第46話 幻想的
前回の失敗を活かし、ラジは炎を使用することなく、持っていた短剣を使ってマジックバッグを討伐する。
一体だけではなく、二体分。
久しく使ってなかったというのに、持て余すことはなかった。
下位区画を拠点にしていた時によく使用していた武器の為、懐かしさなどが込み上げてきたが、迷宮内の為それは胸の内に仕舞いこんだ。
「なぜ二体分を? 魔法袋はひとりひとつで十分過ぎる程、容量が大きいですよ?」
メリルは疑問を投げる。
もうラジに遠慮して言葉を押し込めることは無くなっていた。
驚くほどの量を詰め込めるというのはラジも既に身をもってして理解していた。
それでも二体討伐したことには意味がある。
「いや、メリルも必要でしょ? マジックバッグ、思っていたよりも強くなかったし、気にしなくていいよ」
ラジはもう動かなくなった魔法袋の元をひらひらと振って、メリルに渡す。
モンスターの死骸だと思えば気持ちが悪いが、魔法袋という魔道具であると思えば不思議と気持ち悪さは感じない。
メリルは手渡されたそれを、大事そうに懐に仕舞った。
「……勿論有難いのですが。私は奴隷ですよ?」
「そう言われても、僕はそう思ってないし」
困ったように頬を掻いて、ラジは笑みを浮かべた。
ギルドで魔法袋を買おうと思えば、軽く五十万リル程かかる。
そんな高額商品を、こうも簡単に奴隷に渡してしまえるのは、上位区画の人間ですら少ないだろう。否、上位区画の人間だからこそ、少ない。
力だけを求めた結果、彼らは上へと到達しているのだ。
そういった冒険者は、自分のことしか考えない。奴隷に魔法袋を渡すことで自身になにか得があるのなら、彼らは喜んでそれを譲り渡すだろう。
しかし、そうでなければ上位冒険者はその行動を取らない。正解だけを踏んで歩いていかなければならないからである。不確定事項は避けて通る。それこそが死なない為に守るべきルールなのだ。
どこまでも自分本位で合理的。強い冒険者は大多数がそれだ。
しかしラジは違う。
下位区画の考えのまま、上位区画まで到達してしまったが故の差異。
それが良いところでもあり、悪いところでもあるのだが。
当初の目的を達成したラジは、メリルの方に身体を向けて口を開く。
「じゃあ、行こうか」
どこにですか、とは聞かなかった。
奴隷だから聞く権利などない。と思っているわけではない。
どこに行くか、知っていたから。
ラジが言っているのは、恐らくこの迷宮最深層にある空の幻覚だ。メリル自身が勧めたのだ。それをメリルが忘れる筈がない。
メリルはこくんと頷いて、はい。と呟く。
その言葉を耳に入れたラジは、メリルの後ろ側に回った。
ラジの行動の意味が分からずに、メリルは頭上にはてなを浮かべ、首を七十度回転させてラジを見据えた。
可愛いと形容しても問題ない程の照れ笑いを浮かべながら、ラジは呟く。
「僕、場所分からないから。案内して貰おうかと……だめかな」
迷宮内で初めて見るその人間らしい仕草に、メリルは思わず吹き出しそうになる。
極度の緊張に包まれていたメリルにとって、ラジのこの行動は良い弛緩剤になった。
ラジと出会って日が浅いメリルは、まだラジがどういう人間か把握できていなかったのだが、しかしこの笑顔を見て思う。悪い人ではない、と。
そんな分かり切っていた理解を深めて、メリルは先頭に立ち、ラジをその美しい幻覚まで案内するのだった。
その二人の後ろ姿は、友達、と言っても差し支えなかった。
メリルがそれを認めるとは思えないのも、また確かであるが
○
「……ここ、本当に迷宮内だよね?」
「はい。そうです」
肯定はしたものの、ラジのその呟きは尤もであるとも思っていた。
目の前にしてなお、信じることが難しい。
メリルも初めてこの空を見た時、夢現であると勘違いをした。もしかしたら自身は既に死亡していて、今見ているのは天国なのではないだろうか、と疑いもした。
そうさせるだけの風景が、幻覚が、ここには広がっているのだ。
幻覚と言えども、人に害を成すわけではない。そもそも意図的につくられていないのだから。
奇跡ともいえる偶然の結晶が、偶然に出来た奇跡の結晶が、このどこまでも続くかに思える蒼である。
宝石を彷彿とさせるその輝きは、やはり何度見ても感嘆が零れる。
幾度となくこの場所に訪れているメリルでさえ、やはりそれは、意図せずして口から零れていた。
天を穿つようにして開けられた大穴、天が人間を見下ろす為に作ったとしか思えない程のその大きな穴。
二人はそこから、首を目一杯上に曲げて空を見上げていた。
足元にある幻覚ではない水たまりでさえ、存在していない筈のその幻想的な風景をこれでもかという程反射させている。
空に挟まれている。
そういったおかしな感覚に包まれる。
しかし、それさえ心地いい。
ラジは視線をメリルに移し替える。
まだ空を見上げている、そのメリルの横顔を見て、幻想的だ、と思う。
メリルの造形は整っている。それこそ、天使と表現しても問題ない程に。
だからこそ、この風景と調和した。
無風な筈の迷宮内に、風が吹いているような錯覚に包まれる。脳が、風景に騙されているのだろう、とラジは推測した。
メリルの口が小さく動く。
「忘れたくないんです。この風景も、思い出も」
だから定期的にここに来ているんです。とメリルはラジを見ずに続けた。
それに対する上手い返答が思い浮かばずに、ラジは黙り込んでしまう。
何故奴隷であったメリルが、定期的にこの場所に訪れることが出来たのか等、色々聞きたいことはあったが、この幻想的な風景をそんな些細な疑問で壊してしまえる程、ラジは馬鹿ではなかった。
だからこそラジは黙ったままだ。
首を休めようと空から視線を離し、迷宮内を見る。
モンスターはいないらしい。どうやら強力な魔素が空気中に漂っているせいで、モンスターさえ生まれない空間となっているらしい。
耐性値が高い自分が魔素に蝕まれていないのは分かるが、メリルも無事なのはなぜだろうか。と思う。
疑問を解消すべく、それについて問うと、メリルは困ったような表情を抱えながら、「そういう、身体だからです」と告げた。
追及を許さないその態度に、ラジの好奇心が勝てる筈もなく。
真相はいつか知れるだろう。そう判断してここで無理に聞き出すのは慎んでおいた。
幻覚を見せ、魅せるこの空間。
なにもここに存在するのは幻想的な風景だけではないだろう、とラジは判断し、迷宮に対する異常なまでの執着心からくる行動力で辺りを探索する。
「……短剣?」
ラジの目の前に転がっている――佇んでいると言ったほうが正解かもしれない。それ程厳かな雰囲気を持つ短剣だった――を、なんの躊躇いもなしに拾い上げる。
罠であったりとか、モンスターの擬態であったりの可能性を考慮していないその行動に、メリルは慌てる。
目を離した隙になにをするか分からない。これではまるで子供ではないか。どちらが主だか分からないな、と少し笑って、たたたっと足音を立てながらラジに近寄る。
ラジが手にしている短剣を見て、メリルは少し震えたような声で呟いた。
「迷宮武器、ですね」
ラジは記憶からその言葉を引っ張りだそうとするが、その行動は無意味に終わった。
何故なら迷宮武器という言葉は、ラジの記憶の中にない。刻まれていないのだ。
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