第二章
第37話 商談の中身
上位区画に存在する高級住宅街。
その一角にひっそりと佇む家屋が、ラジの住まいである。
「身の丈に合ってない気がするんだけどなぁ」
豪勢すぎる室内をぼーっと眺めながら、ラジは困ったように呟いた。
砂の迷宮で起きた凄惨な事件の解決者であるラジは、この家屋と、三百万リルという大金を報酬として受け取ったのだ。
ラジは気が付いていないが、これはヨルト・ウェインという上位区画トップ冒険者と変わらない待遇である。つまり、ラジは国に気に入られたということだ。言い換えれば、持ち駒にされたということでもある。
国がラジにここまでの報酬を渡したのには理由がある。
監視する為だ。
下位冒険者であったラジが、短期間でここまで成長した理由を、国は欲していた。
追跡こそ使用していないが、国からの報酬であるこの家に住んでいる限り、ラジの居場所は上層部に筒抜けである。
そのこともラジは理解していたが、居場所が分かっていたところでなにか悪いことが起きるというわけでもない。と判断して住まいを決めた。
ラジは用意されている豪勢な寝台にどてんと寝転ぶ。
窓を開けている為に入ってくる隙間風が頬を撫でる。心地よい感覚に包まれ、睡魔が襲う。
下位区画であれば、窓を開けて緊張を解き眠りにつくなど、出来ない。隙を見せた瞬間、他の冒険者にそこをつつかれるからだ。
しかし、上位区画では違う。皆が皆、自ら稼いだ金で生計を立てている。態々人を襲って金品を奪う必要がないのだ。それにここは迷宮内ではない。犯罪は犯罪として裁かれる。だからこそ、そんな無意味で非生産的なことをする人間はいない。
(最近は休息が無かったし、少し休むのも良いかもしれないな)
ラジはそう考えて目を瞑る。
ここまでトップギアで走り続けて来たのだ。憧れであった上位冒険者になった今、そう事を急ぐことも無い。
しかし、ラジの低すぎる幸運がそれを是としなかった。
突然、部屋中にノックの音が響き渡る。
この家を教えているのはフェリア、トルトの二人だけだ。フェリアがこれ程までに乱暴にラジを呼び出すとは思えない、トルトならば有り得るが
しかしそのトルトもギルド経営に熱を入れている為、動けない筈だ。
となると、思い当たるのはひとつしかない。
「ギルド、かぁ……」
ヨルトと同じである。ギルドから直接依頼を受けてそれをこなす。ヨルトが行っていた、武器の試用と同じことだ。
自分がトップ冒険者と同じ扱いをされていることを喜ぶべきか、十分な休息を取れなかったことを嘆くべきか。ラジは迷わず前者を選んだ。
根底にあるのは承認欲求なのかもしれない、と自虐的に薄く笑いながら、ラジは扉を開け、来客を確認した。
「ラジ・リルルク様ですね? 少し、お話があるのですが」
扉を開けた先に居たのは、長い金色の髪を腰辺りまで伸ばした、端正な顔立ちの男性だった。少し面長の顔に糸のような細い目と通った鼻筋が特徴だ。底を判断しにくい顔立ちである。
思考の裏側を読み取られないようにしているのか、男はにこにこと嘘のような笑顔を崩さずに、低姿勢でラジに近寄る。
ラジは確信した。
――フェリアさんでもトルトさんでもないってことは、十中八九ギルドからだな。
「どうしてここが? それと、誰ですか」
ギルドからだろうとは思っていたが、しかし確認を取る為にラジは問う。
その問いに答えるように、端正な顔を最大限に有効活用した笑顔を持って彼は言った。
「申し遅れました。私(わたくし)、ルベル・オートルという者です。Bランク冒険者になられたラジ様にご相談したいことがありまして、ギルドからやって参りました」
男は――ルベルはにこりと微笑んだまま、しかし薄い瞳の奥ではしっかりとラジを捉えていた。
ラジの推測は正しかった。自分の予想が正解したことを内心喜びながら、ラジはルベルを見つめる。
「何の用ですか?」
ギルドからの依頼であれば、ラジは受けるつもりでいた。フェリアに危険な場所にはいかないようにと釘を刺されたばかりではあるが、それでは冒険者として成長出来ない。多少の無理は承知で、ラジは迷宮探索を続けるつもりでいた。
それに、人喰(ギドラ)というイレギュラーには苦戦してしまったが、ラジは上位区画トップであるヨルトよりも強いのである。行ける範囲内に存在する迷宮で、ラジが命を落とすことはないのだ。
しかし、ルベルが口にしたのは、迷宮攻略の依頼でも、武器の試用運転の依頼でも無く、
「――商談です」
という、意味深な言葉だった。
ラジはその言葉が持つ意味が理解出来ず、内容を問う。当たり前だ。具体的な話をしてもらわなければ、判断のしようもない。
「商談って? どういう類の、ですか?」
ラジは警戒していた。一冒険者である自分に、商談。有り得ないわけではないが、信用も出来ない。これまで下位冒険者だったラジにとって、その聞き馴染みのない言葉は、モンスターと同等程の危険を孕んでいるように思えた。
ルベルは笑みを崩さないまま、より一層笑みを深くする。
「あまりここで話せることではありません。それに、見てもらった方が早い」
「見る?」
「ええ。と言っても、ここでは見せられませんが」
ルベルはそう言ってラジに背を向ける。
まるでついてこいとでも言わんばかりのその態度に、不満を感じないわけではなかったが、ギルド経由ということは少なくとも危険ではないのだろうと判断し、ルベルの後を追った。
○
ルベルに連れてこられたのは、いつかの人工迷宮である。薄暗い空間の中、ひんやりとした空気がラジの頬を叩く。
この迷宮はヨルトが買い取ったと言っていたが、手放したのだろうか。
ラジはその疑問を閉じ込めておくことが出来ず、ルベルに問う。
「ここってヨルトさんの迷宮ですよね?」
「あぁ。知っていたんですか。ヨルト様から借りているのですよ、月に百万リルで、迷宮の隅の方だけ」
ラジは驚く。百万リル。目も眩むような大金だ。砂の迷宮での事件を解決して得たのが三百万リルなのである。それを全額投資したとしても、ラジは三か月だけしか迷宮を借りることが出来ない。
そんな大金を惜しむこともなく使っているルベルを見て、上位区画の恐ろしさを体感した。
こういった人間が、上位区画には大勢いるのだろう。百万リルを端金であると言い切れる人間が。
この人工迷宮を貸し出すことで、ヨルトは利益を得ているのか。と、人工迷宮の使い道を今更知った。模擬戦のみに使用する場所ではないだろう、と思ってはいたのだが、想定外の使用用途だ。ヨルトの資産を想像して、やはり憧れは強まった。
力量では勝っているが、その他では全てにおいて負けているのだ。早く上位冒険者に劣らない生活をしなければならないな、と反省の籠った決意を固めた。
ルベルが一つの部屋の前で足を止める。
いつ見ても、迷宮にこんなに綺麗な扉があるの、違和感があるなあ。とラジは思いつつも、ここが目的の場所なのだろうと判断し、倣うようにして立ち止まった。
ルベルは扉をゆっくりと開いていく。
その中に存在していたのは、人だ。
冒険者だろうか、とラジは判断するが、ここは人工迷宮でありモンスターは出現しない。ということは、態々冒険者がこの迷宮に訪れる利点がないのだ。核も得られない、探索してもなにも出てこない。となれば、冒険者は必ずこの迷宮を避ける。
よく観察するが、ラジの瞳に映っている人は、人々は、服という服を着ていなかった。
消耗しきった布で自身の身体を隠すように、もしくは守るように覆い、靴は履いていない。靴の代わりに、足首に鉄の輪がつけられている。行動に支障が出ないように配慮はされているようだが、どう見ても、人間としての生活ではなかった。
そう、それは例えば、
「改めて自己紹介をしましょう。私はBランク以上の冒険者様を対象にした、奴隷商でございます」
――例えば、まるで奴隷のような。
奴隷商ルベル・オートルは、その細い目でラジを見据えながら、薄く笑うのだった。
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