第56話 原点

「懐かしいなあ……」


 はじまりの迷宮。

 初心冒険者が集う、登竜門ともいえる迷宮。

 強力なモンスターは出現せず、現れるのは基本的にブルースライムのみという、優しい迷宮に、上位冒険者であるラジは訪れていた。


 勿論、隣にはメリルがいる。

 メリルは冒険者ではないが、しかし上位迷宮でも通用する強力な力を持っている。それについては以前に確認済だ。ラジの魔法を受けてなお無傷である彼女が、下位冒険者に収まる器ではないことくらい、ラジも理解していた。


 迷宮内で、足音だけを響かせる。

 モンスターは出現していない。当たり前である。


 モンスター達は、ラジよりも格段に弱い。片手間に葬られてしまうことくらい、モンスターといえども、理解している。理解させるだけの力が、今のラジにはある。

 だからこそ、ラジの目の前に姿を現すことはない。


 葬られると分かっていて、自ら眼前に躍り出るモンスターなど、存在していないのだから。


 上位区画まで上り詰めたラジに、牙を剥かん勇敢に立ち向かうモンスターは、この迷宮には存在していないのだ。


 メリルは思う。


(ここまでモンスターを寄せ付けないのも、珍しいですね)


 モンスターは人間が思っている以上に賢い。それは知識として知っている。

 しかし、ここまでモンスターが出現しないのも、またおかしな話なのだ。


 勇敢という無謀を咥えて、ラジの瞳に映る場所に出現するモンスターが存在したとしても、おかしくはないのである。

 否。

 そういったモンスターがいないということが、既におかしな話なのだ。


 ここははじまりの迷宮。初心者用の迷宮である。それ故に、この場を巣にしているモンスターの知能も、それ程高くはない。

 そんなモンスターが、ラジという規格外な冒険者を相手にしているとは言えども、全て逃げ出すだろうか。その全てが、恐れをなして尻尾を巻くだろうか。

 そんなわけがない。有り得ない。


 ラジは、この場で、モンスターを恐れさせるだけのなにかを、したのだ。


 例えば。


「魔物喰い」


 メリルが小さく呟く。

 迷宮内の全ての音を聞き逃さんと耳に神経を集中させていたラジは、その呟きを拾い上げる。


「魔物喰い、したいんだけど、モンスターいないなあ……」

「いない、ではなく、出てこないが正しいと思いますが」


 魔物喰い。

 同胞が喰われているということを知っていて尚、飛び出る勇気のあるそれらはこの迷宮には存在していないようだ。


 それ程の恐怖が、彼らには刻まれているのだ。

 人間と心を通わせることが出来ないとはいえ、それらに感情が備わっていないわけではない。生き物である以上、そこには必ずなにかしらの感情が存在する。


 今この迷宮内にいるモンスターは、その全てが恐怖という感情に支配されている。


 しかし、メリルがいる以上、それらが全て逃げおおせるわけではない。

 何故なら、メリルは視えるのだ。

 以前空の迷宮でそのスキルのような何かの効果を、遺憾なく発揮し、ラジに危険が迫っていることを教えている。それをラジは覚えていた。


 なにか負荷がかかるようであれば、無理に使用させることはしないが、しかしあの時負荷がかかっていた様子はなかった。

 だからこそ、ラジはメリルにそのスキルを使用するように瞳だけで頼み込む。


 言葉に出さない。のではない、常に共に行動している為か、両者は無駄な会話をせずとも相手がなにを言いたいのか、理解できるようになっていた。

 理想的な冒険者パーティではあるが、しかしそれでいて双方そうは思っていない。

 一方は主と奴隷であると思っているし、一方は友達同士だと思っている。


 しかし、そんなすれ違っている二人が、言葉を介さずにして考えが通じるのは、信頼が成す事柄である。そう、ラジは思っていた。


 メリルは小さく首肯して、対象を探す。

 はじまりの迷宮だからか、それともメリルの力が成すものなのか、それは定かではないが、簡単にそれは見つかった。


 ブルースライムである。


 ラジに存在が露呈してしまわないように、瓦礫の隅に隠れていたのであろうが、メリルのそれはいとも容易く存在を見つける。

 ブルースライム側からすれば、これ程理不尽なことはないだろうが、しかしモンスターというものは人間に仇を成す害のある魔物である。いくら外見が愛らしいからと言って、見逃すわけにはいかない。


 優しいラジも、そのあたりは心得ているのか、その攻撃に手加減を宿すことはない。


「どこにいる?」

「前方四十二メドル先」

「了解」


 簡単なやり取りを交わした後、ラジはその指先に炎を灯す。

 もう幾度となく見たその光景であるが、メリルはその度に驚愕する。


 詠唱もなく簡単に魔法を行使し、そして寸分の違いなく対象を焼き尽くす、その魔法。


 常識の範囲内を優に超えているのだ、その力は。


 いつものように指先を銃口に見立てて、ブルースライムが存在する四十二メドル先に向けてそれを放つ。

 無音でそれは対象に向かい、コンマ数秒後、大きな音を立てて爆発した。


 メリルはそれを見ながら、半ば呆れたように言う。


「……本当に今のがファイアですか……」


 あれが初級魔法であるなど、誰が信用するのだ。

 その思いは胸に秘め、ラジの行動を観察するようにして見つめる。


 ラジの話が真実であれば、今からはじまるのだ、魔物喰いというものが。

 好奇と不安が混ざった気持ちの悪い感触を足元に感じながら、しかしそれでも目は離さなかった。


 ラジはブルースライムの死骸に近寄り、それをもう一度焼く。

 死体蹴りにも見えるその行為に、メリルは声を上げようとするが、その行為の意味を知り、言葉を沈めた。


 ――彼は、調理しているのだ。


 その解に辿り着くまでに、時間は必要ではなかった。


 良い具合に焼き上がったそれを摘まみ上げ、なんの躊躇いもなく口に放り込む。

 一、二、三、と口内でそれを噛み砕き、最終的な消化は胃に一任する。


「やっぱり、美味しくはないなあ……」


 久しぶりに味わうそれに、ラジは顔を顰めた。

 しかし、その不味さと交換に、スキルポイントを獲得する。

 その獲得したポイントは、今まで振っていなかった運に全振りした。1から11になったところで焼け石に水であるとは、ラジも思っているが。それでも気休め程度にはなる。


 それに、これ以上他のステータスを上げる意味がないのだ。勿論、今は、という言葉は加わるが。


 メリルはその一連の流れを茫然と立ち尽くすように見た後、しかし直ぐに自分を取り戻し、問う。


「これで、強くなったんですか?」

「ああ、そうなんだけど。証明できてないよね、どうしようかな……」


 困ったように笑みを浮かべるラジを見て、慌ててメリルは付け足す。


「いえ、信用します。モンスターを食べて死なない人間など、ラジ様しかいませんし。それに私に嘘をつく理由がありません」

「そっか、よかった」


 一先ずの安心を得て、ラジはその場に座り込む。

 迷宮内で一番してはいけない行為ではあるが、しかしラジ程の強さがあればそんな常識は力でねじ伏せることが出来る。それにここははじまりの迷宮なのだ。それくらいの休憩で、命を刈り取られることはない。


 メリルは思考する。


(ラジ様はやはり、……いえ、たまたま特異体質だったという可能性も、僅かながら……)


 その考えを、頭を左右に振ることで遠くに飛ばす。


 そんなこと、考えていても仕方がない。


 話題が無くなり、少し暗くなった空間に、メリルは新たな話を注ぎ込む。


「ラジ様、魔物喰いって、私にも出来るでしょうか」


 真っ直ぐにラジを見据えながら、薄暗い迷宮内でメリルは問うた。

 すぐ後ろ側で、迷宮内の魔素を感じながら。

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