第23話 ギルド

 その建築物は大きかった。

 下位区画に存在するギルドなど、子供のお遊びであると形容できてしまう程の広さ。中には豪華な椅子や机が点々と並べられており、ギルドというよりは、つい最近訪れた高級料理店の雰囲気を漂わせていた。


 上位区画の人間は、あのレベルの料理を毎日口にしているというが、それはどうやら本当だったらしい。ギルド内でそれを食べて、力をつけて迷宮探索に赴く。そこで手にした金銭で料理を食べ、そしてまた迷宮へと潜る。

 上位冒険者の生活サイクルを目の当たりにして、ラジは今までの常識が破壊されるのを感じていた。


 以前までのラジならば、この場に溶け込むのは難しかっただろうが、今はトルトから売ってもらった装備を身に纏っている。魔法銃など、上位冒険者が身に着ける最たる例のものの為、ラジがその場で浮いてしまうことはなかった。


(いらないと思ってたけど、やっぱり装備を整えておいてよかったな)


 魔法銃の重みを確かめながら、ラジは心中そう思っていた。

 様々な冒険者がギルド内で個々の行動をとっているが、誰もラジを揶揄う者など存在しない。上位区画の為、常識が備わっている人間が多いというのも理由の一つではあるが、ラジ自身が上位区画のそれらと同じ格好をしているという理由の方が大きく、そして大部分を占めていた。


 ラジはそのギルド内の空気をひしひしと身に感じながら、受付へと進んでいく。


 上位区画には受付嬢なるものは存在していない。あれは冒険に慣れていない人間の為の、いわばオペレーターのような役割を担うものだからだ。上位冒険者にとって、それは必要ではない。


 誰も居ない受付カウンターまで歩みを進めた後、誰も居ないことを悟ったラジは、近くの冒険者に声をかける。


「どうした? 見ない顔だな」


 ラジに声を掛けられた男は、ずいぃっとラジの顔を覗き込むようにして呟く。

 上位冒険者同士は滅多に慣れ合わない。上位迷宮は死と隣り合わせなのである。万が一情などが湧いてしまえば、その場その場での判断に大きな揺れが発生してしまう為だ。だから上位区画の人間達は横の繋がりが少ない。一度繋がりを持ってしまえば、深く太いそれになるのだが。


「上位冒険者になる為の模擬戦を受けたいんですけど……」

「……お前、下位冒険者なのか?」

「はい」


 男は笑いを噛み殺す。

 稀にこういった自分の力量を分かっていない馬鹿が訪れるのだ。模擬戦でそれを叩き潰すのが、男の快感だった。迷宮で受けた緊迫状態(ストレス)を、下位冒険者という弱者で解消することが、至上の喜びであった。


 しかし、それは一概に悪いことであるとも言えない。下位冒険者がそのまま勘違いをして上位迷宮で死ぬよりも、模擬戦で潰された方が格段に良いのは確かなのだ。


 その為この男は、なんの処分も受けずに上位区画で悠々と生活をしている。国と男の利害関係の一致が生み出した悪である。


「俺はヨルトだ。お前は?」


 男は――ヨルトは、ラジに向かって、表面上だけは友好的に手を差し出す。

 ラジは警戒した。以前にもこの方法でファイアを撃たれたのだ。上位冒険者であるヨルトがそんなことをするかはさておき、しかしその行為に嫌悪を抱いているのは紛れもない事実なのである。


 一向に動かないラジの手を取って、無理矢理に握手をする。威嚇するかのように全力で力を入れているのだが、一向にラジの手が壊れる気配はなかった。ヨルトはそれをなんらかの防衛魔法か、魔道具による防御力向上の結果だと判断し、笑顔を浮かべた。


 ラジがそんなものを使用しているわけもないのだが、それに気付くことはない。


「ラジです。ラジ・リルルク」


 名前を告げるか、逡巡した。

 なにせはじまりのラジという蔑称が下位区画であれだけ広まっていたのだ。上位区画でもこの名が拡大しているのは間違いない。

 そんなラジの推測に違いなく、その蔑称についてはヨルトも知っていた。


 しかし、ヨルトはそれについてなにかを言及することはない。

 何故なら、ヨルトは弱者が好きだから。

 弱者をいたぶり、再起不能にするのが、この上なく好きだから。


 それを指摘して、ここから立ち去られては困るのだ。


(こいつ、あのはじまりのラジじゃねえか。どうやって上位区画まで辿り着いたかは知らねえが。丁度良い。迷宮探索のストレスをぶつけるサンドバッグとしては、上物も上物だ)


 ヨルトは俯き、ラジに見えないところで下卑た笑みを浮かべる。

 ――殺さない程度に、しかし冒険者としては生きていけなくなるまで。

 潰してやる。とヨルトは考えていた。


 そんなヨルトの腐り切った思考を知ることもなく、ラジは友好的に握られた手を、軽く握り返した。

 ヨルトは上下に手を振って、投げるように離す。しかしラジがその程度でよろめくことはなかった。


「そうか。ラジ、カードが欲しいんだったな?」

「そうですね」


 カードを所持することにより、トルトやフェリアに与えることの出来る恩恵が本当の狙いだが、それを説明するのは些か難しく感じてしまった為、表面上の目的を告げるだけに留めた。


 ヨルトは笑う。馬鹿であると。

 カードなんてものがなくとも、この世界で生きていくことは可能なのだ。それこそトトリカ地区などでは、その生活水準はさておきカード非所持者が大勢暮らしている。


 しかしそれは、冒険者であったのならば、である。

 冒険者という職業は、危険も多いがそれだけ得られる対価も多い。ラジがはじまりの迷宮だけで生活出来ていたのもその為である。核などを持って帰らなくても、ギルドから出る報酬だけで生活は成り立つ。


 ヨルトは、その生活線を破壊するのが好きなのだ。冒険者として今まで生きてきた人間が、それがなくなった時どうするのか、それを見るのが大好きで堪らないのだ。


 ヨルトは震える。ラジの泣き叫ぶ声を想像して、全身が高揚する。


 今までもこういった冒険者を何人も潰してきた。中にはそのままヨルトの奴隷になった人間さえ存在する。ラジの直近の未来を考えて、笑みが零れてしまう。


(いいねェ……。こういう馬鹿な冒険者、俺は大好きなんだ)


 下卑た笑みを納めて、ラジの瞳を見据える。


「日程はどうする? そっちも、準備なりあるだろう」

「今からは難しいですか?」


 ヨルトの言葉をまともに噛み砕かないまま、ラジはすぐに質問を投げた。


「今から……? でもお前、いいのか? それで」

「はい。大丈夫です」


 ヨルトが言っているのはラジの服装のことである。確かに魔法銃は所持しているが、それ以外なにも持っていない。

 魔法銃はメインで使用するような武器ではない為、まさか今日すぐに模擬戦を求めているとは思わなかった。


 舐められている。とヨルトは思う。

 ヨルトはこのギルドで一番の成績、戦果を収めている人間なのである。その性格や行動はさておき、純粋な力だけならヨルトは上位区画の中でも上の方に位置している。


 そんな人間を相手にして、ラジは丸腰同然である。


 その態度が気に食わなかった。しかしヨルトは笑いを噛み殺す。


(これなら、手加減の具合が分からなかったことを理由に、殺せる)


 まともな装備を身に着けていない人間が、上位冒険者と戦えば、模擬戦といえど身に深い外傷を負う。そんなことは周知の事実である。

 その為、この模擬戦でラジが死亡してしまっても、事故として片づけられる筈だ。加えてヨルトは今まで、多くの貢献をギルド及び国にもたらしてきたのだ。事故(・・)が起こった時、彼らがどちらの肩を持つかは明白である。


 一下位冒険者であるラジと、上位冒険者のヨルト。

 国やギルドが味方するのは、当然後者である。


 それに、人を殺すとレベルが上がるという噂もある。その噂もついでに確かめてやろうとヨルトは考えていた。


 環境だけで言えば、ラジは大いに不利である。

 しかしラジはそれでも良かった。早く、モンスターを食べて成長した自分の力がどこまで通用するのか、確認したくて仕方がなかった。


 理由は別々だが、しかし同じ表情を顔に浮かべて、二人は会話をする。


「なら、早速やろうじゃないか。場所と審判員はこちらの指定でいいな?」

「勿論です。ありがとうございます」


 ついてこい。と一言だけ置いて歩き出すヨルトを追いかけるようにして、ラジは歩みを進めた。

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