第57話 遅効性

「いや、なに言ってるの。出来ないよ」


 ラジはモンスターの気配が一切しない歪な迷宮内で、メリルの言葉に対して静かに否定を投げつける。

 冗談を言っているのだろうか、と思い、彼女の顔をじっと見つめるが、その瞳が揺れることはなかった。


「ラジ様に出来て、何故私が出来ないのでしょう」

「それは、耐性が低いから?」


 最後を疑問符で締めくくったのには理由がある。

 ラジ自身、何故魔物喰いをして生きていられるのか、その明確な理由が分かっていない為だ。


 メリルは次の言葉を投げつける。


「それ、確かめた上での結論ですか? なにか他に、理由はないのですか?」


 刃にも似たメリルの言葉が、次々にラジに突き刺さる。


 理由。

 ラジは今の今まで、魔物喰いが可能である理由を、自身の耐性が高いからであると思っていた。フェリアもそう言っていたのだ、彼女が嘘を吐く筈ないだろう。そう思うが、しかし過去を振り返ってみると、フェリアは魔物喰いが可能な理由をその耐性があるからだとは断言していなかった。


 昔のことなので記憶は曖昧だが、しかしその会話だけは何故か克明に覚えているし、昨日のことのように思い出すことが出来る。


『多分、ラジくんが死ななかった理由はそれね。モンスターに対する耐性が異常に高いから、死ななかった。モンスターが持つ毒を体内で解毒できた、って感じかな』


 そう、言っていた。

 そしてラジはその言葉を丸々飲み込み、納得を抱えた。


 今思い返してみれば、確かにそうであると断言してはいない。

 ただの、フェリアの推測だった。


「けど、それ以外に理由が見つからないよ。僕の耐性が高かったから、モンスターの持つ毒に対抗出来た。そうじゃないと説明が付かない」

「……それは、そうですけど。でも後二つ、おかしな点があります」


 なに? とラジは問う。

 迷宮内にいるのにも関わらず、間抜けに首を曲げて説明を求めるラジに、メリルは少しだけ笑ってしまった。


 小さく息を吸い込み、告げる。


「ラジ様のレベルと、耐性値についてです」

「……というと?」


 メリルはひとつ溜息を吐いた後、続ける。


「まず、ラジ様のレベルは1なんですよね? それなのに、モンスターを倒してもレベルが上がらない。どう考えても、おかしいです。それに、レベル1であるラジ様の耐性が元々高かったというのも、有り得ない話です。本来はレベルと共に上昇していくのですから」


 言われてみれば確かにそうだ。

 メリルの言葉通り、ラジのレベルは未だに1のままなのである。

 それなりに多くのモンスターを討伐しているラジのレベルが、未だ最初期のままなのは、考えられない話であるのは間違いなかった。


 しかし、現実ラジのレベルは1で、耐性値もはじめから999という異様な数値を示している。魔物喰いを発見しなければ、ラジがここまで成長することはなかったのだ。

 レベル1の、最弱冒険者。

 それが、ラジ・リルルクなのである。


 でも、とラジは言葉を吐く。


「メリルが魔物喰いをする理由がない。モンスターは食べたら死ぬんだよ? そんな危険なことをする、必要がない、と思うんだけど」


「いいえ。ここからが本題なんです。これは私の推測なんですが、元々極端に高いステータスを持っていて、なおレベルが上昇しない、そういった人間だけ、モンスターに対する本当の意味での耐性を持っているのではないですか? ただ耐性値が高いだけで魔物喰いが出来るなら、冒険者の多くが耐性だけを高め、それに挑戦する筈です。それなのに、そんな冒険者は今までいなかった」


 饒舌になる。

 これ程饒舌に、嘘を吐けるなんて。メリルはそう思っていた。

 なにせ、メリルは。


 ――私は、全てを知っているのだから。


 ラジは初めて見るメリルのその姿に驚きながらも、その推測はあながち間違いではないかもしれないと思っていた。

 しかし、

「でも、それでも、危険を冒してまでする必要がない」


 最悪の場合、魔物喰いという行為は自身を死に至らしめるのだ。

 不確定な情報だけしかない今、それを頼りにメリルに実験台になってもらうことはラジには出来ないし、してほしいとも思っていない。


 それでも、メリルは続ける。


「実は私も、ラジ様と同じで、レベルが1なんです」

「……どういうこと?」


 ラジはメリルの防御ステータスの高さを知っている。ラジの魔法攻撃をも無に帰す、それ程のステータス。防御値。

 だからこそ、メリルのその言葉を信用することが出来ずにいた。

 しかしラジはギルド職員ではない。メリルのレベルを視ることの出来るスキルなど持っていない為、取り敢えずはこの話を信用する他なかった。


「端的に言ってしまえば、私は防御値が999の、レベル1の奴隷なんです」


 しっかりとその澄んだ瞳で、ラジを突き刺す。

 思えば、おかしな点はいくつかあった。

 ラジがメリルに、自身はレベル1の冒険者であると告げた時、彼女はさして驚かなかった。口では驚いていると言っていたが、しかし本当に驚いていれば少なからず表情にそれが出る筈なのだ。

 それなのに、彼女は表情を変えないままだった。


 自分が、そうだから。

 メリルの中では、驚くべきことではなかったから。


 メリルは続ける。迷宮内に声を響かせる。


「元々高いステータスを持っていて、尚且つレベルが1。これは、ラジ様と同条件です。それなら、私に魔物喰いが出来ない理由がありません」


 どこまでもつらつらと、真の入り混じった嘘を吐く口だ。

 

 ただ、確かめなければならない。それだけなのに。

 どこまでもラジの優しさにつけ込もうとする自分が、嫌になりそうだ。辟易する。


 それはそうだけど、と歯切れ悪くラジが呟くが、しかしメリルは既に行動していた。

 ラジに制止させる暇を与えないように、素早く。


 メリルはモンスターの位置を把握できるスキルのようなものを持っている。だからこそ、正確でいて的確に、潜むブルースライムを発見することが可能である。


 この能力を活用して、メリルはモンスターに背後から接近し、迷宮武器ではない方の短剣で対象を突き刺す。

 メリルのステータスに抗えなかったモンスターの息は絶え、その場には死骸だけが残る。

 このまま放っておけばやがてそれは核だけの綺麗な状態になるが、しかしメリルが今求めているのは核ではなく、モンスターの死骸そのものだった。


 先程ラジがしたように、メリルはそれを摘まみ上げ、口に放る。

 数回の咀嚼の後、ごくりと音を立ててそれを胃に流し込み、ブルースライムの体液を拭うようにして口元に服の裾を通過させた。


「確認します。確認しなきゃ、いけない」

「メリル!」


 ラジは制止出来なかったことを悔やんだ。

 メリルの推測が正であるという確信がないのだ。フェリアの推測の方が正しかった場合、メリルは今ここで死ぬ。


 吐き出してくれ、と願うが、その思いがメリルに届くことはないし、そして仮に届いたとしても簡単に吐き出せるものではない。

 モンスターの持つ魔素が、ゆっくりと、しかし確実に、メリルを蝕んでいく。


 しかし、時間が経過してもメリルが苦しむことはなかった。

 遅効性の毒なのかもしれない。とラジは思うが、しかしその自身の考えに否定を返す。

 魔素を分解して得ることの出来るスキルポイントは、いつも食してすぐに獲得しているのだ。それはつまり、即効性の毒で、食べた瞬間からラジの体を毒が這いずっているという証明である。


 それなのに、いくら時が進もうと、メリルはこの場に立って、生き、息をしている。


 取り敢えずの安心を噛み締めて、ラジはメリルに駆け寄った。


「大丈夫なの?」


 恐る恐るといった体で問うラジに、メリルは表情を一切動かさないまま、


「大丈夫です。推測は、正しかったみたいです」


 とだけ告げた。


 推測ではないのに。

 死なないと、知っていたから行ったそれであるのに。


 しかし、これでラジの正体が確定した。

 確定してしまった。


(もう、潮時ですね)


 幸せはいつか終わるのだ。

 主と奴隷というものは、絶対に、共に生きてはいけない。


 主が奴隷を切り離すこともあれば、奴隷が主から逃げ出すこともある。

 そして今回に限っては、それは後者だった。


 メリルは気味の悪いくらい静かな迷宮内で、ラジの横顔を眺めていた。


 そしていつかと同じように、ごめんなさい、とだけ。口には出さないが、脳内で。


 心が少しだけ、いたい。

 ちくちくと細い針に刺されたように。


 毒かもしれない。なんて、あるわけのないことを、一人、思った。

 あまり心地良いとは言えない空気だけ、メリルを優しく包む。

 ラジにとって、メリルという少女は、遅効性の毒で間違いなかった。

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