第58話 正体(上)
上位区画に戻る頃、既に日は沈んでいた。
行先がはじまりの迷宮だとはいえ、れっきとしたクエストであることも確かな為、ギルドに帰還報告をしなければならないのだが、思っている以上に夜が深く、ギルドも閉じていた為、それは明日へと回した。
ギルドから受け取った報酬、つまりは自身の拠点へと帰ってきている。
想像以上に疲れが蓄積していたらしく、ラジは戻ってきた瞬間に寝台に身を投じた。
隣にはメリルがいる。
自身以外で初めて見る、魔物喰い可能な少女。
あんなことをした後だと言うのに、彼女の表情はやはり変わってはいなかった。
もしかして気にしているのは自分だけなのか、とラジは思うが、いつも以上にメリルの口数が少ない為、彼女も彼女でなにか思うところがあるのだろう。
今日は、といっても時計の針は十二を周っている為昨日の話だが、色々なことがあった。
メリルのレベル。防御の値。魔物喰いが可能な理由。ラジ自身のレベルが上がらない理由。耐性値だけ初めから高かった意味。
知らず知らずのうちに勝手に納得していたそれらが、全て間違っているのではないか。という疑いを、メリルに与えられた。
様々な事象を脳内で反芻しながら、ラジは隣で寝息を立てている少女を見る。
(……)
やはり足枷は外れないままだ。
その鉄の輪が本当に奴隷の証であるというならば、主の一存で取り外せないのはおかしいではないか。
奴隷を購入した本人が、それを外していいと言っているのだ。それなのに、その鉄の意思は固く、ラジの気持ちを跳ね返す。
目を瞑る。
それらすべての、おかしなこと、を、見ないようにして。
ラジは、睡眠に身を委ねる。
思いの他簡単に、ラジは睡眠欲に呑まれるようにして、意識を沈めた。
「……寝ましたか」
メリルの言葉に対する返事はなかった。
それを確認した後、ラジを起こさないようにして、メリルはゆっくりと起き上がる。
ただ一つの目的の為に。
行かなければならない場所があるのだ。
そしてその場にラジを連れていくことは、出来ない。
聞かれてはいけない話をするのだから。
今からメリルは、ラジを裏切るのだ。
メリルはただの奴隷ではない。
――国が、急成長したラジ・リルルクという少年の正体を突き止める為に派遣した、監視役なのだ。
メリルという少女は、ラジの奴隷ではなく、国の奴隷なのだ。
だから、ラジとメリルは友達にはなれない。
何度も提案されたその素晴らしい言葉を、飲み込めなどしない。
ラジのその優しさを、素直に受け取ることは出来ないのだ。
メリルは最後にラジのその優しい表情を確認し、そして気持ちを固めるようにして家を出る。
これ以上ラジを見ていては、固まった気持ちが揺らいでしまいそうだ。
(はじめから決まっていたんです。ラジ様と私は、友達にはなれない)
なっては、いけない。
もう三度目のごめんなさいを口にしながら、しかしメリルは確かにラジを裏切るのだった。
こんなことをしているというのに、悲しいと、申し訳ないと、感じている筈なのに、やはりメリルの表情は、動かなかった。
○
「ここには苦い思い出があるんじゃないのかい。それなのにこの場所を指定するなんて、変わってるとしか言いようがないね」
「苦い思い出でも、忘れたくない思い出だから、です」
「そこまで記憶に執着するなんて、やっぱり変わってるよ。十三番(メリル)」
いつかラジと共に訪れた、空の迷宮最深部にある幻想的な場所。
偶然と奇跡を重ねた、魔素のたまり場。
深夜、拠点を抜け出したメリルは、本当の主と会っていた。
久しぶりに番号で呼ばれたというのに、植え付けられたその恐怖から、言葉にしっかりと反応してしまう。
――私は、十三番なのだ。メリルでも、ラジの友達でもない。私はただの、番号。
メリルの目の前に立っているのは、豪華な絹織物を惜しげもなく用いている衣服を身に纏った。赤の髪の男だった。
その目つきは歪にゆがんでいて、そこから性格の悪さが滲み出ている。
この男が、メリルの本当の主であり、この国の頂点に立つ男だ。
名は、ディルク・アルケー。
「随分と遅かったけど。僕を待たせるに値する情報は持って帰ってきてるんだろうね?」
「……はい。勿論です」
ディルクはメリルを、その嫌な目つきで睨む。
メリルは彼に逆らえない。奴隷だからというのも理由の一つだが、弱みを握られているのだ。
「中途半端な情報だったら、もう一つ、記憶を抜き取る。いいね?」
全身を、寒気が覆った。
記憶を奪われた時のあの感覚が、大切だったであろう人間を忘れていくあの狂った感覚が、また、刻まれてしまう。
世界がメリルを覚えていても、メリルは世界を覚えていない。
ディルクは続ける。
「それで、ラジ・リルルクは結局どうだったんだい」
視線を交差させながら、メリルは息を吸い込んで、一気に吐き出すようにして口を開いた。
ディルクが求めているであろう、その言葉を、その答えを、その情報を、吐き出す。
「――ラジ様は、……いえ、ラジ・リルルクは、私と同じ、人間兵器(デザイナーヒューマン)で間違いありません」
メリルがラジを裏切った瞬間だった。
否、はじめから、仲間などではなかったのだ。
「どうして、その結論に至った?」
ディルクは問う。中途半端な情報ではないと理解したからこそ、奴隷に発言の場を与える。
メリルは、その結に至った理由を、事細かに話す。
まず初めに、ラジのレベルが1であること。そして、初めから耐性値が限界まで上昇していること。
理由は簡単だ。ラジのその耐性は、無理矢理に引き上げられているのである。いつかルベルという奴隷商が、ラジに言っていた。
『あれは、人間兵器(デザイナーヒューマン)。遺伝子組み換え技術で無理矢理にステータスを引き上げられ、冒険者の持駒になることを生まれながらに決められている、哀れな傀儡ですよ』
と。
そして次に魔物喰いという異様な成長方法。
ラジは自身の耐性値が高いから、モンスターの毒を分解できる。そう思っている。
しかし真相は異なる。
デザイナー・ヒューマンは、人間ではない。人間ではないからこそ、人間の常識は通用しない。
いわば、人工的に造られた機械のようなものなのだ。
機械に、毒は効かない。
耐性が高いから毒を耐えているのではない。人間ではないから、機械だから、そもそも毒というものが通用しない。
身体の仕組みというものが、丸々異なるのだから。
そして、下位区画のギルドであった出来事。
ラジはあの時、ある冒険者に話しかけられていた。隣でやり取りを眺めていただけだが、その冒険者はラジに恐れをなしているようだった。
それなのに、ラジは彼のことを覚えていないようだった。
明らかに、異様である。
冒険者を恐れさせるだけのことをしておいて、しかしその存在を忘却している。
有り得ない。記憶の片隅に存在してもいい筈だ。いや、存在していないのは、おかしい。
しかし、ラジがデザイナー・ヒューマンなのであれば全てに納得できる説明が付く。
なにせ、デザイナー・ヒューマンには感情がないのだ。だから、出来事を忘れていた。取るに足らないものであると、割り切ることが出来た。
そして次に、常識がない。
冒険者として生きているなら知っていて当たり前のことを、知らない。
迷宮探索前には地図を持っていくなど、そういった当然のことを、ラジはしない。
強さから来る慢心かとあの時は思っていたが、しかし違う。
本当に、知らないのだ。
服を購入した時だって、趣味の悪い衣服を選んでいた。あれは美醜感覚が狂っているのではない。
なにも、知らないのだ。世界について。
つまるところ、ラジのあの優しい笑顔、言葉の数々は、全て、紛い物だ。
長い間冒険者として生き、優しい人間に触れていたラジだからこそ出来る、真似事。優しさの真似。
関わる人間が悪ばかりであれば、ラジもそれに染まっていた筈だ。
しかし、一つだけ分からないことがある。
迷宮に対する、異常なまでの執着についてだ。
いくらデザイナー・ヒューマンだとはいえ、迷宮に固執する理由がない。
メリルはここだけ、理解が出来なかった。
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