白がっているだけだ。

しかし、酔っ払った者や偶々たまたまそこにいてただ騒ぎたいだけのやからは子供達の声を燃料にして燃え上がり、散々なヤジを飛ばして行く。


「やめろ下手くそー! 」

「全国大会じゃなくてポンコツ大会常連だろ! がはは」


もちろん、理性的な大人やお祭りの委員などの数人は止めようした。しかし一度燃え上がった炎を消す事など容易ではなく、心ない言葉の暴力は止むことはなかった。


そんな中でも必死に演奏していた生徒達だが、心が耐えきれなくなったのか1人の女子生徒が泣き出したのを機に次々と泣き出す生徒達が出る。

そして曲の途中で演奏が止まった。

気が付けば生徒達全員が泣いていた。

そんな生徒達を見た顧問の先生はだるそうに「そう、じゃあいいわ」と短く一言言うと指揮台を降りてその場を後にしたらしい。


その様子を見て心ないヤジを飛ばしていた者達は気まずくなったのか次々と逃げる様にその場を後にした。同様に子供達の親も子供の手を引いて席を立った。そしてその他の客も居たまれなくなったのか次々と席を離れる。


ガラガラの客席。先生が居なくなって残された泣いてる生徒達。


その後慌てて直ぐに、お祭りのステージの司会者が吹奏楽部の演奏中止を告げてステージ演奏は終了となった。


そしてその後、顧問交代の後も直ぐに辞めず何とか残っていた2年生も全員辞めて、新入生の大半も居なくなり、波瑠はる姫乃ひめのを含めた10人のみが吹奏楽部に残った。

そこで本来なら先輩から後輩へと受け継がれる筈の技術や練習方法も完全に途絶えた。


こうして富士見ヶ岡中学校吹奏楽部はその時の「ポンコツ」と言う言葉が広がって「ポン部」になった。


それが織絵お姉さんが語った「ある事件」の内容と「ポン部」になった理由だった。




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