第59話 正体(下)
それら全てを聞き終えたディルクは、大きく笑う。
――やはり、そうだったか。
と。
下位区画の冒険者だったラジが遂げた、異常なまでの急成長。
目を付けていて良かった、とディルクは思う。
今、国や都市間での戦争が活発化している。数年前まで身を潜めていたそれらが、突如牙を剥き始めている。
兵士として、駒として、強力なステータスを持っている冒険者を集めておかなければならなかった。
しかし、そう簡単に冒険者が集まるわけもない。上位区画トップ冒険者であるヨルト・ウェインは戦争に参加の意を示していたが、しかし一人だけでは足りない。
圧倒的でいて、絶望的な戦力差が、あった。
そこで国は、人間兵器を造ることに決めたのだ。
無理矢理ステータスを引き上げ、そしてそれらに「強くなれ、成り上がれ」という命令だけ与えて、下位区画周辺に散らす。
これが、ラジが迷宮攻略に異常なまでの執着を燃やしていた理由だ。
迷宮攻略が好きなのではない。命令されているから、迷宮に赴く。単純でいて明快な、簡単すぎる理由。
強くなれと、成り上がれと、命令を受けているから、動く。
デザイナー・ヒューマンに、意思はないのだ。
だからこそ、主の命令には忠実だ。
人間兵器を造ったのならば、初めから手元に置いておけばいい。そう思う人間もいるだろう。
しかし出来ない理由があった。
人間を改造して、兵器として扱うなど、それが市民に露呈してしまえば、国全体が混乱に陥る。次は自分が改造されてしまうのではないか、という不安が、全ての人間の脳裏に過る筈だ。
戦争が始まらんとしている今、内戦をしている場合ではないのだ。
だから、秘密裏に事を進めていた。人間兵器には、自身は人間であると信じてもらう必要があった。
しかし、ここには大きな穴があった。
強制的に引き上げられるステータスは、一つだけだったのである。
確かに、冒険者の迷宮攻略の盾や矛としては扱えるだろう。使い捨ての、人間の形をした武器としてならば。
しかし、戦争においてそれは役に立たないも同然だった。
攻撃を限界まで引き上げたところで、防御の値は変わらない。凡の一振りで死んでしまう。逆も然りだ。防御を限界まで上げたところで、攻撃方法がないのであれば意味がない。
それに気付いたディルクは、すぐに人間兵器の製作を辞めた。余ったそれらは、全て奴隷商ルベルに売り払った。余計な混乱を招かないように、それを見せるのはBランク以上の冒険者だけという決まりを取り付けて。
下位区画に散らした人間兵器達も、自身の力を上手く活用することが出来ずに、その全てが死亡した。
その筈だった。
そんな時に現れたのが、ラジ・リルルクという、歪でいて速すぎる成長を刻む冒険者だった。
初めはディルクも、そんなこともあるだろう、と見向きもしなかった。
興味を抱いたのは、ラジが砂の迷宮での事件を解決した時である。
その時初めて、この冒険者は人間兵器の生き残りなのではないか、という疑念を抱いた。
それからは早かった。
まず、ラジ・リルルクを理解しなければならない。ディルクも人間兵器全ての顔と名を覚えているわけではないのだ。
手始めに、監視しやすいよう、上位区画に拠点を与えた。
しかし自ら動くわけにはいかない。
内政を疎かにしてまでラジに構うことは出来ないのだ。
悩んでいた時、見つけたのがメリルという一人の少女だった。
当時のメリルは力を欲していた。迷宮内のモンスターに襲われても、死なないくらいの強大な力を。
力を求めている理由は知らないが、それならば、とディルクはメリルに声を掛けたのだ。
「僕が君に力を与える。その対価として、君は僕の奴隷になる。僕の言うことに、全て従ってもらう。どうだい?」
ある出来事の影響で憔悴しきっていたメリルが、その言葉に縋りつくのに、そう時間はかからなかった。
そうしてメリルは、ディルクに利用されるようにして、人間兵器になる。作り替えられる。全てを、デザインされる。
初めはその圧倒的な力に酔いしれていたメリルだったが、次第に人間兵器になったからこそのある出来事に気付き始める。
記憶が、なくなっていくのだ。
人間を、作り替える。
それはつまり、過去の自分ではなくなるということである。
メリルは力と引き換えに、記憶を失っていった。
加速度的に成長していく、上昇していくステータスと反比例して、メリルの記憶は泡沫に沈む。
メリルがラジにいつか言っていた「忘れたくないんです。この風景も、思い出も」という言葉の裏には、記憶を失うことに対する恐怖が隠されていたのだ。
これ以上記憶を失うことを恐れたメリルは、ディルクにそれらを全て包み隠さず話し、普通の人間に戻してくれ、と頼み込んだ。
しかし、ディルクがそれを許す筈がない。
彼も彼なりの考えがあって、動いているのだ。
個人としての行動は間違っているかもしれないが、しかしディルクの言う通りに動いていればこの国が大きく繁栄するのは確かなのである。
それでも、メリルはこれ以上のデザインを拒んだ。
普通に戻りたいと叫ぶ少女を見て、ディルクは思考した。
(逆に、この恐怖を逆手に取ってやろう)
これ以上記憶を失いたくなければ、黙っていうことを聞け、と。
全てが上手くいった後、普通に戻してやる、と、告げた。
そんなこと、出来る筈もないのに。
人間を兵器にすることは出来ても、兵器を人間にすることは出来ないのだ。あくまで一方的なデザインしか、可能ではない。戻ることはできない。
一度兵器に足を踏み入れたが最後、普通は失われる。
しかしそんなことを知らないメリルは、ディルクのその言葉に勢いよく乗った。
そして、命令されたのだ。
「ラジ・リルルクがデザイナー・ヒューマンかそうでないかを判断してこい」
と。
そしてその時に、最後のデザインをされた。
ラジ・リルルクを、その監視対象を見失わないように、「視る」力を与えられた。
メリルが迷宮内で見せた、その異常なまでに正確な索敵スキルのようなものの正体はこれだ。
人工的に与えられた力なのだ。だからこそ、ラジはそれをスキルだと勘違いしていたし、そしてそのスキルを知らなかった。当然だ。はじめからそんなスキルは存在していないのだから。
既に、メリルという少女の記憶は、この時点でその大部分が欠けていた。
当時のメリルを支えていたのは、この命令さえ全うすれば、元に戻れるだろう。という泡のような希望だけだ。
そしてディルクは、メリルを連れて奴隷商ルベルへと接近する。
「絶対にこの十三番を、ラジ・リルルクに売れ」
という命令を添えて。
内情は伝えていない。ただ絶対に売れと、それだけを告げた。
十三番そのものがデザイナー・ヒューマンだとは、伝えなかった。その為ルベルは十三番(メリル)のことを、人間であると思い込んでいたのだ。
その思い込みは半分だけ正解だった。メリルはまだ、全てが兵器に変えられたわけではない。だからこそ、まだ朧気ながらも記憶は残っているし、乏しいながらも感情もある。
半分人間、半分兵器の、歪な生物なのだ。
だからこそ、人間であるからこそ、過去と現在の差異に恐れた。作り替えられていく恐怖に溺れた。
ラジに助けられた時の「ごめんなさい」の意味はこれである。
あの時メリルは、ラジに付いていくことを拒んだ。「行けません」と、そう告げた。
ルベルに飼われている身だとか、一方的な契約は認められないとか、色々な嘘の言い訳を置いて。
微かに残るメリルの人間としての部分が、その良心が、ラジを巻き込むことをやめろと、今なら悪役にならずに済むぞと、今なら、傷つくのは自分だけだと、叫んでいたから。
それでも、ラジは、メリルを助けた。
その優しさに寄りかかって、ごめんなさい。
メリルはあの時俯きながら、ずっとそう思っていた。
そしてそれから様々なことがあり、今に至る。
様々な感情が渦巻いていたが、結局メリルはラジを裏切った。
ラジから贈られたその衣服を羽織りながら、ラジを裏切っている。
どこまで、自分は悪い人間なのだ、と、半ば自嘲的に思った。
ディルクは、その幻想的な風景を眺めながら、口を開く。
「それで? ラジ・リルルクがデザイナー・ヒューマンなのは分かったけど、それをどうやって連れてくるんだい」
メリルは一切表情を動かさないままに、伝える。
「それなら心配ありません。あの人なら、私を心配して必ずここまで助けに来るでしょうから」
その為に共に空の迷宮に赴き、幻想的なこの空間を脳内に刻み込んだのだから。
マジックバッグが多く出現するから、なんて理由を掲げていたが、そんなわけがない。あの程度のモンスター、上位迷宮であればどこでも出現する。
全てはこの時の為の、仕組まれた行動。
ラジは、メリルが行きそうな場所を全て確認するだろう。そしてそれでも見つからなかった場合、共に行った場所を虱潰しに探していく筈だ。
当然、この場所も。
ラジの性格上、メリルを見捨てるのは有り得ない。
フェリアやトルトといった、優しい人間達と関わっていたからこそ、その性格が移っているのだ。心を持たないデザイナー・ヒューマンだからこそ、関わりの深い人達の性格が色濃く反映される。
ディルクはメリルのその言葉を聞いて高く笑った。
歪な笑い声が迷宮内に木霊する。
「助けに、か。人を騙してまで自分を優先するなんて、悪くなったものだな、十三番(メリル)?」
黙ることしか、出来なかった。
残っている記憶を、忘れないようにと、メリルは目を瞑って過去を振り返る。
少しだけ、昔の話をしよう。
――私が奴隷になる、少し前の話を。
いずれ語られる迷宮譚~レベル1の最弱冒険者だけど、最強になれる方法を見つけたので成り上がってみる。~ 如月凪月 @nlockrockn
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