第51話 幸せの疲労
トルトから与えられた三日間の休息。
加工にかかる日数を知らないラジの無知に付け込んだ形のそれだが、しかしラジはその真相を知らない為、素直に三日間は迷宮探索を休むつもりでいた。
魔法袋無しの迷宮探索は少しばかり厳しいものがあるからだ。
迷宮に異常なまでの執着を持っているラジだが、しかし生きてい上で金というものは大きなウエイトを占めてくる。
メリルを困らせてまで、迷宮に赴くつもりはなかった。
「なんでもいいよ」
上位区画の服飾店でラジはそう呟く。
上位区画らしいその値段の衣服を見て、メリルは言葉を失った。
(高すぎる……)
メリルがそう思うのも無理はない。
なにせここは、上位区画の服飾店の中でもとびきり高価な衣服が並べられている場所なのだ。
平均一着で二十万リル。三着買えば魔法袋の値段を超えてしまう。
そんな場所に、メリルは連れてこられていた。
奴隷である自分には似合わない。
当たり前といえば、当たり前の思考だ。
なにせ薄い布のような服と言えない服を、今までは着ていたのである。そんな少女がいきなりこんな場所に連れてこられて、愕然としないわけがなかった。
ラジも金銭に余裕があるわけではない。決してないのだが、しかし年頃の少女の服が、迷宮探索ようの防護服一着だけなのはどうか、という思いもある。
だからこそ、メリルをこの場所に連れてきているのだ。
それに、どうせ買うなら一番いいものを贈りたい。そう思うのは、ラジが少女趣味だからではなく、その優しい性格の為だ。
「選ばないの?」
ラジは固まったまま動かないメリルの顔を、くるりと覗き込むように見る。
突然目の前に現れた柔和な笑みの少年に、一瞬ぎょっとしてメリルは我に返るが、しかしそれくらいではこの驚きは薄れない。
だから、抗議するように強く言った。
「選ばないのではなく、選べません。私は奴隷なんですよ? 防護服を恵んで頂いているだけでも、申し訳ないのに……」
「まだそんなこと言ってるの? 友達が友達になにかをプレゼントするのは、別に変なことじゃないでしょう」
「ラジ様と私は友達ではありませんから……。それに友達であるとしても、ここまで高価なものは贈りませんよ」
迷宮武器だって、貰っているのに。と付け足す。
ラジは可愛いともいえる表情を浮かべながら呟いた。
「そうなの?」
「そうです」
この世界の常識というものを忘れている。
否。
常識を知らないラジに辟易する。嬉しさや呆れやその他諸々の様々な感情がどっと押し寄せてきて、端的に言えば疲れてしまう。
幸せの疲労というのは、分かってはいるが。
しかしそこまで甘えていられない。という思いを持っているのもまた事実である。
ラジは迷宮以外のものすべてに興味がないのだ。
だから、どこかで聞きかじったような曖昧な情報を元に行動してしまう。
今回のことだってそうだ。
友達に友達が贈り物をすることはあるが、それはなにかしらの記念だったりとか、そういった類の日のみである。なにもない日に贈り物などしない。恋愛関係にある人間同士だってそうだ。
それに、何度も言うがこの贈り物は高価すぎる。
主が奴隷に贈るようなものではない。絶対に。
もしかして私が間違っているのだろうか……。という疑念に駆られるが、しかし直ぐに否定を返す。奴隷だってそれくらいの常識は知っている。
迷宮においても、迷宮外においても、ラジという少年は規格外なのだ。
誤解を恐れない言い方をするのであれば、世間知らずである。
「ラジ様。お言葉ですが説明させて頂きます。本来こういった贈り物というのは、なんらかの祝い事であったり、当人同士の記念日であったり、そういう日に贈るものです。何もない日にする行為ではありません」
言おうと思えばもっとたくさんの言葉が溢れるのだが、しかし自分は奴隷という身分。それ以上の言葉をぶつけるのは控えた。
しかしラジは、そんなメリルを見て楽しそうに笑って言う。
「じゃあ、メリルと僕が仲良くなった記念に。これでいいでしょ?」
簡単にそういう言葉を吐いてしまえるラジに、尊敬の念を抱いてしまう。
純真無垢だからこそできること。
なににも染まっていないからこそ言える言葉。
仲良くなることが許されていたならば、きっとメリルはラジに恋心にも似たそれを抱いていた筈だ。
そうならないのは、そうなれない関係性だからだ。
こんなものに縛られ、自身の感情ですらコントロールされていることに呆れるが、仕方がない。
――だって私は、奴隷なのだから。
(けど、これはラジ様が勝手にやっていること。それくらいは、許されてもいい。と、思う)
言い訳であるのは自分でも理解していたが、しかしそう考えると心の閊えが解けたような気がした。
だから、
「……ありがとうございます」
静かに、呟いた。
そう言ってラジから目を背けたメリルの頬は、少し薄紅色に染まっている。ラジがそれに気が付くことはないのだが。
ラジは分かり易く飛び跳ねるようにして喜びを表現する。
メリルとの距離を詰められたことを、嬉しく思っていた。
ラジ自身、この日からいきなりメリルと親しい関係性になれるとは微塵も思っていない。しかし、そのきっかけを掴めたのは確かだ。
今はそれだけで良かった。
ここから、少しずつ、奴隷と言う硬い鎧を剥いでやればいい。
きっと僕達は、友達になれる。
そういう確信を、ラジは手にしていた。
ラジは物色するかのように店内を見渡す。
女性経験が乏しい為、こんな時、なにを渡すのが正解なのか分からない。
迷宮探索だけに精を出してきたせいで起こった弊害である。
メリルをちらりと確認し、問う。
「なにがいいとかある?」
「……私が決めるんですか?」
その瞳は、こういう時は男性側が決めるものだろう、と声高に訴えていた。
だからこそ、ラジは悩む。
(僕こういう店に来たことがないから、分かんないんだよなぁ……)
その思いを伝えようとメリルをもう一度見ると、メリルはラジの言いたいことが分かったようで、
「私のことを思って選んでくれたなら、私はなんでも嬉しいです」
とだけ静かに言った。
そして言ってから思う。
まるでこれでは恋人同士みたいではないか。
奴隷だから、奴隷だから、とその言葉でラジを避け続けていたのに、今更自分は何を言っているんだ。と赤面する。
勿論、ラジのことは好きである。誰にでも分け隔てなく接する彼の姿は、確かに格好いいと言える。
(もしかして私はラジ様のことを好きになっているのでは……?)
そこまで考えてぶんぶんとその思考を払いのけるように左右に振る。
そんなことはない。そんなことを思ってはいけない。
私は奴隷なのだから。
そんなメリルの心情も知らないまま、ラジは言われた通りに自身で選択したそれを持ってくる。
「これとかどうかな」
「…………本気で言ってます?」
ラジが意気揚々と掲げるようにして持ってきたのは、髑髏だった。
いや、髑髏ではない。
それをモチーフにした、趣味の悪い衣服。
怨嗟、恨み、後悔、憎しみ、憤怒、鬱憤、その他諸々の悪感情を寄せ集めたような衣服。
どうやらラジは常識が乏しいだけでなく、美醜感覚も狂っているらしい。
メリルはラジが持ってきたその衣服を奪い取るようにもぎ取って、それを抱えたままラジを見て静かに告げた。
「……私が、選びます」
「ええ!? なんでも嬉しいって言ってたのに! それにこれかっこいいじゃない! 迷宮内のモンスターみたいで! これにしようよ!」
「嫌ですよ! ラジ様はこんなところでも迷宮迷宮って! 三日間休めって言われたばかりじゃないですか!」
服飾店には似合わない声量で言葉を交わし合う。
まるでそれは、友達のように。
頑なに友達であると認めないメリルだったが、しかしこのやり取りをどこかで楽しんでいるのもまた、事実だった。
この瞬間だけは、奴隷であることを、忘れていられる。
メリルはそれがたまらなく嬉しくて、そしてたまらなく、悔しかった。
この瞬間がずっと、続けばいいのに。
趣味の悪いその衣服片手に、メリルはそれだけ思った。
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