第55話 勘違い

 下位区画。


 ラジは久しぶりにそのギルドの光景を眺めていた。


 よく観察すればする程、粗が目立つ。以前はこんな場所で冒険者稼業を続けていたのか、と驚きの混じった溜息すら出てしまう。決して馬鹿にしているわけではないが、上位区画の生活水準に慣れてしまった今、下位区画の惨状とも言える状況を見て、その溜息が出るのは仕方がないかもしれない。


 精神が壊れるとまではいかなくとも、ラジはできるだけ早く事を済ませて帰りたいと思っていた。はじまりの迷宮は確かに魔物喰いに適してはいるが、しかし態々戻ってきてまで入るような迷宮ではないな、とこれまでの自身の考えを改める。


 迷宮探索許可証は既にトルトから受け取っている為、この場に来る必要はなかったのだが、しかしラジはある目的を果たす為にここに訪れている。


 メリルはラジのその行動を、彼らしくない、と思っていたが、しかしラジのこの行動にはしっかりとした意味があった。


 自身が、初めに存在した場所をもう一度確認することで、今の自身の環境がどれだけ恵まれているのかを再確認する。

 ただそれだけの為に、ラジはこのギルドに足を運んでいるのだ。

 迷宮に執着がある、というよりも、成長に執着がある、と言った方が正しいかもしれない。


「ラジ……?」


 下位区画のギルド内。

 そんな場所で、ラジは声をかけられていた。

 かけられたと言うよりは、ラジを見てその男が呟いた。と言い換えるべきかもしれないが。


 ラジを見て溜息にも似た声を漏らしたのは、金髪の下位冒険者。ラジがまだこの場所で冒険者稼業をしていた時に知り合った、一人の男。

 知り合いですか? とメリルが問う前に、ラジは口を開いていた。


「シェイカーさん?」


 少し昔の話。砂の迷宮探索クエストの時、リーダーをしていた男。

 それがシェイカー・ドレアだ。


 ラジに明確な殺意を持って接触し、しかしそれを完全な実力差でねじ伏せられた、そんな冒険者。


 シェイカーは焦燥していた。


(なんでラジがここにいるんだよ……! 上位区画に行ったって聞いたから下位区画に拠点を戻したのに……!)


 シェイカーの焦りは、当然の焦りである。

 なにせ自分は、ラジから逃げるようにしてこの下位区画から逃げ出したのだ。そして自分でもどこか分からない土地に拠点を移し、その場で細々と生活していた。


 しかし、シェイカーは冒険者だった時の輝かしいともいえる生活を忘れることが出来なかったのだ。砂の迷宮探索クエストのリーダーを任される程だ、腕はそれなりに良い。

 しかし、下位区画に戻れば、ラジ・リルルクという規格外の少年がいる。そしてその少年に、自分は喧嘩を売ったのだ。そして惨めに敗退した。命まで刈り取られなかったのは、ラジの気まぐれだと思っている。


 だからこそ、あの時の報酬は全てラジに譲ったのだ。

 これで不問にしてくれ、とは言わないまでも、見逃してくれ、と。もう二度と目の前に現れないから許してくれ、という意でもあった。


 だから、下位区画にはいかなかった。

 その時だった、ラジが上位区画に行ったという噂を聞いたのは。

 初めは半信半疑だったが、しかし噂話が明確は話になるまでそう時間はかからなかった。


 ラジが本当に上位区画に行ったと確信したシェイカーは、下位区画に戻り冒険者稼業を再開しようと、舞い戻ってきたのである。


 それなのに、ラジは目の前に存在している。よく見れば、Bランク以上の冒険者しか契約できない筈の奴隷まで抱えて。


 自身の運の悪さをこれ程までに呪ったことはない。


 ラジ・リルルクは、確かに上位区画に行った。

 しかし何故か今だけ、ここに戻ってきているのだ。


 当時でも勝てなかったが、今では目が合っただけで死んでしまいそうだ。それ程のオーラというものを、纏っている。はじまりのラジなんて、呼べる筈もなかった。


 ラジはシェイカーに近寄る。

 恐怖がフラッシュバックして、シェイカーは目を瞑ったが、しかし数秒待ってもなんの反応のない為、確認するべく薄く瞼を上げる。


 そこに映っていたのは、手を差し出しているラジだった。

 まるで、握手しようとでも言っているような、そんな目つき。


(握った瞬間、俺の手が潰される……!)


 勿論ラジにそのつもりはないのだが、何故かシェイカーはそう思った。

 それも仕方ないと言える。迷宮内でのラジの瞳を、知っているのだから。


 あの時の恐怖は、刻まれたままなのだから。


 柔和な少年であると舐めていてはいけないと、知っているから。


 ラジも迷宮外でそんなことをするつもりはないし、既にシェイカーのことは許している、というか存在自体を今の今まで忘れていたのだが、シェイカーがラジの脳内を覗けるわけもなく、未だ恐怖に捕まれていた。


 手を引っ込めないラジを見て、意を決したようにその手を握り返す。


「ひっ、久しぶりだな」

「そうですね。戻ってきてたんですか?」


 何気なく言ったその一言なのだが、しかしシェイカーには「よくのこのこと戻ってこれたな」と聞こえていた。

 震えあがりそうになるその身体を無理矢理に押さえつけながら、言う。


「いや、ラジが消えたから戻ったとか、そういうわけじゃないんだ、本当だ。たまたま、今日だけだ、信じてくれ」

「信じてくれもなにも、疑ってないですよ」


 困ったような顔を浮かべるラジを直視しないようにして、そしてこの地獄のようなやり取りから早く脱する為に、シェイカーは早口で告げた。


「本当、あの時は悪かった。申し訳ない。上位区画でも頑張ってくれ、応援してるぞ」

「あ、はい。ありがとうございます……?」


 すっとラジから手を離し、足早に去っていくシェイカーを、疑問符を頭上に浮かべながら眺める。


 メリルはラジを見て、ぽつりと言葉を置くように呟く。


「ラジ様って、有名なんですね」


 見上げられる形でメリルに見つめられながら、ラジは視線を交差させて困ったように返答した。


「僕も今、はじめて知ったよ」


 このままギルドに残っていては、新たなる厄介に巻き込まれそうだ。と、ラジはメリルを連れて迷宮に赴いた。

 はじまりの迷宮という、原点へ。

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